エピソード 1ー7 護るために
ミューレの街にあるグランシェス家のお屋敷。レリック領から帰還した俺は、クレアねぇのいる執務室を訪れていた。
秋雨――と言って良いのだろうか? 世界が違うから気象条件が日本とは異なるはずだけど、窓の外ではシトシトと雨が降り続けている。
そんな景色を眺めながら……俺は深々とため息をついた。隣に座ったクレアねぇが、なぜか俺の腕にしがみついたまま離してくれないからだ。
「クレアねぇ、いつまで抱きついているつもりだ?」
「ん~? 弟くん成分を補給するまでかしら?」
「……意味が判らないし。と言うか、なにかあったのか?」
俺がどこかに出かけたり、クレアねぇがどこかに出かけたり、一ヶ月くらい別行動をすることは珍しくない。それなのに、二週間程度でこの甘えぶりは異常だ。
「別に、なにもないわよ?」
声に違和感はなかったと思う。けど、俺の腕を抱きしめている体がぴくりと震えたのでバレバレだ。
「俺に心配をかけたくないのは分かるけど、隠された方が心配することだってあるんだぞ?」
「むぅ……イジワル。弟くんに心配するとか言われたら、白状するしかないじゃない」
「すれば良いじゃないか。と言うか、なにがあったんだ?」
「実は最近、お見合い話が増えてるのよ」
「……そんなことを言ってたな。そんなに多いのか?」
「あたしもいい歳だしね。最近どんどん増えてるわよ。あたしと結婚すれば、グランシェス家の実権を握れるって勘違いしてる連中が、ね。ってな訳だから、弟くん助けてよ~」
クレアねぇが甘えた口調で泣きついてくるけど、子供の頃とは状況がまったく違う。いまなら、例え王族に結婚を迫られたって、はねのけられるだろう。
「クレアねぇなら、自分でなんとかできるだろ」
「たしかにただお見合いを申し込まれるだけなら、断るのは難しくないわよ? でもね、あの手この手を使って申し込んでくるから、断るのが大変なのよ」
「……あの手この手って、例えば?」
「遠い親戚だから、これを機会に仲良くしましょう、とか」
「それ……結局は、お見合いの話なんだよな?」
「他にも、お金の無心なんてパターンもあるわよ?」
「どっちにしてもろくでもないな。最初から追い返せば良いじゃないか」
もちろん、分かりにくい場合もあるだろう。けどクレアねぇには人を見る目と、様々な人物に対する知識がある。初見で見抜くのも不可能じゃないはずだ。
「それ、弟くんが言っちゃうの? 弟くんが、可能な限り敵を作らない方針で行こうって言うから、あたしはこんなに苦労してるのよ?」
「な、なるほど……」
言われてみれば、お見合いであろうが、お金の無心であろうが、門前払いにすれば恨まれる可能性は高いだろう。それが例え、逆恨みであったとしても。
俺が恨まれるだけならどうでも良いけど、まわりのみんなにとばっちりが行くかもしれないことを考えると、迂闊な行動は取れない。
「……ごめん、クレアねぇ。がんばって」
取り敢えず、それが一番無難な対処方法だろう。クレアねぇのストレス的な問題を無視すれば。という訳で、クレアねぇは「むううう」と唇を尖らせた。
「弟くんのイジワル。ばーかばーかっ、お腹痛くなっちゃえっ」
「子供かっ」
反射的に突っ込みを入れたものの、面白くない状況なのもまた事実。
なにがと言うと、もちろんお見合いの件だ。
まったく、誰に断って求婚してるんだ。クレアねぇは俺のだぞ――と、そこまで考えてから自覚する。クレアねぇを他の誰かに渡すなんて考えられない。
いままでは血が繋がってるからって躊躇っていたけど……他の誰にも渡さないのなら、答えは一つしかない。なんて考えていると、クレアねぇはところでと話を変えてしまった。
「弟くん。レリック領は楽しめたかしら?」
「あぁうん。トレバーとは久しぶりにゆっくり話してきたよ。ただ……」
俺は少し迷った末に、メイソンさんの件を伝えておいた。
どうせティナがあとから報告するはずだ。ティナが情け容赦なく報告する前に、俺が少しでもオブラートにくるんで説明しておいた方が良いと思ったのだ。
そう思って話し終えたとたん、クレアねぇががばっと頭を下げた。
「ごめんなさい、あたしのせいだわ」
「……なんでクレアねぇが謝るんだ? クレアねぇは別に悪くないだろ?」
「うぅん、あたしのせい」
クレアねぇはそんな前置きを一つ、実は――と、事情を話してくれた。それによると、レリック家はこの国の第一王女、ノエル姫殿下を支持する派閥に所属しているらしい。
だから、お飾り当主――だと思われている俺が視察に出向いたのを、アルベルト殿下と懇意にしているうちが、レリック家を冷遇した結果だと誤解したのだろうって話だった。
「別の派閥って言っても……うちは、何処も平等に扱ってるだろ?」
「今のところはね。けど、アルベルト殿下と急に仲良くなったから、ノエル姫殿下を支持している貴族は少し過敏になっているみたい。そういう事情もあって弟くんに行って貰ったんだけど……まさか、トレバーが父親であるメイソンさんと不仲だったなんてね」
