エピソード 1ー8 平和の使者
ザッカニアに渡る許可をどうやってもらおうかと悩んでいたら、アルベルト殿下にザッカニアに赴いて欲しいと頼まれた。まさに渡りに船、なんだけど……
「使者ってどういうことですか?」
俺の使っている執務室。俺は椅子に座り直し、あらためてアルベルト殿下に視線を向けた。
「ザッカニアの近況については知っているか?」
俺はクレアねぇを見る。ザッカニアが貿易赤字に陥っているであろうことは予想出来るけど、それ以上の情報は持っていなかったからだ。
そしてそれはクレアねぇの同じなのか、ゆっくりと首を横に振った。少しウェーブのかかったプラチナブロンドが緩やかに揺れる様子はなんだか艶っぽい。
……って、見とれてる場合じゃないな。
「すみません、あまり詳しいことは」
「そうか。ノエル、話してやってくれ」
「ええっとね……ザッカニアは現在、種族間の争いを初めとした様々な問題を抱えていて、経済状況が悪化しつつあるの」
「貧困にあえいでいると?」
「今はまだ一部の人間だけだけど、ね。このままだと時間の問題だと思うわ。それでその打開策として、リゼルヘイムに目をつけているみたいなのよ」
「目をつけるというのは、その?」
「侵略して奪おうという強硬派と、交渉して技術を手に入れようという穏健派が存在するわ」
「なるほど。うちの街道で暗躍していたのは、そのための情報収集ですか」
技術を盗めれば良し。無理だとしても、手間を惜しまずに入手するに値する技術かを調べていたのだろう。
「それで……リゼルヘイムはどういう対応をする予定ですか?」
「うちもザッカニア王国と似たようなものね。既に被害を受けているのだから、これ以上被害が広がる前に攻めるべきだって意見と、手を差し伸べるって意見があるわ」
「ちなみに、お二人の意見は……?」
この国の政治は、国王陛下やその重鎮達に決定権がある。だけどそんな彼等に対し、アルベルト殿下やノエル姫殿下は圧倒的な影響力を持ち始めている。
リゼルヘイムは今や、この二人が動かしているといっても過言じゃない。もしもこの二人が交戦を望んだ場合、戦争は避けられないかもしれない。
そんな不安と共に、二人の答えを待つ。果たして――
「俺は相手がつけあがる前に攻めるべきだと考えている」
「あたしは逆で、手を差し伸べるべきだと考えているわ」
二人の意見は対照的だった。少なくとも、即座に戦争になるようなことはなさそうだ。だけど、第一王子であるアルベルト殿下が交戦を考えているのか。
出来れば説得したいところだけど……
「そんな顔をするな。言っただろう、お前に使者をして貰いたいと」
「あれ? そう言えばそうですね。どういうことですか?」
まさか開戦の通達をする使者とは言わないだろう。だとしたら話し合いの使者であるはずだけど……開戦という考えと矛盾しているな。
「俺や重鎮の多くは、危険な芽は今のうちに摘むべきだと考えている。お前のもたらした技術の多くは、武器や防具にも流用されている。相手が大国とは言え負けることはないだろう」
「そう、ですね……」
この世界の主流は青銅の武器や防具。しかしリゼルヘイムでは鉄の武器や防具が量産されている。鋳造品が主流とは言え、その技術はザッカニア帝国の数段上をいっているはずだ。
なにより、この国は豊かになった。相手の方が大国だとしても、兵士を動員できる数はこちらの方が上だろう。その上で異世界の知識を使えば、おそらく負けることはない。
とは言え、勝てば良いという話でもない。そもそも俺は、戦争をするために前世の記憶にある技術を広めた訳ではない。
――と、俺のそんな内心を読んだかのようにアルベルト殿下は笑う。
「心配するな。ノエルやクレインに言われたのだ。リオンは平和を求めている。戦争を望めば彼を敵に回すことになる、と。だからこそ、お前に使者を頼みに来たのだ」
「ええっと……それはもしかして、俺の意見を尊重して、友好的な使者を送ろうという話なんでしょうか?」
「もちろん、そう言っているつもりだ。ザッカニア帝国よりも、リオン。お前を敵に回すことの方が余程恐ろしいからな」
……驚いた。グランシェス家が影響力を持っているという自覚はあったけど、まさかこんなに重要な決定で、俺の意思が反映されるなんて思ってもいなかった。
「それで、お前はどう思っているのだ?」
「俺はもちろん戦争を望んでいません。だから平和の使者だというのなら喜んで引き受けます。俺の用件というのも、隣国に渡る許可を頂きたいというモノだったので」
「――ね、だから言ったでしょ?」
「そのようだな」
ノエル姫殿下が得意げに笑い、アルベルト殿下が苦笑いを浮かべる。一番最初は二人が仲違いをしてるなんて誤解もしてたけど……本当に仲が良いな。
「ではリオンよ、ザッカニア帝国へ使者として出向いてくれるな?」
「ええ、俺はもちろん構いません。ただ……本当に俺で構わないのですか?」
