エピソード 4ー5 犯人の影
「なっ、キモが盗まれたって――」
「――どういうことなの!?」
飛び起きた俺の横で、隣で寝ていたアリスが跳ね起きた。
「アっ、アリス嬢もいたのか。す、すまない、ノックもしないで」
エリックさんが顔を赤らめて視線を逸らす。どうしたのかとアリスを見ると、寝間着代わりの薄いネグリジェが肩から滑り落ち、胸元まであらわになっていた。
俺は無言でアリスの腕を掴み、布団の中に引きずり込んだ。そうしてアリスを隠し、あらためてエリックさんに視線を戻す。
「それで、キモが盗まれたってどういうことなんだ?」
「――っと、そうだったな」
エリックさんは実は――と、明後日の方を向いたまま、詳しい事情を話してくれた。
それによると、早朝の見回りをしていた騎士が、荒らされた調合室でセスが倒れているのを発見したらしい。
「セスは無事なんですか?」
「頭に怪我をしていたが、命に別状はない。すぐに目を覚ましたそうだ。ただ、被害を調べたところ、キモが盗まれていてな」
「そう、ですか……」
セスが無事なのは良かった。けど、リュクスガルベアのキモがなければクスリは作れない。目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。
「こんなことになってしまって申し訳ない。完全に俺の落ち度だ」
エリックさんが深々と頭を下げる。
正直、言いたいことはいくらでもある。だけど俺は、それら全てを飲み込んだ。責任の追及なんかより、重要なのはこれからどうするか、だから。
「犯人の目星はついているんですか?」
「治療が終わり次第、セスに事情を聞くつもりだ。そのときに、キミにも同席してもらいたくて、ここに来たんだ」
「……分かりました。それで、ソフィアには……もう話したんですか?」
「いや……まだだ。言った方が良いと思うか?」
「そう、ですね……セスさんの話を聞いてから決めましょう」
ソフィアはこれでエリーゼさんを救えるって凄く、凄く喜んでいた。そんなソフィアに、キモが盗まれたからエリーゼさんを救えないかもなんて出来れば言いたくない。
セスの話を聞いてから判断しても遅くはないだろう。
「そう、だな。ではその様に取りはからおう。では先に行っているから、準備が出来たら調合室まで来てくれ。案内のために、外にメイドを待たせておこう」
「分かりました。直ぐに向かいます」
それから最低限の身だしなみを整え、俺とアリスは急いで調合室へと足を運んだ。
そうしてたどり着いた調合室。ずいぶんと荒らされた部屋の片隅で、エリックさんとセスが向き合っていた。
「来てくれたか。ちょうどいまから事情を聞くところだ」
「分かりました」
俺は事情聴取を横で見守るべく、部屋の片隅を陣取った。。
「さて、セスよ。昨日なにがあったか話してくれ」
「はい。昨夜はキモを乾燥させる作業と、それに並行して他の作業を進めていました。ですが、物音を聞いて振り返ると、そこに覆面の男が立っていたんです」
「……ふむ。その男は何者だ?」
「申し訳ありません。抵抗する暇もなく殴られて気を失ったようなので、何者かは分かりません」
「そうか……他になにか気が付いたことはないか?」
「申し訳ありません。なにぶん、突然のことでしたから
有益な情報が得られなかったからだろう。エリックさんは少し落胆した様子を見せ、俺達の方へと視線を向けた。
「キミ達からなにか聞くことはあるか?」
「……そうですね。突然のことと言ったが、侵入者の体格くらいは覚えていないか?」
「ええっと……たしか、身長は私とさほど変わらず、体格も平均的だったと思います」
中肉中背ってところか。それじゃまったく絞れないけど……もしかしたら、と言う予想はある。俺はそれを確認するために決定的な特徴を口にした。
「その男は……金髪碧眼じゃなかったか?」
その質問に、セスやエリックさんが息を呑んだ。金髪碧眼と言えば、その多くが貴族か、その血縁だからだだろう。
「……い、言われてみれば、覆面から見える瞳は碧眼だった気がします。ハッキリとは覚えていませんが……」
「そう、か……」
俺はアリスに視線を向ける。同じことを考えたのだろう。アリスはこくりと頷いた。
「リ、リオンくん。さっきの質問はどういう意味なんだ? まさか、スフィール家の関係者が犯人だと疑っているのか?」
「あぁいえ、ご心配なく。俺が予想しているのは別の人間です。俺に恨みを持っている人物がいるので」
クレインさんから気を付けろと言われていた相手、パトリックのことだ。
――今回の事件。不可解な点が一つある。それは、犯人がどうしてリュクスガルベアのキモを持ち去ったのかと言うこと。
知らない者が見れば、世界樹の葉はただの葉っぱにしか見えないだろう。地竜の爪だって似たようなものだ。だけど、それはキモだって同じだ。
それなのに、キモだけを盗んだ。それには必ず理由があるはずだ。そして、そう考えると一つの理由が思い浮かぶ。
