エピソード 1ー4 ありふれた日常の価値
ソフィアはこのところずっと、エリーゼさんのところに通い詰めだった。
けれど、今日はミューレの屋敷に戻っているようなので、俺はソフィアを探して屋敷を歩き回る。そうしてようやく、食堂でアリスとお喋りをするソフィアを見つけた。
「あ、リオンお兄ちゃん」
俺を見つけて微笑む彼女はもうすぐ十三歳。セミロングの金髪に、深く吸い込まれそうな紅い瞳。ゴシックドレスに身を包む、ビスクドールのような美少女……なんだけど、なにやらその顔が、深紅の瞳と同じくらい真っ赤に染まっている。
「なんか顔が赤いけど……風邪か?」
最近根をつめていたから体調を崩したんじゃないのかと心配する。
「えへへ、のぼせただけだから、だいじょーぶらよ」
言われてみれば、いつもはふわゆるな金髪がしっとりと濡れている。見ればアリスの方も濡れているので、二人で長湯でもしてたんだろう。
「風邪じゃないなら良いけど、長湯も程々にしろよ。ろれつが回ってないのは、さすがに危ないんじゃないか?」
「うぅん。のぼせたのは長湯のせいじゃなくて、アリスお姉ちゃんから読み取った記憶が凄かったからだよぉ~」
なんのことだと考えたのは一瞬。ソフィアの持つ恩恵で、アリスの経験した夜の秘め事を追体験したのだと理解する。俺はぎぎぎっと首を動かしてアリスを見た。
「えへっ。このあいだのあれは、さすがにソフィアちゃんには早かったみたい」
「みたい、じゃねぇだろおおおおおおおおおおおおおおおぉおっ!?」
思わず心の底から叫んだ。厨房の方から使用人が何事かと顔を出し、なんだいつものあれかという感じで帰っていく。
「……なにをそんなに怒ってるの? このあいだのあれはさすがに秘密だった?」
「いやいやいや、このあいだのあれがどれかは知らないけど!」
「ほら、ミューレ学園の制服を着用して、夕暮れの空き教室で――」
「――あれがどれだか知らないけど! もうちょっと自重しようよ。なんで日常的に追体験させてるんだよ!?」
「リオンがソフィアちゃんに言ったんでしょ? 私が了承したら構わないって」
「それは、そうだけど……」
「リオンが了承してるのに、私が断ると思う?」
「それも、そうなんだけど……」
「そもそも、ソフィアちゃんと付き合ってるのに、いつまで経っても手を出さないリオンが悪いんでしょ?」
「うぐぅ……」
そうなんだよなぁ……なんでそんな約束しちゃったんだろ。さすがのアリスもそこまではしない――と、なぜそんな幻想を抱いたのか。
……まあな? 清らかな乙女であるソフィアが、知識だけは蓄積していくって言うのは、それはそれでありだと思うんだけどさ。いつか俺の手に負えなくなりそうで怖い。
「大丈夫だよ、リオンお兄ちゃん。その時はソフィアがリードしてあげるから」
「……ソフィア、俺の煩悩を読み取るのはお願いだから止めてくれ」
と言うか、最近頭の中がお花畑みたいな会話が多すぎる。さっさと本題に入ろう。
「ソフィア、エリーゼさんの調子はどうだ?」
「お母さんは……少しずつ元気になってきてるかな。まだ起き上がったりは出来ないけど、このまま快復に向かうと思うって、新しい薬師さんが言ってた」
「そっか。仲直りは……したんだよな?」
「うん。それで、最近は早く孫が見たいって」
「へ、へぇ……そうなんだ? それで、なんて答えたんだ……?」
「ソフィアはまだだから、アリスお姉ちゃんの方が先だと思うよ~って」
「ぐおおおおお、一体何処まで話してるんだよぉ」
「アリスお姉ちゃんの記憶を読み取って、お勉強してるだけってところまでだけど?」
「ぎゃああああああああああああああああっ!?」
なんという、なんという羞恥プレイ。
色々な事情があるとは言え、エリーゼさん視点で考えれば、俺がアリスの記憶を使って、ソフィアを自分好みに調教してるようにしか思えないだろう。
いや、何割かはその通りなんだけども。彼氏の性癖を自分の母親に報告とか、絶対やっちゃダメな奴だよ! ダメな奴だよ――っ!