「そう、だな……」
トレバーとメイソンさんの仲が良ければ、こんな誤解は生じなかった。クレアねぇにとっては、計算外の出来事だったのだろう。
「本当に、ごめんなさいね。あたしの見通しが甘かったわ」
「いや、それはいいんだけど……実はトレバー経由で、メイソンさんに苦情がいくことになってる。と言うか、もう話してると思う」
俺はトレバーと話した内容を、出来るだけ正確に伝えた。
「あぁ、そういうこと。それなら問題はないわ。向こうも今頃は誤解に気付いてるでしょうしね。あたしから連絡を取って和解しておくわ」
「……申し訳ない」
「良いのよ。それより話が大きくなったら、弟くんがお飾り当主なんかじゃないって噂が一気に広がるかもしれないわ。今のうちに口止めしておこうか?」
「いや、それは覚悟の上だから気にしないでくれ」
「へぇ……少し意外ね。なにか心境の変化でもあったのかしら?」
「それは……まぁ、ちょっとな」
クレアねぇやみんなに迷惑をかけたくないと思ったんだけど、今はまだクレアねぇには秘密。ということで言葉を濁す。そして話を変えるために、そういえばと切り出した。
「今回みたいな件って、放っておいたらやっぱり問題になるのか?」
「それはそうよ。子爵家の採掘を手伝うために、わざわざ伯爵家の当主が出向いたのよ? それに対して礼を欠くなんて、うちが馬鹿にされてるって意味だもの」
「メンツを潰されたって感じか」
「そうね。ただ、グランシェス家が――と言うよりも、みんなのメンツかしら? 弟くんの能力を知ってる人にとっては、今回の視察は凄く羨ましいモノだもの」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないわ。実際グランプ侯爵様なんて、『うちにはリオンが直々に視察に来たんだぞ、どうだ羨ましいだろう!』って感じで、密かに自慢してまわってるわよ」
「そうなのか……と言うか、密かに自慢ってなんだ?」
「弟くんは、目立つのが嫌いだったでしょ? だから弟くんの話をするのは、弟くんのことを知ってる相手にだけって暗黙のルールがあるのよ」
「……マジか」
それで俺のことを知ってる相手にだけ自慢してまわってるって意味か。そんな状況で、良く俺の噂が広まらないでいるな。
みんなの口が硬いからか、情報伝達の遅い世界だからか……両方かな。
「それなのに、もしメイソンさんがうちにはお飾りの当主が来た。なんて態度を取ったことが他の貴族の耳に入ると問題になるでしょ? だからあたし達が誤解だって分かってても、放置は出来ないのよ」
「みんなに迷惑をかけるから、か……」
言われてみれば納得だ。直接ではないにしろ、俺が視察に来たとはしゃいでるクレインさんを馬鹿にしてるようなモノだもんな。
俺はいままで、自分が表に立つ必要なんてないと思ってた。一部の人間にお飾りの当主だなんて言われても、分かってくれる人がいれば問題ないと思ってた。
けど……そうじゃなかった。
俺が表舞台に立つのを避けることで、俺を支持してくれている人に迷惑をかけていた。そしてソフィアやティナにも嫌な思いをさせてしまった。
なにより、クレアねぇを矢面に立たせてしまっていた。これ以上、そんな状況を甘受するなんて出来ない。だから――
「……ごめん、クレアねぇ」
俺はクレアねぇに向かって頭を下げた。
「さっきも言ったけど、弟くんが謝る必要なんてないわよ?」
「いや、謝らせてくれ。俺が間違ってた。クレアねぇに甘えてた」
「そんなの……気にする必要はないわ。あたしはあなたのお姉ちゃんで、あなたはあたしの弟くんなんだから、いくらでも甘えて良いんだから」
クレアねぇはそう言ってくれるけど、俺は首を横に振って見せる。クレアねぇが良いと言ってくれたとしても、俺が納得出来ないから。
「気持ちは嬉しいけど、クレアねぇに甘やかされるだけなのは嫌なんだ。だから……いままでごめん。これからは、俺もちゃんと表舞台に上がるよ」
それは――みんなに迷惑をかけないために。
でも、それだけが理由じゃない。
メイソンさんが、自分の息子とクレアねぇをお見合いさせようとしているって話を聞いて、ようやく実感したんだ。クレアねぇを、他の誰にも渡したくないって。
でも、いまの俺が声高に叫んでも、お飾りの当主のくせにって言う連中は絶対にいる。
もちろん、グランシェス家の力を使えば、その声を黙らせるのは簡単だ。けど、それじゃダメだ。今回みたいに、クレアねぇに護られるだけの自分でいたくない。
だから、俺は表舞台に上がる。そうしてクレアねぇに護られるだけじゃなくて、クレアねぇを護れるような地位を手に入れる。誰かに言われたからじゃなく、俺自身がクレアねぇを幸せにしたいから――と、そんな決意を胸に、窓から空を見上げる。
秋の長雨は、今もまだ降り続いていた。
次話は23日を予定しています。






