エピソード 2ー3 人生の目標
誰もいないはずの街道の側。どこからか聞こえてくるのはクレアねぇの声。まさか幻聴が聞こえるほどクレアねぇに――って、
「クレアねぇ、なにをやってるんだ?」
振り返った先には、護衛の騎士を引き連れた馬車が一台。その馬車の窓から、クレアねぇが顔を覗かせていた。
クレアねぇは身軽に馬車から身を躍らすと、街道の上へと降り立った。艶やかなプラチナブロンドがふわりと広がり、日の光を浴びて煌めいている。
「美少女、こうりーん、なんちゃって」
「……自分で言うと台無しだぞ?」
と言うか、いまのセリフ。髪が広がって煌めくところまでが演出なんだろうか? なんというか……芸の細かいことである。
「台無しってことは、降り立つあたしを見て、綺麗だと思ったってことよね?」
「ノーコメント。それより、俺の質問に答えてないぞ?」
「え、なんだっけ?」
「ここにいる理由だよ」
「あぁ、それね。作業の様子を見に来たら、弟くんは整地をするために一人で先に行っちゃったって聞いたから、追いかけてきたのよ」
「あぁ、そうなんだ。それは悪かったな」
手間を取らせたな的な意味で謝罪。軽い意味でしかなかったんだけど、クレアねぇは「本当よ」と、ジト目で俺を睨み付けた。
「ミューレとリゼルヘイムのあいだで、盗賊が出没してるって噂は聞いてるでしょ? 護衛も連れずに、なにかあったらどうするつもり?」
「いや、一応警戒はしてるんだぞ?」
「あたしが声かけるまで気付かなかったくせに良く言うわね。そもそも、みんなへ技術を伝えるのが目的なのに、放り出してどうするのよ?」
「それは……」
ある程度整地が終われば、みんなの元へ戻るつもりではいた。けど、それを言わずに席を外したのは事実だし、クレアねぇの接近に気付かなかったのもまた事実。
「ごめん、クレアねぇ」
今度は軽い気持ちではなく、ちゃんとクレアねぇの目を見てから頭を下げた。
「仕方ないわねぇ。キスしてくれたら許してあげるわ」
「うん。分かったよ――とか言わないからな!?」
まったく油断も隙もない。
……いや、俺が隙だらけなだけかも知れないけど。
「ところで弟くん、少し時間はあるかしら?」
「見ての通り整地してるんだけど?」
「少しだけよ。お昼ごはんまだでしょ? お弁当を作ってきたから、一緒に食べましょ」
「……作ったって、クレアねぇが?」
クレアねぇはいわゆるお嬢様育ちだ。内政的な能力はずば抜けているけど、家庭的な作業をしているところなんて見たことがない。
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫よ。もちろん、アリスやソフィアちゃんほど上手じゃないけどね。ミシェルに教えてもらったから、普通に食べられるわよ」
「ふむ。そう言うことならごちそうになろうかな」
お約束を考えると、不慣れな料理。味見をしていなくて――あ、さっし。ってところなんだけどな。ミシェルが手伝ったなら、そんな怠慢を許すはずがない。確実にちゃんと食べられる味に仕上がっているだろう。
「決まりね。それじゃ……あっちの木陰で食べましょ」
クレアねぇが指差したのは、街道から少し離れた草原。そこに一本の木が生えている。木漏れ日の下、クレアねぇと二人で食事。悪くないシチュエーションだ。
「お弁当は俺が持つよ」
クレアねぇが馬車からお弁当を降ろす。それを見て受け取ろうとしたんだけど、クレアねぇはお弁当箱を後ろ手に隠してしまった。
「たまには家庭的なところも見せておかないとね」
たしかに、自作のお弁当を持って歩く女の子は家庭的な気がする。自分でそれを言わなければ、だけどな。それを言うところがやっぱりクレアねぇっぽい。