「もうダメだ……グランシェス家の当主であるリオンは、幼女を調教するヘンタイさんだって噂されて生きていくんだ」
「それ、だいぶ前から噂されてるよね? パトリックさんがデマを流したせいで」
「くっ……殺せっ!」
ソフィアの無邪気な突っ込みをくらい、俺はテーブルにがくっと突っ伏する。
「そのセリフ、リオンが言っちゃうんだ……」
アリスがそんなセリフを呟いているけど、なんで幼くして死んだ紗弥が、くっころを知ってるんだよとか突っ込む余裕はない。
……いや、いま突っ込んじゃった訳だけど。
実は最近、いつものことだからと慣れてきた気がする。という訳で、俺はすくっと起き上がって復活。喉が渇いたから、なにか頼むことにした。
いや、決して恥ずかしいから強引に話を変えようとしている訳はなく。
「ついでになにか軽く食べようかなぁ。二人はなにか頼んだのか?」
「ソフィア達もこれからだよ。と言うかリオンお兄ちゃん。なにか食べるのなら、ソフィアの作った新作を試食してくれないかな?」
「……新作?」
「栗のクリームをベースにした冷たいケーキだよ」
栗のクリームを使ったケーキって言うとモンブラン……いや、わざわざ冷たいケーキってことはちょっと違うっぽいな。
たしかモンブランの原型となったのが、ペースト状の栗に生クリームをのせた冷菓だったはずだから、そっちの方が近そうだ。
「ソフィアが独自で作ったのか?」
「ケーキを考えたのはソフィアだよ。でも栗がデザートに合うって教えてくれたのは、アリスお姉ちゃんなんだけどね」
「なるほど……」
それだけでモンブランの原型を作り出すとか、すっかりパティシエになってるな。
俺もアリスも、そんなに多くの料理を知ってる訳じゃないから、ソフィアがお菓子をどんどん開発してくれるのはありがたい。
「どう、かな? 試作だから、まだそんなに美味しくないかもだけど……」
「それじゃ、そのケーキを食べさせてもらおうかな」
「ありがとう! それじゃさっき作ったのがあるから、紅茶と一緒に持ってくるね!」
言うが早いか、ソフィアは厨房に飛んで行ってしまった。
「リオンはソフィアちゃんに愛されてるね~」
アリスがぽつりと呟くけど……
「愛されてるのは否定しないけど、なんでこのタイミングで言った?」
「なんだ、気付いてなかったの? ソフィアちゃんは試食なんて言ってたけど、ほんとは完成してるはずだよ」
「そうなのか? じゃあ、作ってあるって言うのは……」
「リオンに一番に食べてもらうために作ったに決まってるじゃない」
「そう、なんだ……」
なんだろう。ちょっと嬉しい。
「ダメだよ、リオン。ソフィアちゃんがどれだけ頑張ってるか、ちゃんと考えてあげないと」
「なんだよ、急に」
いつの間にか、アリスの口調が真剣になっていることに気付いて首をかしげる。見れば、アリスの蒼い瞳が、真っ直ぐに俺を捉えていた。
「当たり前の幸せが当たり前に続くとは限らない。私達はそれをよく知ってるでしょ?」
「そう、だな……」
家族みんなで過ごす、ありふれた日常。
前世の俺は、そんな毎日が普通に続くと思っていた。けど、両親を不治の病で失い、紗弥と二人っきりになって気が付いた。
当たり前だと思っていた毎日は当たり前なんかじゃなくて、とても尊いモノだったって。
きっと、いまもそうなんだろう。
アリスがいて、ソフィアがいて、クレアねぇがいて、そしてみんながいる。大切な人達と過ごす、穏やかな日常が当たり前になりつつある。
けど、それが一年後も続いているとは限らない。だから、今の環境に安心しないで、一年後も続いているように、努力を続けないといけない。
「ありがとな、アリス。ソフィアにはあとでちゃんとお礼を言っておくよ」
「うん。そうしてあげて」
「だから、いまはアリスにお礼を言っておくよ」
「……うん? どういうこと?」
「アリスが言ってくれなきゃ、俺はきっと気付かなかったから」
アリスはいつもこんな風に助言をくれる。それもきっと、本当は特別なこと。そう思ったから、俺は「ありがとう」ってアリスに伝えた。
「ふふっ、どういたしまして、だよ」
何気ない風を装っているけど、その仕草はどことなく嬉しそうだ。だけど、そうして微笑んでいたアリスの表情がいたずらっぽいモノへと変化した。
「……なんだよ?」
「べっつに~。ただその調子で、クレアにも想いを伝えて上げれば良いのにって思っただけ」
「……アリスまでそれを言うのか」