マックス達に先を越されたあと、全国に俺の名前で依頼を出した。俺がリュクスガルベアのキモを求めていることは、多くの者が知っているだろう。
もし俺に恨みを持つ者の犯行なら、キモを盗んだのにも説明がつく。
「それで、その恨みを持つ人物というのは?」
「パトリックです」
「パトリック? しかし彼は、ロードウェル子爵家を勘当されたのだろう? リオンくんに復讐する余力などあるのか?」
「……それが引っかかってるんですよね」
パトリックは魔術を使うから、侵入出来ないとは言い切れない。
だけど、調合室の場所なんて、先日まで俺も知らなかった。迷わず侵入するには、内部事情を知る必要があるだろう。
そうなると……
「考えたくないけど、内通者がいるのかもしれないね」
アリスが俺の思考とシンクロするように呟いた。
「内通者だと? その様なことが……いや。しかし、そうでも考えなければ、調合室に忍び込むのは難しいか」
「おそらく、ですけどね。私の気配察知と同じような恩恵を持ってる人を雇ったなら話は別ですけど……いまのパトリックに、そんな余力はないと思います」
「そうだな。残念だが、内部に敵がいると考える必要がありそうだ」
エリックさんはアリスに向かってそんな風に答え、俺へと視線を移した。
「リオンくん。いまは時間が一分一秒でも惜しい。内通者を探すのに、ソフィアの力を借りたいのだが……構わないだろうか?」
「そう、ですね……」
ソフィアの力を借りると言うことは、キモを持ち去られた事実をソフィアに教えると言うこと。出来れば避けたい事態だけど……ソフィアを気づかって、キモを取り返すチャンスを失うのは本末転倒だ。
「分かりました。ソフィアには俺から事情を伝えて、恩恵を使ってもらいます。エリックさんは、屋敷の使用人を集めてもらえますか?」
「ああ、分かった。中庭に全員を集めよう。あとは……セス」
エリックさんがセスを呼ぶ。だけど返事がない。どうしたのかと視線を向ければ、セスはなにやら難しい面持ちで考え込んでいた。
「セス、どうかしたのか?」
「え? あぁいえ、失礼しました。キモがなくてもクスリを作れないか考えていました」
「……なに? そんな方法があるのか?」
「あくまで可能性の話ですが、地竜の爪や世界樹の葉は単体でもクスリとなり得ます。完治は無理でも、症状を緩和することは可能かもしれません」
「分かった。ならお前はクスリについて調べておいてくれ」
「かしこまりました」
その後、俺達はそれぞれの役割を果たすために解散。俺とアリスはソフィアを探すために、調合室を飛び出した。
そうして見つけたソフィアは、食堂でミリィ母さんと朝食を取っているところだった。
「あ、リオンお兄ちゃん。お屋敷がなんだか騒がしいけど、なにかあったの?」
「実は……落ち着いて聞いてくれ。リュクスガルベアのキモが賊に盗まれたらしい」
「――キモが盗まれたってどういうこと!?」
ソフィアがバンと机に手をついて立ち上がる。
「ちゃんと説明するから落ち着いてくれ」
「落ち着いてなんていられないよ! だって、キモがなくっちゃ、お母さんが助けられないんだよ!? リオンお兄ちゃんこそ、どうしてそんなに落ち着いてるの!?」
「ソフィアちゃん、落ち着いて。リオンも落ち着いてる訳じゃないんだよ。でも、キモを取り返すために、冷静でいようとしているの」
アリスが助け船を出してくれる。俺はすかさず、その後に続いた。
「キモを取り返すためにソフィアの力が必要なんだ。だからどうか、落ち着いて俺の話を聞いてくれないか?」
「……ソフィアの力が?」
ソフィアはほんの少しだけ冷静さを取り戻してくれたのだろう。深呼吸を一つ、椅子に座り直した。
「ごめん、リオンお兄ちゃん。詳しいお話を聞かせて?」
「賊は誰にも気付かれず調合室に押し入って、キモだけを持ち去ってる。恐らく、誰か手引きした人間がいるんだ」
ちなみに、パトリックが関わっているかもしれないことは今のところ伏せておく。
いま教えたら、ソフィアは確実に冷静でいられなくなる。それに、もし本当に関わっているのなら直ぐに分かることだからな。
「つまり、ソフィアがみんなに恩恵を使ってまわれば良いんだね?」
「……ああ。辛い作業になると思うけど、頼まれてくれるか?」
心を読むことで、使用人達に恐れられるかもしれない。そうじゃなくても、相手の心の底まで読み取ると、以前のように精神に影響を及ぼしかねない。
本音を言えば、ソフィアにそんな作業をさせたくないのだけど……やはりと言うべきか、ソフィアは迷うことなく頷いた。
「みんなが、お母さんのために頑張ってくれてる。だからソフィアも頑張る。ソフィアがみんなの心を読むよ。そしてリュクスガルベアのキモを絶対に取り戻してみせる!」
「……分かった。それじゃエリックさんが中庭にみんなを集めてくれてるから、俺達もそこに行こう」
そうして使用人や騎士を初めとしたスフィール家の関係者は中庭に集合。ソフィアが尋問を始めたのだけど――怪しい人間は一人として見つからなかった。






