エピソード 2ー8 いまだ癒えぬ傷
いきなり殴りかかられてちょっと驚いたけど、相手は小さな男の子。俺は慌てず、伸ばした腕で少年の肩を支えてその突進を止めた。
「おいおい、いきなりなんのつもりだ?」
「くっ、卑怯だぞ!」
少年の身長は座っている俺と同じくらい。腕を振り回しても、俺の体には届かない。
悪人なら撃退するのは簡単なんだけど……相手は十歳にも満たない子供だし、両親の敵って言うのも気になる。さてさてどうしたモノかと考えていると、お店の奥に引っ込んだはずのウェイトレスが物凄い勢いで戻ってきて、俺から男の子を引き離した。
「なにをしているの、止めなさいリック!」
「レミー姉ちゃん、なんで止めるんだよ! こいつらのせいで、父ちゃんと母ちゃんは死んだんだぞ!」
「――リックッ!」
レミーと呼ばれたウェイトレスの右手が閃いた。それは遠目にも情け容赦のないと判る本気の一撃。リックと呼ばれた子供は文字通り吹き飛ぶ。
そのあまりと言えばあまりの光景に、食堂は静まりかえった。
……ええっと。なんなんだ? いくらなんでもやりすぎだろ――と俺が思った直後、
「貴族様、申し訳ありません。あの子はまだモノの分別が付かないほどの子供なんです。ですから、罰は全てこの私にお与えください!」
跪いて床に頭を擦りつける。ウェイトレスの必死な姿を見て理解させられた。先ほどの暴力はリックを護るためであり、それほどまでに貴族を恐れているのだと言うことを。
「ね、姉ちゃん、なにをやってるんだよ……?」
「リック、貴方をしっかり教育しなかったのは私の責任よ。だから、貴方は悪くない。私がいなくなっても、責任を感じちゃダメよ?」
「……ね、姉ちゃん?」
レミーの様子からことの重大さを感じ取ったのか、リックの顔が恐怖に染まっていく。
「あ~あれだ。レミーって言ったか? 取り敢えず顔を上げてくれ」
「……はい、貴族様」
ゆっくりと顔を上げる。レミーの瞳には己の運命に対する覚悟が秘められていた。
普通の村娘がこんな目をするなんて……過去になにかあったんだろうか? ……あったんだろうなぁ。弟っぽい子供が、貴族を親の敵とか言ってるくらいだし。
その辺りも気になるけど……まずは、リックの頬を冷やすべきだろう。そう思った俺はポケットからハンカチを取りだし、精霊魔術で湿らせて冷たくする。
けど……俺が男の子に近づいたら、絶対誤解されるよな。
「――ソフィア」
「うん、判った」
俺からハンカチを受け取ったソフィアが、男の子に近づいていく。
俺の予想通り、レミーを初めとした者達は少し不安げな表情を浮かべるだけで、それ以上の行動には出なかった。
俺よりソフィアの方が近接の戦闘力は高いんだけど……やっぱり見た目は大事だな。
「はい、このハンカチをほっぺたに押し当てて」
「……ええっと?」
「ほっぺたを冷やすの」
「つめた!? ってか、痛い、痛いって!」
戸惑うリックの頬にぐいぐいとハンカチを押しつける。ソフィアの行動がなにやら雑なんだけど……もしかして、幸せ気分をぶちこわされて怒ってるんだろうか?
ま、まあ、あっちは大丈夫だろう。と言うことで、俺はレミーへと視線を戻した。
「取り敢えず、どうして俺が親の仇だなんて言われたのかは説明してくれないか?」
「それは……はい。判りました」
この状況では話すしかないと悟ったのだろう。レミーは覚悟を決めるように頷いた。
「実は――」
「待った。話をする前に、向かいの席に座ってくれ」
「ですが……」
「そんなところに跪かれたままだと、俺が話しにくいんだ」
遠慮、もしくは恐れられるのは目に見えているので、そうしてくれないと俺が嫌だというニュアンスで言い放つ。その甲斐あってか、レミーは慌てて向かいの席に座ってくれた。
「それで、リックはどうしてあんなに貴族を憎んでるんだ?」
「それは、えっと……貴族様は四年前の飢饉をご存じですか?」
「あぁ、知ってるよ」
俺達が内政チートを始める切っ掛けとなったアレだ。
「私達の故郷、レジー村はその飢饉で滅んだんです」
「そう、か」
俺はリックが貴族を恨んでいる理由を理解した。
いくつかの地方で同時に発生した規模の大きな飢饉。グランプ侯爵領もその被害を受け、かなりの食料難に陥っていた。
そんな中、クレインさんはある決断を下した。それは、より多くの村を救うために、一部の村を見捨てるという政策だ。
レジー村は、その見捨てられた村の一つだったんだろう。
より多くの人間を救うために、一部の人間を切り捨てる。政治的な観点から言えば間違っていないはずだけど……こうして被害者を見ると、そんな風には言えなくなる。
「仕方のないことだとは理解しています」
