エピソード 3ー10 依頼人との交渉は――
ある日、俺はクレインさんに呼び出された。
マックスさんからの連絡を待ち始めて、そろそろ一週間。恐らくは依頼人と会う日取りが決定したのだろう。もしくは、調べてもらっていた依頼人の素性の報告か。
そんな風に考えながら訪ねた応接間。
俺を待っていたクレインさんは、俺を見るなり気まずそうな口調で言い放った。
「ソフィア嬢に、その……もう少し声を控えるように言ってくれないか?」
「…………ええっと、なんの話ですか?」
予想していたどちらとも違う。そしてなんだかひたすら嫌な予感がすると、俺は恐る恐る聞き返した。
「だから、な。その……なんだ。アリスティア嬢の部屋から、ソフィア嬢の、その……艶めかしい声が漏れ聞こえてきたそうでな」
「………おぉう」
どんなに考えても、心当たりが一つしかない。
即ち、アリスとソフィアが知らないあいだに出来ていた――訳ではなく、ソフィアが恩恵でアリスの記憶を読み取ったのだろう。アリスが許可をしたら、俺とアリスのあれこれを追体験して良いと俺が言ったから。
……しかし、アリスが許可するとはさすがに思ってなかったなぁ。
ソフィアが本気で恩恵を使うと、読み取った情報を一瞬で追体験する。つまり、アリスの経験した一時間ほどの記憶を読み取った場合、それを一瞬で体感する。
………………大丈夫かなぁ。なんだか、取り返しのつかない状況になりつつある気がするぞ。薄い本が厚くなる的な意味で。
「おい、リオン? 聞いているか?」
「っと、すみません。少し考え事をしていました」
「おいおい、大丈夫か? アリスティア嬢にソフィア嬢を寝取られた心情は察するが、話が終わるまでは気をしっかり持ってくれよ?」
「……寝取られ。いえ、そう言う訳じゃないんですが……」
そもそも、ソフィアの相手は、アリスの記憶にある俺な訳だし。……って、なんか生々しくなりそうだから自重しよう。
そう思った俺は咳払いを一つ。取り敢えずソフィアには注意しておきますと答えた。
「ああ。そうしてくれ。それじゃ本題だ。ギルドから使いが来てな。冒険者と依頼人の会う日取りが決まったらしい。なので、お前にも同席させてくれるそうだ」
その答えを聞いて、俺はホッと息をついた。
もし相手が絶対にキモを売るつもりがなければ、会うことすら断るはずだからな。同席を許可されたってことは、話し合いの余地はあるはずだ。
「それで、会うのはいつなんでしょう?」
「今日の午後からだそうだ」
「……それはまた、ずいぶんと急な話ですね」
「相手も急いでいるからな」
「……急いで? それが分かるってことは、もしかして?」
「ああ、依頼人が誰か、先ほど情報が入った」
「おぉ、さすがクレインさんですね」
それは俺の心からの言葉だったんだけど、クレインさんは口をへの字に曲げた。
「正直に言おう。俺の領地が豊かになったのはお前たちのおかげだ。もしお前があの日、俺に取引を持ちかけてくれなければ、多くの者が死んでいただろう」
「いえ、それはクレインさんの努力の成果だと思いますが……」
どうして唐突にそんな話をと首をかしげる。するとクレインさんは「それだけお前に感謝しているという話だ」と続けた。
「だから、相手がその辺の貴族や商人が相手なら、俺が全力で圧力をかけてでも、お前にキモを売らせるつもりだったのだ」
「それは……」
さすがに止めて欲しい――なんて暢気に考えたのは一瞬。クレインさんの告白が過去形である理由に気付く。
「もしかして……相手は大物ですか?」
「……ああ。とんでもない大物だ。ハッキリ言おう。俺はもちろん、アルベルト殿下ですら、正面からぶつかろうとはしないだろう」
「そこまでですか……一体何者なんですか?」
「……リゼルヘイム国を裏で牛耳る、影の支配者と噂される人物だ」
影の支配者とはまた、怪しげな存在だな。
パトリックの妨害を考えたこともあったんだけど、この分なら関係なさそうだ。それとも、パトリックの背後にいる人物だったりするのだろうか?
