エピソード 1ー6 隣国の影
エルフの里で数日滞在したあと、俺達はグランシェス領へと帰還した。婚約記念旅行としては散々だったけど……事情が事情だけに仕方がない。
またの機会にフォローを入れることにしよう。
という訳で帰ってきたお屋敷。ティナが留守中のあれこれを報告してくれるとのことで、俺とクレアねぇは執務室で話を聞くことにした。
「お帰りなさい、リオン様、クレア様。オータムナルのダージリンで作ったミルクティーに、バタークッキーです。よろしければどうぞ」
クレアねぇの執務室。クレアねぇと向かい合って座ると、ちょうど姿を現したティナが、紅茶とクッキーをテーブルに並べ始めた。
焼きたてなのだろう。バターの独特の香りが漂ってくる。
「オータムナルって秋摘みの茶葉だっけ?」
「はい。本当はセカンドフラッシュの方が香りがあって美味しいようなんですが……」
「ああ。保存するのが大変だからな」
技術が急激に進歩したとは言え、もとが中世初期レベルだからな。茶葉を半年以上保管するのは難しいんだろう――と思ったのだけど、
「それもありますが、作ったクッキーがバタークッキーだったので」
「お、おう?」
作ったクッキーがバタークッキーなら、なぜにオータムナルの茶葉を?
……うぅむ。紅茶は貴族のたしなみ――とは言え、この世界の紅茶を淹れる技術は最低水準だった。そこに俺達が前世の知識を使って、美味しい紅茶の入れ方を普及させたのだ。
なのに、俺がその紅茶の話でついて行けないとか……くやしいっ。
「オータムナルは濃厚な味わいなので、ミルクティーに適しているんです」
「あぁなるほど、バタークッキーはミルクティーに合うもんな!」
ようやく理解した。と言うか、さり気なくフォローを入れられた気がする。
まあ仕方ない。料理はアリスの方が得意だし、彼女達は日々技術を磨いている。にわか知識だけの俺は追い抜かれる定めなのだろう。
……やっぱりちょっと悔しい。
「弟くん、急に窓の外を無言で見つめたりして、どうしたのよ?」
「いやちょっと、ティナの成長が感慨深くて」
「ふぅん? そのティナがせっかく淹れてくれた紅茶、早く飲まないと冷めちゃうわよ?」
「おっと、頂くよ」
俺は紅茶とクッキーを順番に楽しむ。
ティナはクッキー作りに情熱を注いでいるようで、その完成度は非常に高い。なので、俺には美味しいとしか感想が出てこない。という訳で、俺はティナの黒い瞳を真っ直ぐにみた。
「いつもありがとう、ティナ。凄く美味しいよ」
「~~~~っ」
とたん、真っ赤になって身もだえるティナが可愛い。
「前から思ってたけど……弟くんって、天然の女ったらしよね」
「なにを言う。感謝の気持ちを伝えるのは大切なんだぞ?」
当たり前のような毎日が当たり前に続くとは限らない。だから、当たり前のように向けられる特別な優しさに感謝を忘れないようにする。
これは俺が前世の失敗から学んだことだ。
だと言うのに――
「そういうところが天然だって言うのよ? 悪いことだとは言わないけどね」
なんか呆れられた。感謝しなかったらしなかったで怒るだろうに、理不尽である。けど、この手の会話では分が悪いのは分かっている。だから、さっさと話を戻すことにした。
「……ティナ。報告とやらを聞かせてくれるか?」
「あ、はい。まずは街道を騒がしていた盗賊の背後関係ですが、自害したという男がザッカニア帝国出身なのは間違いなさそうです。ただ、分かったのはそこまでで……」
「そうか。まぁ……それ以上は難しいだろうな」
「申し訳ありません」
「気にすることはないさ。情報の信憑性が増しただけでも上出来だ」
「ありがとうございます。それで表面化していない被害を洗い出していたんですが……」
ティナはそこで一度言葉を濁した。どうやら厄介事なのだろう。渋い表情を浮かべてる。
「なにが分かったんだ?」
「実は……ミューレ学園の生徒だった少女が一人、行方不明になっています」
恐れていた事態に息を呑む。けど、ここで動揺する訳にはいかないと、俺は努めて平常心を取り繕った。
「……その生徒が行方不明になったって言うのはいつの話なんだ?」
「行方不明になったのは恐らく一年ほど前です」
「――なんですって!?」
俺の隣で話を聞いていたクレアねぇが声を荒げた。それもそのはず。ミューレ学園の卒業生が狙われる可能性は考慮し、十分な対策を取るように指示を出していたからだ。
それなのに、卒業生が行方不明になって一年も気付かないなんて、普通はありえない。
「そんなずさんな管理をしてるなんて、一体どこの領地よ?」
「それがその……グランシェス領です」
「嘘、でしょ?」
クレアねぇが絶句。俺も信じられない思いだった。
「私も話を聞いたときは耳を疑いました。ですが、事情があるんです」
「……事情って?」
言葉を失っているクレアねぇに代わって、ティナに問い掛ける。
「行方不明になった女の子は予科しか受けていないので、正確には卒業生じゃないんです」
「本科に上がる前に行方不明になったってことか?」
「いえ、それがそういう訳でもないんです」
「どういうことだ?」
「名前をミュウと言うんですが、その子は病弱で、予科の授業を終えた時点で休学をしていたんです。それで、そのまま村で生活をしていると思っていたんですが……」
「調べたら行方不明になっていたと?」