「そういう訳だから、貴方たちも順番に休憩を取って食事にしなさい」
クレアねぇは同行していた護衛の騎士達に命令。それじゃ行きましょうと、スキップするように楽しげに歩き出した。
柔らかな秋の日差しの下、プラチナブロンドの髪を揺らして歩く女の子。その姿は凄く絵になっているけど……俺的には、後ろ手に持たれたお弁当の中身が心配だ。
背中でお弁当箱を固定してスキップするモノだから、結構バタバタ揺れてるんだよなぁ。
「なぁクレアねぇ。そんなに揺らしてお弁当の中身は大丈夫なのか?」
「あぁ……それね。さっきうっかり落として既にぐちゃぐちゃだから心配ないわ」
「うぉい!?」
「――なんてね。冗談よ、冗談。本当は少しくらい揺らしても平気なお弁当なのよ。これ以上は、見てからのお楽しみ」
初心者に作れて、多少は揺れても大丈夫な料理。なるほど、サンドウィッチか――なんて思ったけど黙っておく。
それからほどなく、木漏れ日の下で、クレアねぇの作ったお弁当を食べる。
「どうかしら?」
「……うん、凄く美味しいよ。――味は」
俺は皮肉たっぷりに言い放った。
クレアねぇの作った料理は予想どおりサンドウィッチだった。そして、ミシェルが監修したと言うだけあって、見た目は上々、味も及第点。料理に問題なんてない。
なら、なにが問題かというと――
「それじゃ次、卵サンドね。はい、あーん」
とまぁ、食べ方の方だった。
木の幹に背中を預けて足を投げ出す。そんな俺に跨がったクレアねぇが、サンドウィッチを俺の口元に突きつけている。
「なぁ、なんでこんな食べ方――むぐっ」
反論しようと開いた口の中に押し込まれた。思わず防御姿勢――つまり膝を立てて体を丸めようとして、寸前のところでその反射を押さえ込んだ。
クレアねぇは俺の足を跨いで膝立ちになっている。その状態で俺が膝を立てたものだから、クレアねぇのスカートを押し上げてしまったのだ。
これ以上は、色々と取り返しのつかないことになる。責任を取らされる的な意味で。
正直逃げ出したいんだけど、背後には木があり、足は挟まれている。そしてクレアねぇを突き飛ばしたら、せっかくのサンドウィッチが落ちてしまうかもしれない。
そんな訳で、逃げ場のない俺は仕方なくサンドウィッチを咀嚼する。
状況的には流し込みたい気分なんだけどな。せっかくクレアねぇが作ってくれた初めてのお弁当なので、蔑ろには出来ない。
そう思って味わいながら咀嚼していると、サンドウィッチを持つクレアねぇの指が、そのまま俺の口の中に侵入してきた。
「もがぁっ! ……おいこら、指まで食べさせるつもりか!?」
クレアねぇの腕を掴んで押し返す。その反動でペタンと、俺の足の上に座ってしまったクレアねぇは、少し艶めかしく微笑んで、少し湿った指先をペロリと舐めとった。
どうやら俺を誘惑しているらしい。
「……クレアねぇ、いいかげんにしないと押し倒すぞ?」
「あら、こんな草原の真ん中であたしを抱くつもり? 護衛の騎士が見てるところで? 弟くんがそうしたいって言うのなら、あたしは別に構わないわよ?」
「えぇい、生娘のくせに生意気な」
「弟くんだって、アリスといちゃついてる程度でしょー。しかもそのアリス、あたしが性的な経験を積むためにってプレゼントしたんじゃない」
「がふ……」
そういや、最初はそんな名目だったなぁ。
と言うか、クレアねぇ強すぎ。しょっちゅう言いよられてるのは知ってるけど、誰とも付き合ったことなんてないはずなのに、なんでそんな余裕があるんだよ。
――はっ!? まさか俺の知らないところで、誰かと付き合ってたり!?