「一体何者なんですか?」
「それは……悪いが、俺の口からは言えない」
クレインさんは唇を噛んで下を向いてしまった。そればかりか、その肩が少し震えているようにすら見える。
まさか、クレインさんがここまで恐れる相手が国内に残っているなんてな。何処の誰かは知らないけれど、敵に回すのは避けるべきだろう。
とは言え、幸いなことに今回は取引が目的だ。お互いが有利な取引を交わせる可能性は十分にある。
「確認ですが、相手は交渉するつもりがあるんですよね?」
「――っ。そう、だな。お前次第だろう。敵に対しては情け容赦無いとの噂だが、味方には慈悲深いとも言われているからな」
味方には慈悲深い、ねぇ。影の支配者とは言え、悪人という訳じゃないのか? まあ、どっちにしても会うしかないんだけどさ。
そうして、その日の午後。俺は幼女カフェを訪れていた。
ちなみに、訪れたのは俺一人だけだ。クレインさんが恐れるほどの実力の持ち主なら、ソフィアの恩恵についても知っている可能性がある。
ソフィアが持つ恩恵の力を得られないのは痛いけど、相手を怒らせてしまっては意味がない。と言う訳で、ソフィアには待機してもらうことにしたのだ。
そんな訳で、俺が指定された個室に行くと、既にマックスとメリッサが待機していた。
「悪い、待たせたか?」
「大丈夫だ、俺達もさっき来たところだからな。それに依頼人が来るのはもう少し後だ」
「そっか。なら良いんだけど」
と言って、俺は一番入り口から近い席に座る。と、二人に不思議そうな目で見られた。
「……なんだよ?」
「いや……冒険者の俺達より下座で良いのか?」
「……俺は身分を明かした記憶はないぞ?」
レミーには口止めをしてたはずだけどと首をかしげる。
「おいおい、金貨千枚とか言った奴がなにを言ってやがる」
「あぁ、なるほど」
そりゃ、平民ってことは有り得ないよな。
けどそれが理由なら、貴族ってことまではバレてなさそうだ。有力な商人の息子とか思われてるんじゃないかな。
と言うか、貴族だってバレてたらこの話し方はないよな、たぶん。
「今日は俺が取引をお願いする立場だしな。そもそも、自分の身分を笠に着て威張るのって、あんまり好きじゃないんだ」
と言いつつ、年上にもため口なわけだが。それくらいは許して欲しい。
「まあリオが下座で良いって言うなら文句はないさ。それより、今のうちに聞いておきたいことなんかはあるか?」
「そうだな……」
リュクスガルベアのキモを手に入れるためには、万が一にもこの取引を不意にする訳にはいかない。ソフィアがいない以上、可能な限りの情報収集はしておくべきだろう。
そう考えた俺は、依頼人の人柄を探ることにした。
「ここに来る依頼人って言うのは、二人の恩人なんだよな? どんな人なんだ?」
影の支配者と呼ばれているのは既に知ってるので、二人の印象について尋ねる。
「あぁそれがな。実は俺らは詳しく知らないんだよ」
「……ん? どういう意味だ?」
「言っただろ。俺達の父親や仲間を救ってくれた恩人だって。今回の依頼はメリッサの父、ギャレットさんを通じて聞いた話なんだ」
俺の疑問にマックスが答えた。と言うか、ギャレットってどこかで聞いた気がするんだけど……どこだっけ?
「助けて貰ったって言うのは、どういう状況だったんだ?」
クレインさんも味方には慈悲深いとも言っていた。情の深い相手なら、理解して貰えるかもしれないと期待を込めて尋ねる。
「俺達の村は数年前の飢饉で領主様に見捨てられてな。このままじゃ村は壊滅するって言うんで、村の大人達はその……山賊に成り下がったんだ」
「山賊……」
なんかどこかで聞いたような話だなと首をかしげる。だけどマックスたちは、自分達の父親が山賊になったという事実に俺が反応したと思ったんだろう。少し早口で続けた。
「もちろん、それが許されない行為だって言うのは判ってる。だから、父親達は殺されたって文句は言えない立場だし、俺達も二度と会えないって諦めてたんだ」
「でもね。しばらくして連絡があったの。とある貴族様に救って頂いたって。犯罪奴隷としてだけど、不安のない生活を送っているって、仕送りまで添えられていたわ」
二人の話を聞いて、まさかという思いが膨れあがっていく。そしてそれが確信へと変わる瞬間、扉の開く音が響いた。
そうして姿を現したのは、ここにいるはずのない――まさしくこの国の影の支配者だった。なんか……前もこんなことがあった気がする。
なんにしても、依頼人との交渉は――始まる前に終わっていたようだ。






