エピソード 2ー5 穏やかな日々。そして――
アリスとの共同生活。
俺はマリーの目を盗んでは、アリスとの密会を……じゃなかった。マリーに毎晩密会をしていると見せかけ、アリスから様々なことを学んだ。
エルフという種族をあまり知らない俺にとっては意外でもなんでもないんだけど、アリスはほぼ見た目通りの年齢で、俺より八つ年上の十七歳。
世界を回ったのは数年程度らしい。
それでも、好奇心旺盛な性格だからだろう。その知識量は凄まじく、俺の望んでた作物などの知識は十分に手に入れることが出来た。
いずれはあれこれ取り寄せて、内政チートを始めるのも夢じゃないだろう。
なにより嬉しかったのは、アリスに魔術の知識があったことだ。そのお陰で、俺は念願の魔術の修行を始められた。
もっとも、俺が習ったのは魔術の基礎訓練だけで、肝心の使い方はまだ習ってない。
魔術の習得は魔術師のサポートがなければ難しく、魔術を封じられているアリスにそれが出来ないからだ。
それでも、アリスを奴隷から解放したら教えて貰う約束は取り付けてあるので、今からその日がくるのが楽しみで仕方ない。
そんなこんなで充実した月日は流れ――俺は再び誕生日を迎えて十歳になった。
「はぁ……はぁっ」
「ほらほら、どうしたアリス。もう息が上がってるぞ?」
「はぁ……ど、どうしてリオン様はそんな体力があるんですか? はぁっ、私だって毎日一緒に走ってるのにぃ~」
暖かくなり始めた、走りやすい季節。アリスと一緒に屋敷の周りを走っているのだけど、さっきからアリスは息も絶え絶えで苦しそうだ。
一日およそ十五㎞をゆっくりなペースで走る。それを三日繰り返しては一日休みというメニュー。十歳の俺が走るのは無茶な距離かも知れないけど、十八歳になったアリスはいいかげん慣れても良いと思う。
あ~でも体質なのかな? 毎日走ってても手足は細いままだし、持久走は向いてないのかも知れないなぁ。などと思いつつも、一緒に走るのは止めさせないけどな。
だって、誰かと一緒に走る楽しみを覚えちゃったからな。アリスには悪いけど、これからも付き合って貰おう。
そんな風に考えながら、最後の一周を終える。
「はぁはぁ……やっと終わったよぉ~」
「こらこら、走り終わったらちゃんとクールダウンしなきゃダメだぞ?」
「判ってますよぉ……」
アリスは愚痴りながらも座ったままストレッチを始める。
持久力はいまいちだけど、体はすっごく柔らかいんだよな。両足を開いて曲げた上半身が、ぺったりと芝生の地面に押しつけられている。
「リオン様、ど こ を、見てるんですか?」
「どこって……」
アリスは悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見ながら、リズム良く芝の地面に上半身を押しつけている。その度に豊かな胸が地面に押しつけられて形を変えていた。
「……誤解だぞ? 俺はただ、柔らかいなぁって思っただけだからな?」
「そうですね。私の胸は柔らかいと思いますよ?」
「だから違うって! って言うか、判っててからかってるだろ?」
「あはは、すみません。でもリオン様が悪いんですよ? 私のことをじーっと見つめたりするから。リオン様もついに、そう言うお年頃なのかと思っちゃいました」
そう言ってクスクスと笑う。相変わらずの敬語だけど、随分と柔らかくなったと思う。いや、胸でも体でもなく、対応の話だけどな。
そうして朝の日課をこなしていると、お世話役兼お目付役のマリーがやって来た。
「リオン様、御当主がお呼びです。準備をして、本宅の執務室までお願いします」
「ん、なんだろ?」
「詳しくは御当主にお聞き下さい」
マリーは素っ気なく言い放ち、アリスへと視線を向ける。
「今日も大変ですね」
「走るのは大変ですけど、リオン様と一緒に運動をするのは楽しいですよ。マリーさんも一緒にいかがですか?」
「いえ、私は仕事があるので遠慮しておきます。それでは」
マリーは軽く会釈をして、そのまま立ち去っていった。
俺とは相変わらず最低限のやりとりしか話してくれないのに、アリスはいつの間に仲良くなったんだ。なんか負けた気がする。
……っと、父を待たすのはまずいな。なんの用事かは知らないけど行ってみよう。
「悪いけど、アリスは離れで待っててくれるか? 自由にしてて良いからさ」
「はい、それじゃ大人しく待ってます。問題を起こしたりしないから安心して下さいね」
何故にフラグを立てたし。
――父の呼び出しは、ソフィア嬢と会う段取りが決まったという知らせだった。結婚前に親睦を深めるという理由で、俺がスフィール家を尋ねることになったそうだ。
そんな訳で数日後。
護衛――盗賊の類いから俺を護る為か、それとも俺が逃げないようにする為かは判らないけど――に連れられて、俺は馬車でスフィール家の領地へと向かった。
ちなみに、スフィール領とうちは隣り合っているので距離は意外と近い。そんな訳で馬車に揺られること三時間。俺はスフィール家の屋敷に到着した。
「グランシェス家の次男、リオンと申します。この度は、突然の申し出を受け入れて下さってありがとうございます」
「良く来てくれた。俺はスフィール家の当主カルロス。そしてこっちが妻のエリーゼだ。君を歓迎するよ」
「ありがとうございます」
俺は一度お辞儀し、改めて二人に視線を向ける。
カルロスさんは、蒼い瞳に茶色の髪か。古くから貴族の家系はブロンドの髪が一般的なはずだから、スフィール家の当主が茶髪なのは少し意外だ。
あぁでも、妻のエリーゼさんの方は鮮やかな金髪だな。
「リオンくん、来る時にスフィール領の街を見たと思うが、君の目にはどう映った?」
「えっと……」
率直に言えば、のんびりとした田舎町といったイメージ。だけど、自然の豊かな領地というのは、この世界じゃ褒め言葉にならないよな?
