エピソード 3ー9 ソフィアの想い
マックスいわく、依頼人と連絡を取るのは一週間ほどかかると言うことで、俺達はグランプ邸で悶々とした日々を過ごすことになった。
とは言え、そのあいだなにもせずにいた訳じゃない。まずは事情をしたためた手紙をクレアねぇに送るように指示を出した。
内容は新たなリュクスガルベアの捜索依頼などなど。アルベルト殿下やアカネにも手を回してもらうように頼んである。
本当は依頼人についても調べてもらいたいんだけど、手紙の往復には時間がかかる。依頼人を調べてもらう暇はないだろう。
と言う訳で、その件についてはクレインさんに事情を説明。マックスたちの依頼人が誰かを調査するようにお願いした。
もちろん、圧力をかけるようなマネをするつもりはない。だけど事前に依頼主の素性が分かれば、相手の望んでいるモノを用意することも可能だと考えたのだ。
そうして現状で打てる手を尽くし、ようやく一息ついたある日の夜。ソフィアと話をしようと廊下を歩いていたら、小さな女の子と出くわした。
年の頃は十歳前後だろうか? 腰まで流れ落ちる青みを帯びた黒髪が印象的な、儚げな女の子。そんな彼女は俺に気付くと、おどおどとした面持ちで俺を見つめている。
かなり可愛らしい女の子だし、クレインさんのお妾さん候補だろうか? なんて思ったんだけど、顔から少し視線を下げてそれはないなと思い直した。
ある部分が、年相応にぺったんこだったからだ。
「……リ、リオン様、ですか?」
「そうだけど……キミは?」
「私は、その、えっと……マ、マヤって言います」
……マヤ? 日本人っぽい名前だな。まあアカネもそうだし、隣国なんかじゃよくある名前らしいけど、この子もそうなんだろうか?
「あの……私の名前、お父さんが、その……つけてくれたんです」
「そっか、良い名前だね。キミにぴったりの名前だと思うよ」
マヤ――つまりは真夜。この世界にその言葉はないので偶然だとは思うけど、夜色の髪の持ち主にはふさわしい名前だと思う。
「はうっ!? …………………あ、ありがとう……ござい、ます。リオン、様……」
そうとう恥ずかしかったのか、真っ赤になって俯いてしまう。どうやらずいぶんと純情な女の子のようだ。恥じらう姿が可愛らしい。
「それで、マヤちゃんは、俺になにか用事なのか?」
「あ、それは、その……一言、お礼が言いたくて」
「……お礼? 俺がなにかしたっけ?」
「その、髪の毛、綺麗になった……か、ら」
「ええっと……? もしかして、シャンプーとリンスのことかな?」
「そう、です」
要約すると、俺が世に放出したシャンプーとリンスで髪の毛が綺麗になったと言う意味だろう。この世界の住人は大抵、髪がぱさぱさだったりしたからな。
「そっか。それなら別に気にしなくて良いよ。話はそれだけかな?」
「あっ、えっと……もう一つだけ。リオン様って、義理の姉妹を、たくさん、増やしてるんですよね?」
「………………………ええっと、そんなことはないよ」
「そう、なんですか?」
「うん。色々な理由があって、義理の姉妹が増えたのは事実だけど、別に好んで増やしてる訳じゃないから」
「そう、なんですか……」
「う、うん」
なんか、哀しそうなんだけど。
「そう、なんだ……」
なんか、すっごく寂しそうなんだけど!?
「ええっと……それがどうかしたのか?」
「いえ、なんでも、ないです」
「ほ、ホントに?」
「はい。それじゃ、私は、もう行きますね……」
マヤちゃんはそう言うと、とぼとぼと立ち去っていった。さっぱり意味が判らないけど、ただただ罪悪感が残った……
な、なんだったんだろうか?
