エピソード 2ー4 奴隷少女アリスティア
俺は自室のベッドの上で奴隷の少女と向かい合っていた。
なんと言うか……壮絶に気まずい。
離れに戻ってきた時も、マリーに冷ややかな顔で「シーツは明日交換するので、そのままで結構ですよ」とか言われたし、今頃なにを想像されてるかと思うと気が重い。
と言うか、この子もどうして奴隷に……と、俺は改めて少女に視線を向ける。
最初に目を惹くのは桜色の髪。
前世では有り得ない髪の色だけど、たぶん地毛なんだろうな。艶やかな髪は部屋の灯りを反射して、天使の輪っかが浮かんでいるように見える。
大粒の瞳は吸い込まれそうな深い蒼で、他のパーツも全体的に整っている。
奴隷と言うだけあって服装は質素だけど、髪にはシルバーの髪飾りが一つ。どちらかというと、育ちの良い女の子が地味な格好をしている感じがある。
ちなみに、耳は思ったよりとんがってない。言われてみれば、少しとんがってるかなというレベルだ。それと、エルフって言うと色んな意味でスレンダーなイメージだったんだけど、この子はかなりスタイルが良い。
「……あの、ご主人様?」
「ん? もしかしてなにか言ったか?」
「いいえ、黙っていらっしゃるので、どうされたのかと思いまして」
「あぁ悪い。なんか綺麗な髪飾りをしてるなって思ってさ」
「えっと……これは、その……とても大切なモノなんです」
何か余程の思い入れがあるのだろう。彼女は髪飾りに指を這わせ、思いを巡らせるような表情を浮かべた。
「もしかして、形見の類いなのか?」
「えっと……はい。ですからどうか、これだけは私から奪わないで下さい」
「大丈夫だよ。そんなに大切なモノを奪ったりしないから。と言うか、大切じゃなかったとしても、キミのモノを奪ったりしないぞ」
「そう、なのですか?」
「そうだよ……って、なんでそんなに意外そうに?」
「それは……だって、ご主人様はこれから私の初めてを奪われるのでしょう?」
「……は?」
「いえ、既に覚悟は出来ていますので、許しを請うつもりはありません。ですが、どうかお願いします。その前にご主人様の事をお教え頂けないでしょうか?」
「……ええっと、なにを言ってるんだ?」
「分不相応な発言であることは理解しています。ですが、どうかお願いします! 自分の初めての相手がどんな方なのかを知っておきたいのです!」
なにが少女をそこまで追い立てるのか、何処か思い詰めた様子で深々と頭を下げる。
「文句があるとかじゃないから、取り敢えず頭を上げてくれないか」
そんな風に言ってみるけど、女の子は微動だにしない。これはあれか? 俺が話を聞くっていうまで、頭を上げないつもりか?
「ええっと、まずは俺の質問に答えてくれ。そうすれば、君の話もちゃんと聞くから」
「……本当ですか?」
少女はおずおずと頭を上げる。
「うん、だから、そんなに焦らなくて良いよ」
「……ありがとうございます、ご主人様。優しいんですね」
今まで緊張気味だった表情がようやくほころんだ。今まで美人顔だって思ってたけど、笑うと可愛いんだな。俺が思春期を迎えてたら、一瞬で惚れてたかもしれない。
「それでキミは……ごめん、名前はなんだっけ?」
「アリスティアです。よろしければアリスとお呼びください」
「それじゃアリス。良ければ俺のこともリオンって呼んでくれ」
「判りました、リオン様ですね?」
「いや、別に様や敬語も必要ない……あぁでも、マリーの目もあるしなぁ。悪いけど、当面はそれで頼むよ」
「はい、リオン様。それで、質問というのはなんでしょう?」
「あぁうん。クレアねぇ――アリスを連れてきた女の子だけど、彼女にはなんて言われたんだ?」
「それは、その。……毎晩、様々なことを求められるはずだから、身も心も捧げて全力で尽くすように……と」
「~~~~っ」
クレアねぇの奴ううううぅ。言ってる事は間違ってない、間違ってはないけど、伝え方が致命的に間違ってるぞ!?
まさか本気でそっちの経験まで積まそうとか考えてる訳じゃないだろうな? なんかあり得そうで怖いけど、絶対思惑に乗ってなんかやらないからな!?