「貴方、リオンくんはまだ十歳なのよ? そんな質問をしても困らせるだけよ」
「おっと、確かにそうだな。いや、すまない。名高きグランシェス伯爵のご子息の目にどう映るか、つい気になってしまってな」
「素晴らしい土地だと思います」
「ふっ、そうか。ありがとう」
返答に遅れたせいでお世辞だと思われた可能性は高いけど、今のは俺の本音だ。これだけ豊かな土地があれば、アリスに教えて貰ったあれとかこれが育て放題だ。
俺がスフィール家に婿入りすればの話、だけどな。
「さて、それで肝心のソフィアなのだが……すまない。娘は人見知りでな。リオンくんが来ると知って、部屋に隠れてしまったのだ」
部屋に……隠れた? もしかして、ソフィアにとっても、これは望まない結婚だったりするんだろうか? ……って、考えるまでもないな。会った事もない女の子が俺に惚れてるはずもないし、相手にとっても親が勝手に決めた結婚なんだろう。
「それじゃ……会うのは難しいですか?」
「それなんだが。執事に案内させるので、直接部屋を尋ねてみてくれないか? ……レジス、彼の案内を頼む」
カルロスさんが声を掛けたのは、部屋の隅で控えていた初老の男だった。
執事と言うが、やたらと体格が良い。どちらかというと、引退した熟練の騎士と言ったイメージである。
「かしこまりました。それではリオン様。お嬢様のお部屋までは、わたくし――レジスが案内いたします。どうぞこちらへ」
「よろしくお願いします」
俺は執事に従って応接室を退出。そのまま後を追いかけて屋敷の廊下を歩く。
「レジスさん、一つ聞いても良いですか?」
「わたくしはただの執事。どうぞレジスと呼び捨てになさって下さい。そのような敬語も必要ありません」
あ~そっか、そうだよな。妾の子供だから自覚はなかったけど、俺も対外的には伯爵家の次男。執事に敬語を使ったら相手の方が困るか。
「それじゃ、レジス。一つ聞いても良いか?」
「何なりとご質問下さい」
「じゃあ聞くけど、ソフィアはこの結婚に否定的なんじゃないか?」
「……そのような質問をなさるのなら、予想がついておいでなのではありませんかな」
「まぁな。会ったこともない相手と結婚とか言われても怖いよなぁ。ましてや、ソフィアってまだ七歳らしいし、無理もないよ」
「そう言うリオン様も十歳だと記憶していますが、随分と達観していますな」
「え? あぁ、うん……まぁ色々あってな」
「ふむ。その年で随分と苦労をされているご様子」
そうそう。不治の病で闘病生活の末に、死んで異世界に転生したりな。なんて、ちょっと言ってみたい。いや、言ったら正気を疑われるに決まってるから言わないけど。
「しかし、解せませんな。それが判っていながら、どうしてソフィア様に会いに来られたのですか?」
「どうせ結婚しなくちゃいけないなら、お互い納得できた方が良いと思ったんだ」
「会えば納得出来ると?」
「どうかな。判らないから会ってみるんだ。お互い一目惚れをする可能性もゼロじゃないだろ?」
政略結婚だと考えるからつい否定的に考えちゃうけど、お見合いだって考えれば、自分と似た家柄の、三つ下の女の子って言うのは悪い相手じゃないはずだ。
もっとも、会うまで見た目や性格が判らない上に、例えどんな相手でも拒否権がないお見合いだけどな――って、そう考えたら不安になってきた。
いかんいかん、前向きに考えよう。
「取り敢えず、仲良くなる努力もしてみるつもりだ」
「努力、ですか?」
「小細工とも言うけどな。部屋に行く前に厨房を貸してくれないか? とっておきの秘密兵器を用意するからさ」
そうしたら、いよいよ婚約者様とのご対面だ。
 