「そんなことあるはずないでしょ。あたしは子供の頃から弟くん一筋よ」
「……え? クレアねぇ、もしかして俺の心を読んだ?」
「それもあるはずないでしょ~? 顔に書いてあったのを読んだだけよ」
「そうですか……」
なんというか、根本的なところで負けてる気がする――じゃなくて、
「クレアねぇ、いいかげん上から退いてくれ」
「あら、強がってても、実は一杯一杯だったりするのかしら?」
ふふんと笑ってみせる。そんなクレアねぇを見て、俺は軽くため息をついた。
「強がってるのはそっちだろ。分かってるんだぞ。どうせ初めての手料理を食べてもらうのが恥ずかしくて、あれこれ誤魔化してるんだろ?」
「そ、そそっそんなことないわよ?」
「慌てすぎ。と言うか、心配しなくても本当に美味しいから。だから退いてくれ。せっかくクレアねぇが手料理を作ってくれたんだ。味わって食べないともったいないだろ?」
「……弟くん、分かったわ。……まったく、いつの間にか大人になっちゃって、生意気よ?」
クレアねぇが膝の上から退き、ペタンと芝の上に座る。ほのかに頬が赤くなっているのは、やっぱり恥ずかしかったんだろう。まったく、意地っ張りなんだから。
「むーなんだか、弟くんの表情が生意気よ?」
……鋭い。なんて思った内心は顔に出さず、俺はクレアねぇの持つお弁当箱から、サンドウィッチを一つ掴み、そのまま口に運ぶ。
ただし――自分の、ではなく、クレアねぇの口だ。
「え、なに? どういうこと?」
「食べれば、俺がお世辞を言ってる訳じゃないって分かるかなって思って」
「え、それはつまり……ええっと、あむっ」
クレアねぇがサンドウィッチにかぶりつく。……なるほど。なんか餌付けしてるみたいでちょっと楽しい。少しだけ、あーんをする側の気持ちが分かったかもしんない。
「……うん、たしかに美味しいわね、さすがあたし」
「そこで自画自賛しなきゃ高評価なんだけどなぁ」
「でも、こっちの方があたしらしいでしょ?」
「まぁそうだけどさー」
俺は食べかけのサンドウィッチを、再びクレアねぇに。俺は新たなサンドウィッチを掴み、今度は自分の口に運んだ。
……うん。やっぱり美味しい。もちろん、料理の得意な他のメンバーには負けるんだろうけど、ちゃんと丁寧に作ってる辺りに愛情を感じる。
とまぁそんな風にじゃれあいながら、俺達は昼食を食べ終えた。そうして一息ついていると、隣に座っていたクレアねぇが、俺の方に頭を預けてきた。
「ねぇ弟くん」
「うん? どうかしたのか?」
「……うぅん、なんでもない」
「そっか……」
クレアねぇがなにを言いかけて、どんな思いでその言葉を飲み込んだのか、それをなんとなく理解する。きっと、それは俺の気持ちに関すること。
でもいまそれを口にすれば、この穏やかな時間が終わってしまう。そう思ってクレアねぇは言葉を飲み込んだのだろう。それが分かったから、俺はなにも聞き返さなかった。
いつまでも待たせて悪いとは思うけど、もう少しだけ告白の準備に時間が欲しいから。だからごめんな――と心の中で謝りつつ、寄りかかってくるクレアねぇに俺からも寄りかかる。
そうして……どれくらいそうしていただろう? おもむろにクレアねぇが口を開いた。
「……ねぇ弟くん、今後の目標って考えてる?」
「目標って、なんの?」
「人生の、かしら。弟くんって、幸せになるのが目標だったでしょ? そして、自分のまわりの人にも幸せになって欲しいって、あたし達にも手を差し伸べてくれた」
「まあ、な」
「でもその目標って、ほとんど達成されたようなモノでしょ? もちろん、これからも色んな困難は待ち受けてるかもしれないけど……」
「あぁ、そういうこと」
大切な人が不幸だと、自分が幸せになれない。だから、俺が幸せになるためには、大切なみんなも幸せである必要がある。そう思ってここまで来た。
そしていま、クレアねぇの言う通り充実した日々を送っている。クレアねぇとの関係に対する問題は残っているけど、それだって時間の問題だ。