「ええ。ちなみにその村に、グランシェス家の騎士が迎えに来たそうです。なので両親は、学園に復学したと思っていたみたいですね」
「……グランシェス家の騎士?」
「ええ。両親はそう言っています。彼等はグランシェス家の紋章をつけた甲冑を身につけていた、と。けれど、うちに騎士がそのような行動を取った記録はありません。デザインも現物を見た訳ではないので断言は出来ませんが、恐らくは偽物でしょう」
「なぁ……これって」
俺は自分の考えがあっているかどうか、クレアねぇに視線を向ける。
「ええ、あたしも同意見だわ。可能性は高いと思うわよ」
「そうか……」
つまりは、エルフを攫った人間と、生徒を攫った人間は同一犯であり、隣国の人間である可能性が高いと言うこと。
「お二人は、なにかご存じなのですか?」
「ああ。実はエルフの里でも、グランシェス家の騎士が、エルフの娘を攫ったって話だったんだ。それ以外に手がかりがなかったんだけど……たぶん隣国の連中だったんだろうな」
「手口が同じなら同一犯の可能性は高いですが……隣国の仕業だと決めつけるのは早計ではないですか?」
「断言は出来ないけどな。エルフとミューレ学園の卒業生が攫われたのなら、組み合わせ的に考えて隣国の仕業である可能性は高い」
「どういうことでしょう?」
ティナが小首をかしげる。
「ミューレ学園で教える技術の出所は何処だと思う?」
「どこって……リオン様とアリスさんの持つ前世の記憶ですよね?」
「そうだな。でもそれを知ってるのはごく限られた人間だけだ。一般的に広がってる情報はそうじゃないだろ?」
「あぁ……ハイエルフが持つ古代の技術を、アリスさんが持ち込んだ、でしたか」
「そう言うことだ」
ちなみに故意に流した噂では、ハイエルフから知識を授かった、エルフのアリスという設定になっているのだけど……最近はアリスがハイエルフだという噂も広まりつつある。
「なるほど……エルフとミューレ学園の卒業生。どちらもグランシェス家の知識を狙った犯行。そう考えると、隣国の可能性が高いということですね」
「ああ。リゼルヘイム国の人間なら、そんなまわりくどいことはしないはずだからな」
リゼルヘイムの人間が、エルフを奴隷目的で攫う可能性は否定出来ない。
だけど、だ。
たとえば小さな村だったとしても、奨学金制度を使えば子供をミューレ学園に通わせることは出来る。リゼルヘイムの人間が、ミューレ学園の生徒を狙う可能性は低い。
それに加え、つい最近はアヤシ村が被害に遭った。その犯人はグランシェス家の知識が目的で、隣国の関係者だという。全てが隣国で繋がっている可能性は高いだろう。
「でも……誘拐犯のバックにいるのが国だとしたら厄介ね」
クレアねぇがぽつりと呟く。それはまさに俺が危惧していることだったので、そうなんだよなと、ため息まじりに答えた。
「奴隷として攫われたのなら、買い戻せる可能性もある。けど、ザッカニア帝国の支配下にあるとしたら……救出はかなり困難だと思う」
そもそも、もし国ぐるみでの誘拐だとしたら、決して表には出そうとしないだろう。その場合、行方を突き止めるだけでも難しい。
更に言えば……エルフはもちろんのこと、予科しか卒業していない生徒も、彼等の望む知識は持ち合わせていない。役に立たないと分かったあとにどうなるか……
最悪、既に生きていない可能性もあるだろう。
「早急に対処する必要があるな。俺達が海を渡るか?」
「早急な対処には同意するけど、あたし達が安易に海を渡ることは出来ないわよ?」
「ん、どうしてだ? 国を行き来するのに許可は必要ないだろ?」
この世界、パスポート的なモノはないはずだけどと首をかしげる。
「誰かに調査させるくらいなら問題ないけどね。私達が隣国に行くとしたら、たぶんみんなに止められるわよ?」
「それは……たしかに」
自惚れでなく、俺達は今や、この国になくてはならない存在になっている。
そんな俺達が隣国――それもグランシェス家の知識を狙っているかもしれない国に行くと言って、ハイそうですかと許可は下りないだろう。
いやまあ、正確には許可なんて必要ないので、絶対いくからと駄々をこねればなんとかなるとは思うけどさ。出来れば最終手段にしておきたい。
「本当なら誰かに任せるべきなんだろうけど、生徒やエルフが攫われたって言うなら、出来る限りのことはしてあげたいからな。取り敢えずはクレインさんか誰かに相談かな」
「……あっ」
俺の呟きに、ティナが思わずといった感じで声を上げた。なにを動揺しているのか、黒い瞳が泳いでいる。
「どうかしたのか?」
「すみません、ご報告すべき案件を忘れていました」
「報告すべき案件? なにか他にも問題が?」
「いえ、問題ではありません。……たぶん」
「たぶんって……なんだ?」
「実は……その、アルベルト殿下とノエル姫殿下が、数日前からミューレの街に滞在していまして。足湯メイドカフェに入り浸っています」
「……アルベルト殿下と、ノエル姫殿下が?」
「はい、そのお二人です」
「足湯メイドカフェに入り浸ってるのか?」
「はい、入り浸っています。具体的にはVIP席を終日貸し切りにして」
「……あの二人は、一体なにをやってるんだ?」
なんだか良く判らないけど、グランプ侯爵領まで相談に行く必要はなさそうだ。
次話は五日を予定しています。
あと、なにがととかは例によってまだ言えないんですが、リアナが可愛すぎてヤバイです。