「あ、あのっ、初めてとは言いましたが、奴隷商人が雇っていた教育係の女性に一通りの手管は学んでいます。ですから、その……は、初めは拙いかもしれませんが、すぐに満足させて見せます。ですから、どうか命だけは――」
「待った待った! 俺にその気は無いから、心配しないでくれ」
「……え? あの、それは……どういう意味でしょう?」
戸惑いに首をかしげる。そんなアリスに向かって、俺はかくかくしかじかと自分の置かれている状況を語った。
「それじゃ色々求められると言うのは、もしかして……?」
「うん。一般常識とか、もし知ってれば魔術の知識とかかな」
「そ、そうだったんですね」
緊張の糸が切れたのだろう。アリスはへなへなと崩れ落ちた。だけど一呼吸おき、がばっと顔を上げる。
「わ、私ったらとんでもない勘違いをっ! ……は、恥ずかしい。さっきの言葉は忘れてください」
「さっきの言葉って……」
そ、そう言えば凄い告白を聞いた気が――って、いやいや、考えちゃダメだ。
落ち着け、落ち着くんだ俺。そもそも俺の体はまだ九歳で、二次成長も始まっていない。いわば年中賢者モードなんだから、煩悩に打ち勝てないはずがない。
……………ふぅ、ちょっと冷静になった。
でも、冷静になって考えると、未経験なのに調教済みの美少女って、なんか凄くえっちぃよな……って、冷静に考えてどうする。
あれだ。取り敢えず話を変えよう。
「そう言えば、アリスはエルフ族なんだよな? どうして人間の奴隷になったんだ?」
「私が人間の奴隷になった理由……ですか?」
「興味本位だから、嫌なら無理に話さなくても良いよ」
「いえ、リオン様が良ければ聞いて下さい」
「……良いのか?」
「はい。私がリオン様のことを知りたいと言った理由にも繋がりますから」
ふむ。無理してる感じじゃ……なさそうだな。
「それじゃ聞かせてくれるか?」
「はい。と言っても、珍しい話じゃないかもしれませんが。私は生まれた時から好奇心が凄く強くて、人間の街に興味があったんです。それで一人前になってすぐ、エルフの里を飛び出したんですが、ある街で出会った人間に騙されてしまって……」
「……それじゃ、自分の意思で奴隷になったんじゃないんだ?」
「そうですけど……自分の意思で奴隷になる人って居るんですか?」
アリスは不思議そうに小首をかしげる。
「いやほら、お金目当てで自分を売ったのかなって。夜伽にも乗り気みたいだったし」
「乗り気だった訳じゃないですよ!?」
透き通るような肌が一瞬で真っ赤に染まった。だけど直ぐに冗談だと気づいたのだろう。アリスは拗ねた表情で俺を睨み付ける。
「……忘れてくれたんじゃなかったんですか?」
「俺は別に忘れるって言ってない――うそうそ、嘘だから、そんな拗ねるような目で見ないでくれ」
「むぅ……ホントに忘れてくれますか?」
「ごめんごめん、今度こそちゃんと忘れるよ。でも、その前に一つだけ聞かせてくれ。諦めてるって感じじゃなかったのに、逃げようとはしてなかったよな?」
「それは……私がどうしても幸せになりたいからです」
「……幸せに、なりたい?」
「はい。理由は言えませんけど、私は幸せにならなくちゃいけないんです。だから逃れられない運命なら、奴隷として誰かに仕えなくちゃいけないのなら、その人を好きになる努力をしようと思ったんです」
「そう、か……」
俺はさっきアリスが口走った言葉を思いだした。
満足させてみせるから命だけは――アリスは奴隷として見知らぬ男に売られても、それでも幸せになろうと足掻いている。
それは政略結婚を決められて、それでも足掻くクレアねぇや俺と同じだ。それを知っちゃったら、このまま拘束するなんて出来るはず……ないよな。
「アリス、君を逃がしてあげるよ」
「……え? それはどういう意味でしょう?」
想像もしていなかったのだろう。アリスは不思議そうに小首をかしげる。
「言葉通りだよ。君をここから逃がしてあげる。だから、キミは自由に生きて、そして幸せになるべきだ」
「それは――っ」
ようやく理解が追いついたのだろう。アリスの表情が驚きに染まった。そうしてたっぷり数十秒も硬直し、ようやく口を開いた。
「お気持ちは嬉しいですが、許されるのならリオン様のおそばにおいて頂きたいです」
「それは、俺としても嬉しいけど……どうして?」
「……これを見て下さい」
アリスが胸元を少しだけ開く。それを見た俺は驚いて顔を背けようとしたんだけど、その直前に首の少し下に魔方陣のようなモノが浮かんでいるのに気づいた。