「なんのことだ?」
「いえ、俺が隣国に行くなどと言い出したら、反対されると思っていましたので」
「あぁそのことか。ハッキリ言うと、反対する者も多かった。だから、お前が出国するに当たってはいくつかの条件がある」
「その条件というのは?」
「一つ目は……クレアリディルはグランシェス領に残すと言うことだ」
いきなり自分の名前が出ると思っていなかったのだろう。クレアねぇはあたし? と自分を指差して驚いている。
けどまぁ……考えてみれば判らないでもない。グランシェス領を纏める中心人物はクレアねぇだからな。俺とクレアねぇを同時に失う可能性だけは排除したいと言うことだろう。
クレアねぇ的には嫌な考えで反対するかなとか思ったんだけど、「それなら問題ありません」とクレアねぇは即答した。
「……良いのか?」
俺はクレアねぇに小声で尋ねる。
「もちろんよ。弟くんが死地に向かうつもりなら話は別だけどね。隣国に向かうくらいで止めるなら、街道の盗賊退治なんて任せないわよ」
「なるほど……」
言われてみれば、あれだって危険が伴っていた。それを許可してくれたって言うのは、俺達を信用してくれているってことだろう。
「ありがとう、クレアねぇ」
「ふふっ。も~っと、あたしに感謝してくれても良いのよ?」
調子に乗るクレアねぇが可愛い。ホントは柔らかそうな銀髪に触れたいところだけど、ノエル姫殿下の視線が怖いので自重。
俺は咳払いをして「そういう訳ですので、一つ目の条件は問題ありません」と答えた。
「よし、では二つ目の条件だが……アリスティアとソフィアの両名を連れていけ」
一つ目の条件を聞いた時点でなんとなく予想はしていた。グランシェス家の遠近の最大戦力である二人を護衛として連れて行けと言うことだろう。
危険な場所に連れて行くのには若干の不安があるけど……今更だ。置いて行くと言っても二人は聞かないだろうし、クレアねぇ達も俺が一人で行くのは納得しないだろう。
と言うことで、俺の返事は決まっている。
「問題ありません。ザッカニア帝国には俺とアリスとソフィア。それに護衛やメイドを連れて行こうと思います」
「よし。ではお前に、これを渡しておこう」
アルベルト殿下は厳かに言い放ち、丸められた書簡と一枚のメダルを手渡してきた。
書簡の封蝋には王家の紋章が。そしてメダルは表にリゼルヘイム王家の紋章、そして裏にはグランシェス家の紋章が刻まれていた。
「書面は……交渉の内容が書いてあるんですか?」
「いや、それはお前が正式なリゼルヘイムからの使者である証だ。書面には、使者が具体的な交渉をおこなうと書いてある」
「なるほど。それで、どういった方針なのでしょう?」
手紙では手の内を明かさず、何処まで譲歩するかは俺にしか伝えない――と、そういう流れだと思ったんだけど、アルベルト殿下は「お前に任せる」と言い放った。
正直、意味が分からない。
「……ええっと。任せるというのは?」
「言葉通りの意味だ。同盟を組むも、宣戦布告をするもお前の自由だ。ただし、極端に国益を損なうようなマネだけはしてくれるなよ?」
「いやまぁ、さすがにそんなつもりは在りませんが……むちゃくちゃじゃないですか?」
「心配するな、この件については既に、文官や有力貴族の同意を得ている。ただ、最終決定の前には一度、こちらに確認を取ってくれ」
「それはもちろんですが……普通はその前にも口を出しませんか?」
普通はここまでは譲歩しても良いという方針を決めて、それを大きくそれるようであれば、いったん国に帰って相談というのが一般的なイメージだ。
「考えても見ろ。今回の一件はそもそも、売られた喧嘩は買うというのが主流な意見だったのだ。それが、お前が反対するだろうという理由だけでひるがえったのだぞ? お前が話し合いの末に決めたことなら、大半が通るに決まっている」
「……そ、そうですか」
俺ってばなんという発言力。ちょっと、いや、だいぶ怖い。
い、いやまぁ前向きに考えよう。俺は戦争なんて望んでいない。なら逆に言えば、なんのしがらみもなく、平和な解決方法を模索出来ると言うことになる。
「確認ですが……極端に国益を損なうというのは、どのレベルを差していますか?」
「お前の判断で、それがリゼルヘイムのためになると思う範囲なら許そう。それにザッカニアに援助や支援をするくらいならなんの問題もない。無論、技術支援を含めて、だ」
「それを聞いて安心しました」
リゼルヘイム王国とザッカニア帝国のあいだにある問題は貿易摩擦。まずはそれを解消出来なきゃ話にならないからな。
逆に言えば、それを解決した上で技術支援なんかが出来れば戦争にはならない。隣国との交渉と、規模は大きいけれど、問題自体は今までなんかよりよほど簡単だ。
そんな訳で、俺はアルベルト殿下達の要請を受諾。ザッカニア帝国と平和な関係を結ぶために、海の向こうへ向かうことにした。
次話は十五日を予定しています。