「それは言うよ。さっきも言ったけど、幸せな日々が当たり前のように続くなんて幻想だよ? 幸せは、ちゃんと努力しないと逃げちゃうんだから」
「大丈夫、ちゃんと分かってるよ」
「だったら良いけど、さ。クレアがいつまでも待ち続けるとは限らないんだよ。……なんて、さすがに想像出来ないけどね」
「そう、だな……」
あのクレアねぇが俺のことを諦める。そんな未来は想像出来ない。
だけど……前世では両親がある日、突然に病気で死ぬなんて思ってもいなかったし、自分や紗弥が同じ病にかかるとは夢にも思っていなかった。
この世界でも、クレアねぇと出会った頃はこんな風になるとは想像もしていなかったし、父が殺されるなんて夢にも思っていなかった。
人生は、予測出来ないことばっかりだ。
だから、クレアねぇの心変わりだって有り得ないことじゃない。……なんて、やっぱり想像出来ないんだけどさ。でも、このままじゃいけないのは良く判っている。
「心配かけてごめん。でも、ちゃんと分かってるから」
「……そっか。なら、私はこれ以上なにも言わないよ」
アリスはクレアねぇのことだけじゃなく、俺のことも心配してくれている。それが分かるから、俺はもう一度アリスに感謝の気持ちを伝えた。
「ところでアリス、今度時間を空けられるか?」
「ん? なにかあるの?」
「ソフィアを誘って視察に出かける予定なんだけど、アリスも一緒にどうかなって」
「視察……って、何処?」
「レリック領。トレバーの実家らしいぞ」
「へぇ~そうなんだぁ。興味はあるけど……今回は遠慮しとくよ」
「ソフィアに遠慮してるのか?」
「それも少しだけあるけどね。いまはアリスブランドの総力を挙げて、新しい洋服の開発中なんだよね。だから、いまはそっちが優先かなぁ」
アリスは悪戯っぽく微笑んで、テーブルに頬杖をついた。
その姿は凄く可愛いんだけど……
「なぁアリス。いま気付いたんだけど……その服、露出過多じゃないか?」
アリスが着ているのは、胸元が大きく開いた肩出しのブラウスだ。ボレロを羽織ってはいるけど、シースルーでほとんど意味をなしていない。
しかも、テーブルに身を乗り出して頬杖をついているせいで、豊かな胸の谷間がこれでもかと自己主張をしている。いくらなんでも見えすぎだ。
「リオン的には、見えて嬉しいでしょ?」
「……否定はしないけどな。他の奴らに見られるのは面白くない」
正直に言ったらくすくすと笑われた。
「そう言うと思った。でも安心して良いよ。ちゃんと上着を羽織ってるから」
「上着って言っても、シースルーじゃないか……って、まさか?」
「あったりー。このあいだの水着と同じ原理だよ。リオンには見えない生地の応用。リオンにはシースルーに見える生地だよ」
「……そっか。と言うか、総力を挙げて開発中ってそれか」
なんだろう。驚くとか、呆れるとかじゃなく、それなら他の奴らに見られないから良いやとか思ってしまった。なんか最近、アリスチートに毒されてきた気がする。
「――おまたせ……って、どうかしたの?」
トレイにケーキセットを乗せたソフィアが帰ってくる。
「なんでもないよ。それよりソフィア、今度レリック子爵家の領地まで視察に行くんだけど、良かったら旅行がてら一緒に行かないか?」
「え? ソフィアもついていって良いの?」
「むしろダメな理由がないな。ただ……往復二週間くらいかかるから、そのあいだはエリーゼさんのところに行けないけど……」
どうすると聞くと、ソフィアは少し考え込むようなそぶりを見せた。
「そう、だね……お母さんは、最近元気になってきたから大丈夫だと思う。ソフィアも、リオンお兄ちゃんと一緒にお出かけしたいから、お母さんに行っても良いか聞いてくるね!」
言うが早いか、ソフィアはトレイをテーブルの上に放り出し、クルリと身を翻した。
「え、おい。行くっていまからか?」
「大丈夫、馬を駆っていくからーっ!」
「いや、馬って。せめて護衛を。エルザ、エルザ――っ!」
俺は慌てて誰か護衛をつけるように指示をだした。まったく、ゴシックドレスで馬に跨がって出かけるとか、行動力ありすぎである。
活動報告でちらっと書きましたが、初めてレビューををいただきました!
なろうでレビューをいただくのは密かな目標の一つだったので、重要なお知らせにレビュー新着メッセージがあるのを見たときは思わず小躍りしました。
ちなみに今回いただいたのは青い鳥症候群のレビューです。気になった方はぜひご覧ください!
なお、次話は14日を予定しています。