……ま、まあいいや。気にしてもしょうがないし、ソフィアのところへ急ごう――と、気を取り直した俺は、ソフィアの部屋を訪ねた。
「……リオンお兄ちゃん、どうかしたの?」
「あ~その、なんだ……」
「んっと……取り敢えず部屋に入る?」
「そうさせてもらうよ」
俺はソフィアに促されて部屋の中に。ソフィアがベッドサイドに座ったので、俺も釣られてその隣に腰掛ける。
「それで、リオンお兄ちゃんはこんな夜にどうしたの? もしかして、ついにその気になったの? ソフィアなら、いつでも大丈夫だよ?」
「いやいやいや違うから。ソフィアが心配で来たんだよ」
可能性を繋いだとは言え、一度は望みが絶たれたのだ。ソフィアの心が折れてないかずっと心配だったんだけど……こんな風に軽口を言えるってことは大丈夫なのかな?
それとも、無理をして元気に振る舞ってるのかな?
「……無理してる訳じゃないよ」
心を読んだのだろう。ソフィアがぽつりと呟いた。
けど、その言葉は強がりだろう。だって、今もエリーゼさんは苦しんでいる。クスリの材料が入るかも判らないこの状況。不安にならないはずがない。
「そう、だね。もちろん平気な訳でもないよ。でもね、お母さんに言われた言葉の意味を理解したの」
「エリーゼさんの言葉?」
たぶんスフィール家で面会したときの話だろうけど……なんのことだ?
「お母さんが、新しい家族を大切にしなさいって言ってたでしょ?」
あぁ……そう言えば。
俺にとってエリーゼさんは、親を殺した関係者。それなのに、ソフィアがエリーゼさんに関わるのは、俺に対して失礼みたいなことを言ってたっけ。
「まえも言ったけど、俺にとっては父を殺した相手でも、ソフィアにとっては大切なお母さんだろ。だから、俺に気を使わなくて良いんだぞ?」
「……ありがとう。リオンお兄ちゃんが心から言ってくれてるのは判るよ」
「だったら……」
気にしなくて良いという俺の言葉は、無言で首を横に振るソフィアに遮られた。
「お兄ちゃんとマックスさんのやりとりを聞いて理解したの。ソフィアはお母さんのために、リオンお兄ちゃんにつらい想いをさせたくないって」
「そう、か……」
それが森でのやりとりを差していることはすぐに分かった。
俺はマックス達に向かって、ソフィアが悲しむから罪は犯さないと言った。それは逆に言えば、ソフィアが心から望めば、俺は罪を犯したかもしれないと言う意味だから。
ソフィアはそれを望まない。
つまり極論で言えば、俺が苦しむような結果になるくらいなら、エリーゼさんを救えなくても良いとソフィアは言っているのだ。
あれだけ母親の心配をしていたソフィアが、俺を優先しようとしてくれている。一体どれだけの覚悟を持ってそんな決断をしてくれたのか……
その気持ちを嬉しいと思う反面、そんな風につらい決断をさせて申し訳ないと思う。
「ソフィアの気持ちは確かに受け取ったよ。けど諦めるのはまだ早いぞ。エリーゼさんを救うのに罪を犯すつもりはないけど、それ以外に出来ること全部するつもりだからな」
「それは……マックスさん達の依頼人との交渉を言ってるの?」
「ああ、そうだよ」
相手が何者かはまだ聞かされていない。
だから、絶対に交渉がうまくいくという保証はない。けど、グランシェス家のもつ人脈や利権、その全てを使って交渉するつもりでいる。
「……リオンお兄ちゃん。ソフィアのためにありがとうね」
「気にしなくて良いって言ってるだろ?」
「そうは言っても気にするよ。ソフィアはリオンお兄ちゃんに助けてもらってばっかりだもの。だから、ね。ソフィアに出来ることがあれば言って?」
「ソフィアにして欲しいこと?」
「うん。なんでも言いよ? ソフィアに出来ることならなんだってするから」
「こらこらこら。女の子がなんでもとか言っちゃダメだぞ」
「あ、そうだよね。それじゃ……なんでもはしないよ。リオンお兄ちゃんにだけ」
「……はい?」
なにそれどういう意味と首をかしげる。
