エピソード 3ー2 姉妹は恋愛対象ですよね?
父に対してグランシェス家を継ぐ気はないと明言するのと引き替えに、アリスの身の安全を確約して貰った俺は、ようやく離れへと帰還した。
そうして自室へと戻ると、程なくマリーが尋ねてきた。
「お帰りなさいませ、リオン様。随分と遅いお帰りですが……今まで何処でなにをされていたのですか?」
「うんまぁ、ちょっと父に話があってさ」
「……驚きました。聞いておいてなんですが、私に話して良かったんですか?」
「報告してくれて構わないよ。知られて困る話じゃない――と言うか、父から話が行くと思うから。それより、俺はマリーがそんな風に心配してくれる方が驚きだな」
「……理由はどうあれ、アリスさんを救って頂いた事は事実ですから」
あぁ、そう言う理由ね。
アリスとは世間話もしてたもんな。俺とはしてくれないくせに。……まぁ、アリスの味方が増えるのはありがたいんだけど。
「俺の方こそ礼を言うよ。マリーがアリスが攫われたことを教えてくれなかったら、間に合わないところだった。本当にありがとうな」
俺が感謝を伝えると、マリーはさも意外だと言わんばかりに戸惑いの表情を見せた。
「……正直に言うと、リオン様にとって、アリスさんは取るに足らない存在だと思っていました。ですから、あんなに必死になるのは予想外でした」
酷い誤解だ――と、喉元までこみ上げた言葉はとっさに飲み込んだ。
マリーはキャロラインさんから俺の監視役を仰せつかっているので、俺はアリスから色々学んでいると知られる訳にはいかない。
だから――
「アリスには毎晩お世話になっているからな」
あえて誤解されるように言い放った。そのもくろみは成功したようで、マリーの視線が蔑むようなモノに変化する。もし心の声を聞くことが出来れば『子供のくせに色狂いとか最低ですね』なんて感じで罵っているのだろう。
「そう言えばアリスは?」
「アリスさんは水浴びをしています」
「……え?」
もしや俺がたどり着いた時には手遅れだった!? と不安になる。だけどそんな俺の不安を予想したかのように「嫌な汗を掻いたからだそうですよ」とマリーが付け足した。
まったく、脅かさないで欲しい。
「それじゃ、着替えたら俺の部屋に来るように言ってくれ」
「…………かしこまりました」
軽蔑するよう視線。「せっかく水浴びをした相手を、欲望のままに穢すんですか」なんて感じの幻聴が聞こえてきそうである。と思ったら、本当に聞こえてきた!?
「あ、あのさ。なんか呟きが聞こえた気がするんだけど」
「私には聞こえませんでしたが……まだなにかご用ですか?」
「いや、用はないけど」
「そうですか。それでは失礼します」
まぁ……良いんだけどさ。と言うか自業自得なんだけど。マリーがいつまで経っても、俺とろくに口を利いてくれない理由がようやく判った気がする。
マリー視点で見れば、俺は今日のブレイクと同レベルだもんな。しかも俺は毎晩その行為を繰り返す鬼畜な子供。そりゃ嫌われて当然だ……はぁ。
落ち込むこと数分。
少しせいたようなノックと同時にアリスの声が聞こえてきた。そうして俺がどうぞと答えると、文字通りアリスが飛び込んでくる。
「リオン様、大丈夫でしたか!?」
「大丈夫だよ、説明するから座ってくれ」
俺はアリスをなだめ、グランシェス家の跡目争いをするつもりはないと明言する代わりに、アリスの安全をお願いしてきたと伝える。
「そんな……私の為に、良かったのですか?」
「元々伯爵なんて地位に興味はなかったからな。明言するだけでアリスの安全が買えるなら安いモノだよ」
「ですが、ミリィさんを連れ戻して貰うとか、他にも選択肢はありましたよね。私の為に、なんだか申し訳ないです」
「良いんだ。一番状況が差し迫ってたアリスを優先しただけだから」
それに、キャロラインさんに取ってミリィは憎むべき相手だ。ミリィの再雇用を条件にしていたら、キャロラインさんは取引に応じてくれない可能性は高いと思う。
「……そこは嘘でも、お前が一番大切だからって言って欲しかったです」
「――え?」
驚いてアリスの顔を見ると、アリスは小さく笑ってぺろっと舌を出した。
「なぁんてね。冗談ですよ?」
「なんだよ、純粋な子供をからかうなよ」
「ふふっ、純粋な子供って、どの口が言うんですか?」
「こう見えても純粋なんだよ。うっかり本気にしたらどうしてくれる?」
「それなら大丈夫ですよ」
「大丈夫って、なんで?」
「だって私、本気にされて困るような冗談は言いませんから」
少し照れくさそうに微笑む。そんなアリスを見て俺は苦笑いを浮かべる。
「二度も同じ手に掛かると思うなよ?」