理解はしている、か。理解は出来るけど、納得は出来ないと言ったところだろう。なんて、俺が指摘しても、レミーは絶対に否定するだろうけどな。
なんて考えてたのが顔に出てたんだろうか? レミーは少し慌てたように続けた。
「あの、本当です。飢饉を脱した後、グランプ侯爵様は生き残った私達を救って下さいましたから、事情があったことはお聞きしているんです」
「……救って?」
どういうことかと詳しく聞くと、飢饉を脱した頃――つまり、うちの支援で建て直した直後、クレインさんは村の生き残りの保護を開始したらしい。
そうして保護された者は、この街で住むところと働き口を紹介されたらしい。
「この店は、村で生き残った子供達が生活出来るようにと、グランプ侯爵様からお譲り頂いたんです。とは言え……」
レミーはそこで言葉を濁してしまう。どうしたのかと視線で問いかけると「いえ、なんでもありません」と誤魔化されてしまった。
まあ、救われたと言っても、一度は見捨てられた訳だからな。いくら事情があったとは言え、当事者は納得出来ないだろう。そう思って、追求はしないでおく。
「私は……納得しています。ましてや、貴族様だからと言う理由で恨んだりはしていません。ですが、リックはまだそう言うことは判らないんです。ですから、どうか許して頂けませんか? 私ならどんな罰でも受けますから」
「あぁそれな……」
取り敢えず、罰を与えるつもりはないんだけど……どうやって丸く収めるか。考えたのは一瞬、一番手っ取り早い方法を選ぶことにした。
「なんか誤解されてるみたいだけど、俺は貴族じゃないぞ」
「……え? そ、そうなんですか?」
「うんうん。俺はただの旅人だから」
「……ただの旅人には、とても見えないのですが……」
レミーが視線を向けたのは、俺と、いつの間にか戻っていたソフィアの着ている服。俺のはともかく、ゴシック調のドレスで、もちろんこの世界では最高級品だ。
……うん。そういや服装からして普通じゃなかったな、忘れてた。
「ええっと……」
「リオお兄ちゃんは旅のご隠居なんだよ」
ソフィアが言いよどんだ俺の代わりに答える。――って、旅のご隠居ってなんだ。グランプ領を訪れたのはクスリの材料を探しに来ただけで、世直しに来た訳じゃないぞ?
そもそも――
「……ご隠居様という割りには、凄くお若く見えるんですが?」
レミーが俺の思っていることを代わりに突っ込んだ。
「お兄ちゃんはこう見えて、四十年以上生きてるんだよ」
――ぶっ。あ、あぶねぇ。本気で吹きそうになった。
四十年以上って、どう考えても嘘――じゃなくて、俺の前世の年齢を含んでるだろ。しかも、意識不明の状態で生きてたかもしれない八年が含まれてるし。
「……あの、嘘ですよね?」
困惑気味のレミーが俺に尋ね来る。
「あぁ、えっと……嘘は一つだけだな」
「そう、なんですか」
グランシェス家当主でありながら、実務の大半をクレアねぇに任してるという意味では、隠居してると言えなくはない。
そして、年齢についても前世の分を入れれば嘘じゃない。
なので、嘘は貴族じゃないってことだけだ。レミーは絶対、嘘なのは年齢についてだと思ったはずだけどな。
「まあ信じなくても良いよ。とにかく、俺がキミ達を罰するつもりがないことだけは事実だから、心配しないでくれ」
「……ありがとうございます」
その後、レミーとリックは改めて俺達に謝罪。色々と迷惑を掛けたお詫びと言うことで、昼食は無料にして貰うことになった。
妙なことに巻き込まれたけど、郷土料理は思ったより美味しかった。ソフィアもご満悦みたいだし、来て良かった……かな?
なんて思いながら昼食を食べ終えたその時、
「――ようやく見つけた!」
温泉の調査に行くと言っていたはずのアリスがお店に飛び込んできた。
「……アリス? 良くここが判ったな」
「ソフィアちゃんから行き先は聞いてたからね――じゃなくて! それよりリュクスガルベアが目撃されたってギルドから連絡があったの」
「お、そうなんだ?」
良かった。エリーゼさんを絶対に救ってみせるって、ソフィアと約束をしたものの、リュクスガルベアが見つからなかったらお手上げだったからな。リュクスガルベアが発見されたのなら、キモが手に入るのは時間の問題だと安堵のため息をつく。
だけど――
「ギルドに急いで。このままじゃキモが手に入れられなくなっちゃう!」
アリスの口から紡がれたのは、俺の予想に反する言葉だった。
いつのまにやら、投稿を始めて半年を超えていました。これもひとえに皆さんのおかげです。もしよろしければ、これからもお付き合いのほど、よろしくお願いします。