つまり、クレアねぇと結ばれた後の目標がない。
「そうだなぁ……この国も豊かになってきたし、次は隣国にでも手を伸ばしてみるか?」
西の端から見える海の向こうの大陸。そこには別の国がある。船が発達していないから取引はあまり盛んじゃないけど、皆無というわけではない。
だからこそ、隣国との技術格差が目立ってきた。ごたごたが起きる前に、技術提供を含めて、取引を本格化しても良いかもしれない。
そのためには、安全に行き来出来るような船を作らないと、だけどな。
「隣国かぁ。政治を頑張るのも良いけど、少しノンビリとするのも楽しそうじゃない?」
「……例えば?」
仕事ばっかりしてるイメージのあるクレアねぇにしては珍しい。なので俺は、クレアねぇの意見に興味を持った。
「そうねぇ……みんなでこの国の各地を旅行とか」
「それは、楽しくはあるだろうな……」
「楽しくは、って。なにか問題があるの?」
「あると言うか、起きるというか……」
この世界には写真なんて存在しないから、お忍びで旅行するのは難しくない。難しくないんだけど……果たして身分を隠した程度で、平和な旅行になるのだろうか、と。
……無理だろうな。
「……たしかにあたし達が動いて、なにも起きないって言うのは想像出来ないわね。でも、旅行は楽しいと思うのよね」
「まぁな。でも、行くとして、何処に行くつもりなんだ?」
「アリスの故郷なんてどうかしら?」
「……クレアねぇらしいなぁ」
最初に抱いたのはそんな感想だった。
旅行をしたいというのは本当だろう。そしてアリスの故郷に興味もあるんだろう。だけど一番の理由はきっと、アリスのため。
俺と一緒に帰郷したあの日から、アリスは一度もエルフの里へ帰っていない。
手紙でやりとりをしてるから問題ないとか本人は言ってるけど、たまには里帰りさせてあげたい――と、クレアねぇにはそんな思いがあるんだろう。
「一応言っておくけど、あたしが行ってみたいと思ってるのは事実よ?」
「分かってるって」
「あの自重しないアリスのご両親とか、凄く気になるじゃない」
「……自重しないのは、人のこと言えないと思うぞ? そして、アリスの両親は良識のある普通のエルフ……じゃなかったなぁ、そう言えば」
五年くらい前の記憶を掘り起こしつつ苦笑いを浮かべる。
「弟くんはアリスのご両親に会ったことがあるんだっけ。どんな人なの?」
「超絶親バカのお父さんと、もしかしたらアリスより強いかもしれないお母さん」
「アリスよりって……ホントなの?」
「精霊魔術の腕は、いまのアリスより上かも?」
なにしろ、姿を消すなんて離れ業をしれっとしていた。
透明化と言うからには、光の屈折とかが関係しているんだろう。そう考えると、紋様魔術であれこれ研究してるアリスは、そのうちマスターするかもしれないけどな。
少なくとも、俺はもちろん、今のアリスにも再現は出来ないはずだ。
「うぅん、そんなことを聞かされると、ますます会ってみたくなるわね」
「そうだな。まあ、色々片がついたら、一度みんなで遊びに行ってみようか」
アリスと付き合ってる訳だし、いいかげん挨拶にも行かなきゃいけない。アリスのお母さんは優しげだけど、怒らすと怖そうだしな。
まあそれも、クレアねぇに想いを伝えてからだ。そうして四人で挨拶に行く。そのためにはまず、鉄道馬車を完成させよう。
――そんな風に決意を新たに、俺は鉄道馬車の設置を再開した。そうして毎日視察を続けながら、その都度必要な技術を提供していく。
そんなある日の昼下がり、屋敷で久しぶりの休みを満喫している俺のもとにある報告が届いた。それは、とある少女がクレアねぇを訪ねてきたというモノだ。
ちなみにその少女。色んな意味でとんでもない存在で、これまでで最大級の問題を持ち込んで来たのだけど……この時の俺は、まだそのことを知らない。
次話は二日を予定しています。