「えぇ、今のは本音ですよ?」
「はいはい、言ってろ言ってろ」
軽く受け流し、これからの事について考えを巡らす。
「ともかく、だ。アリスの件はキャロラインさんの反応待ちだけど、たぶん平気だと思う。だから差し当たっての問題は、クレアねぇの結婚かな」
「クレア様ですか。確か少し前にお見合いをなさったんですよね?」
「そう、らしいなぁ」
正確には舞踏会という名の集団お見合いだ。各地の有力者が集まる舞踏会だが、内々で誰と誰が顔合わせすると言った取り決めが前もってなされているそうだ。
そんな舞踏会で、クレアねぇは今年で二十九歳の侯爵様と踊ってきたらしい。性格や容姿は悪くなかったそうだけど……それが故に、断ることも出来ないとのこと。
お陰でそれから数日は、離れに来ては不機嫌そうに愚痴ってた。
「クレア様の政略結婚を破談にするなら、グランシェス家の当主になるのが早かったのではないですか?」
「……簡単に言ってくれるなぁ」
「リオン様がその気になれば、結構簡単なんじゃないですか?」
「さすがにそれはない。それに例え可能だとしても、クレアねぇが結婚するまで一年もないんだぞ。どんなに頑張っても、それまでに後を継ぐなんて無理だよ」
「そうかもしれませんが……なら、他に何か考えがあるんですか?」
「計画はあるけど、こっちも時間的に厳しいんだよなぁ」
クレアねぇが政略結婚をさせられるのは、グランシェス家に利益が生まれるから。
つまり、それを上回る利益と引き替えなら、クレアねぇの自由を勝ち取るのは可能だろう。なので問題は、取引材料となるほどの利益を生み出せるかどうか。
グランシェス家の力を使って内政チートの限りを尽くせば可能かも知れないけど、その場合はキャロラインさんに要らぬ誤解を与えるのは目に見えている。
前もってキャロラインさんと交渉という方法もあるけど、一年以内に話を纏めて、利益を生み出すまでと言うと難しい。
「なかなか大変ですね。……そう言えば、リオン様の方はどうなったんですか? 今日、スフィール家まで出向いてきたんですよね?」
「あぁうん。ソフィアはかなり可愛い女の子だったぞ。大人しくてまだ幼さがあるから、妹みたいな感じだけどな」
「妹みたい……つまり、恋愛対象という意味ですね」
「なんでだよ!? 一緒に居るのは楽しいけど、恋愛対象って感じじゃないって意味に決まってるだろ!?」
「そう、なんですか?」
「え、なにその心底意外そうな顔」
「だって……クレア様の件だって、好きだから助けようとしてるんですよね?」
「いやまぁ、そうだけど……一応言っておくけど、姉弟としてってだけだぞ?」
「姉弟なら恋愛対象だと思うんですが?」
「だーかーらーなんでそうなる。と言うか、アリスは兄弟が恋愛対象に入るのか?」
「入りますけど?」
うっわ、真顔で聞き返されたし。もしかして、この世界じゃ普通の感覚なのか?
……うぅん。周りを見てるとそんな気がしないでもないけど……俺には日本で培った価値観があるからなぁ。
死んでも嫌って程の拒絶反応はないけど、やっぱり考えられないなぁ。
「と言うか、アリスって兄弟が居たんだな」
「……ええ、居ました」
深く蒼い瞳が陰る。それを見た俺は、先ほどのセリフが過去形だった理由を察した。
「……ごめん」
「いえ、気にしないで下さい。もう乗り越えましたから」
乗り越えた、か。やっぱり悲しい過去があったんだなとアリスの顔を伺う。そうして俺は、アリスの桃色の髪に添えられた髪飾りに気付く。
「そう言えば、髪飾りが形見だって言ってたよな?」
「…………え?」
「いや、そのシルバーの髪飾り。形見の品だから、奪わないで欲しいって、初めて会った時に言ってただろ?」
「そ、そう言えばそんな風に言った気がします!」
「……気がします?」
「いえ、形見です! これは兄が使っていた大切な形見なんです!」
……いや、兄が使っていたって……どう見ても女性用の髪飾りなんだけど。なんて、突っ込まない方が良いんだろうなぁ、この反応は。
良く判らないけど、まぁ良いや。アリスに悪意があるはずもないし、気付かなかったフリをしておいてあげよう。
それよりも、重要なのはこれからの対応についてだ。
まずはアリスについて。いつかアリスを奴隷から解放してあげたいけど、その為にはまず自分の問題を解決しないといけないので後回しにするしかない。
続いてミリィについて。ミリィは故郷でのんびりと暮らしているのが確認できているので、急ぐ必要性はない。やっぱり後回しだ。
そうなると、自分とクレアねぇの問題だけど……俺の方はまだ比較的時間に余裕がある。なので、まずはクレアねぇの事から、かな。
 