「だからね。世の中には、寝取らせって言う行為があるでしょ? でもソフィアは、リオンお兄ちゃんじゃないと嫌なの。だから、お兄ちゃんにだけ」
あーあーあーなるほどね。だから俺だけ、ね。誰が教えたかは……考えるまでもないな。それより、なんでえっちぃ行為が前提になってるのかは……聞かない方が良いな。
「取り敢えず却下だ」
「えっ!? リオンお兄ちゃんはそう言う趣味なの!?」
「そっちじゃねぇよ! お礼でそんなことをしなくて良いって言ってるんだよ」
「でも……」
ソフィアは不安そうだ。
俺だって、ソフィアにたくさん助けられてるんだけどなぁ。そう言うのって、意外と自分じゃ気付かないモノなのかもしれないな。
「俺のためになにかしたいって言うなら笑ってくれ」
「……え? どういうこと?」
「俺がソフィアを助けるのは、笑ってて欲しいからなんだ。だから、ソフィアが笑ってくれるなら十分だ」
「……リオンお兄ちゃん、そんなのでソフィアが納得すると思ってるの?」
「むむむ……」
おかしいなぁ。クレアねぇはこれで納得してくれたのに。……なんて、あの頃のクレアねぇはもっと幼かったけどさ。
「……リオンお兄ちゃん。どうして? ソフィアは経験がないけど、知識だけはたくさんあるんだよ? お兄ちゃんのことい~っぱい、悦ばせてあげられるよ?」
「~~~~~~っ」
なにこの破壊力。純粋無垢な幼女の口から紡がれる、艶やかなセリフがやばすぎる。これがギャップ萌えの完成形なのか……
――って、落ち着け。落ち着け俺。完全にソフィアのペースに乗せられている。
「ソフィアの気持ちは嬉しいけど、もう少し大きくなるまで我慢してくれ」
この世界において、ソフィアは成人した女の子で結婚が可能だ。だから、俺が前世の倫理を持ち出すのは間違っているのかもしれない。
けど、まだ幼さの残るソフィアに無理をさせたくないというのも本音なのだ。決して、生娘のまま、妖艶な知識を蓄えていくソフィアにはまっている訳ではない。
「ふぅん。そうなんだぁ……」
ジトッと目を細めるソフィア。心を読まれたのだと気付いて冷や汗を掻く。
「いや、あのな? そりゃ俺も男だから、色んな煩悩がある訳なんよ? でも、ソフィアに負担をかけたくないって言うのも本音なんです」
「リオンお兄ちゃん、なんか言葉遣いがおかしいよ?」
「動揺してるんだよ、察してくれよ!」
無垢なソフィアを穢すのも、自分の思うままに染め上げるのも思うがまま。欲望に身を任せてと言う感情はある。けどやっぱり、ソフィアを気づかう気持ちもある訳で……
そんな俺の内心を読んだのかどうか、ソフィアは可愛らしいため息をついた。
「リオンお兄ちゃんの気持ちは判ったよ。でもね。ソフィアはそう言うのに興味があるお年頃なんだよ? アリスお姉ちゃんばっかりズルイ」
「そ、そうは言ってもなぁ……」
「ずーるーいー」
「わ、分かったよ。じゃあこうしよう。アリスがもし良いよって言ったら、恩恵でアリスの経験を追体験して良いから」
「――ホント!?」
「ああ。男に二言はないぞ。とは言え、アリスが良いって言ったら、だからな?」
「うん、分かったっ。それじゃアリスお姉ちゃんのところに行ってくる!」
「お、おう」
ソフィアは部屋を飛び出していった。苦し紛れの出任せだったんだけど……ホントにアリスのところに向かったんだろうか?
……ま、まあ、アリスには常識が欠けてるけど、独占欲とか焼き餅を焼く感情はあるっぽいからな。夜のあれこれを恩恵で覗き見して良いとは言わないだろう。
……言わないよな?
2章の頃のソフィアって凄く無垢で純情だったんですよね。久々に見返して、あまりのギャップに自分で驚きました。
なぜこうなったのか。お兄ちゃんのために頑張りたいと必死なソフィアをどう扱うか、アリスに判断を任せたのがそもそもの原因のようです。
いや、だからなんだと言われるとなんでもないんですけどね。ええ、それはもう、今回似たような展開があるから、結果も同じじゃないかとか、全然考えてないです。