「それは?」
「奴隷契約の刻印です」
「奴隷の証、なのか? でもそんなの、人に見せなきゃ平気だろ?」
「いえ、これは紋様魔術で、主人を裏切る行為だと自分が思ったら、激しい痛みに襲われる効果があるんです」
「へぇ……そんな効果があるのか。……あ、でもさ。俺が逃げて良いよって言えば、裏切る行為にはならないんじゃないか?」
「リオン様が私の知識を欲していると知ってしまいましたから。その上でリオン様の優しさに甘えて逃げ出せば、痛みに襲われる可能性が高いです」
……あぁ、なるほどね。どうやって主人を裏切る行為かを判定してるのか疑問だったけど、本人の罪悪感が基準なんだな。
命令を曲解されて寝首を掻かれると言った可能性は低い代わりに、あまり不当な扱いをすれば奴隷が罪悪感を抱かなくなる可能性もあるって感じなのかな。
奴隷として扱うには便利だけど……この場合は厄介だな。
俺がいくら逃げて良いよと言ったところで、俺の胸の内にはアリスにいて欲しい気持ちがある――と、アリスが思っている以上は、逃げれば裏切り行為と判定されてしまう。
「離れた地で痛みが襲い掛かってきたら困りますし、それに私は刻印に精霊魔術も封じられていて、仮にここを逃げ出したとしても、私は一人で生きていけません」
「なら、刻印を消す方法はないのか?」
「優秀な魔術師なら可能だと思います。里に帰れば消して貰うことも可能ですが……」
「今の状態じゃ俺から離れられない、か。俺も魔術師なんて用意できないしなぁ。ごめん、期待させるようなことを言って」
「いいえ、謝らないで下さい。さっきも言いましたけど、私はリオン様のお側に居たいと思ってるんです」
「それは、ここから離れられないからって意味じゃなくて?」
「リオン様のお側にいるのも面白そうかなって思いまして」
「……確かに好奇心が旺盛そうだな。それで一度痛い目にあってるんだろ?」
「そうですよ。だから私は人を疑うことを覚えました。その上で、リオン様は信じられると思ったんです」
なんか、嬉しいことを言ってくれてるけど……大丈夫なのかな、この子。またどっかで騙されそうで心配なんだけど。
「なぁ、信じてくれるのは嬉しいけど、俺に裏切られたらどうするんだ?」
「どうもしません。私がリオン様を信じた以上、どんな結果になっても、それは自分の責任ですから」
「……判った。そこまで言うなら、動くなよ?」
俺はアリスに命じ、その体を抱きしめる。そうして、アリスの首筋に唇を押しつけた。
「……んっ」
アリスはくすぐったそうな声を漏らすけど――微動だにしない。それを確かめた俺は、アリスからそっと身を離した。
「……ホントに抵抗しないなんて、結構意地っ張りなんだな」
「リオン様を信じていただけです。でも、なにをなさったんですか?」
「首筋にキスマークを付けたんだ。恥ずかしいと思うけど、後でさり気なくマリーに見られておいてくれ」
「マリーというのは、さっきいらっしゃったメイドさんですよね?」
「ああ、彼女は俺の監視役でもあるんだ。俺が手を出してないってバレると、色々と勘ぐられるからさ」
「理由は判りましたが……それは側に置いて下さると言う意味でしょうか?」
「……実はさ、俺もどうしても幸せになりたいって思ってるんだ。だからさっきの話を聞いてアリスが気に入った。俺と一緒に幸せになろう」
アリスに向かって手を差し伸べるが、何故か反応がない。どうしたんだろうと顔を見ると、その顔どころか、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
「……アリス?」
「あ、あの、リオン様? 今のは、その……プ、プロポーズ、なんでしょう、か?」
この子は唐突になにを言ってるんだ――と考えたのは一瞬。直ぐに自分がなにを口走ったのかを理解する。
「ち、ちがっ! さっきのはそう言う意味じゃなくて、目的が同じ者同士、一緒に頑張ろうって意味だから!」
「あ、あぁそうだったんですね。ちょっと驚いちゃいました」
「ごめんな、紛らわしい言い方をして。一緒に幸せになろうとか言ったら、プロポーズだって誤解されてもしょうがないよな」
「いえ、驚きはしましたけど、凄く嬉しいです。ぜひ一緒に幸せを目指しましょう!」
「……ははっ、凄く変なセリフだな」
「ひどいっ、リオン様が最初に言ったんですよ!?」
「悪い悪い、冗談だよ。これからよろしくな、アリス」
「はいっ、よろしくお願いしますっ」
こうして、俺とアリスの奇妙な共同生活が始まった。






