エピソード 2ー7 ソフィアとの約束
太陽が空の天辺へと到達する少し前、俺とソフィアは二人で街へと繰り出した。雲一つない絶好のお散歩日和――なんだけど、ソフィアの心は曇り模様らしい。
「昼食の前に行きたいところがあるんだけど、少し付き合って貰っても良いかな?」
問いかけると、ソフィアは金色の髪を揺らしてぷいっと明後日の方向を向く。そうしてこちらを見ることなく、リオンお兄ちゃんの好きにすれば良いじゃないと呟いた。
そんな訳で、ソフィアを連れて来たのは、ヴェスタの街に新しく作られた聖堂。天窓から降り注ぐ日の光が、ステンドグラスに反射して幻想的な空間を作り出している。
「どうだ、綺麗だろ? クレインさんに教えてもらったんだ」
振り返って問いかける。けど、ソフィアはいまだ無言のまま。なにかを言いたげに、不満そうな顔をしている。
「……ソフィア?」
「むーむーむーっ。どうしてリオンお兄ちゃんはそんなに普通なの?」
「……そうだな。まだちゃんと謝ってないもんな。このあいだはホントにごめん」
そう言って頭を下げようとするが、ソフィアはそれより早くうなり声を上げた。
「むううううう、そうじゃないよっ。リオンお兄ちゃんはさっき謝ったけど、ソフィアはまだ謝ってないでしょ! それなのに、どうして許しちゃってるの!?」
あぁ……そう言うことか。
俺はまだ謝ってないつもりだったんだけど、ソフィアは俺の謝罪(独り言)を聞いてた訳だからな。自分だけ謝り損ねてヤキモキしてたんだな。
だけど――
「良いんだよ。ソフィアは、少しも悪くないんだから」
ふわふわの金髪を優しく撫でつけると、紅い瞳が驚きに見開かれた。
「……どうして? ソフィアはリオンお兄ちゃんを殴っちゃったんだよ?」
「そうだな。いつものソフィアらしくなかったな」
拗ねるようなことがあっても、俺に手を出すのはあれが初めてだ。だから、俺は殴られたとき少しショックだった。
けどそれは、ソフィアが暴力を振るったからじゃない。そんなにまでソフィアが情緒不安定になっているのに気付かなかったからだ。
「約束する。エリーゼさんは必ず俺が助ける。だから、そんな風に心配するな」
「……え?」
「気にしてないように振る舞ってるつもりなんだろうけどな。バレバレだぞ」
クスリの材料を集めると言った俺に、ソフィアはありがとうと微笑んだ。でも、お母さんを助けて欲しいとは願っていない。本当は心配でたまらないはずなのに、だ。
きっと、エリーゼさんの件で、俺に頼るのをためらっているのだろう。
「……リオンお兄ちゃん、気付いてたの?」
「ソフィアのことなんだから、気づかないはずがないだろ。それに気付いてたのは俺だけじゃないぞ」
ソフィアのお母さんが不治の病に冒されている。そんな状況にも関わらず、クレアねぇが唐突に湖に誘ったり、アリスがギルドで無闇にはしゃいでいたのは何故か?
その答えは、彼女たちが空気を読めないからじゃない。空気を読んだからこそ、少しでも雰囲気を明るくしようと振る舞っていたのだ。
まあ……全部が全部ソフィアのためという訳ではないと思う。特にクレインさんなんかは、本気でロリ巨乳かツルペタ幼女か騒いでたと思うし、そっちがメインだろう。
だけどまあ……ソフィアの気分転換という理由もあったと思う。
「……そっか。みんな、ソフィアに気を使ってくれてたんだ」
「そこで申し訳なさそうな顔をする必要はないと思うぞ。と言うか……ソフィアって普段甘えっ子のくせに、肝心なときに遠慮するよな」
「それは……だって、お母さんはリオンお兄ちゃんの家族を殺したんだよ?」
「クスリの素材を集めにグランプ侯爵領まで来たのに、そんなの今更だろ? 嫌だったら、ここまで来たりしないって」
「そう、だけど……そうだけどっ! リオンお兄ちゃんは優しいから、ソフィアのために無理をしてるんじゃないかなって」
なるほど、ね。そんな風に心配してたのか。
「無理なんてしてないよ。と言うか、心を読めば分かるはずだぞ?」
「言ったでしょ、恩恵は本当に必要だと思ったときしか使わないって」
「……いまは必要なときじゃないのか?」
「ソフィアは、リオンお兄ちゃんの本音が知りたいって思ってるよ」
「なら、俺の心を読めば良いじゃないか」
悪戯に使うのは止めて欲しいって思う。けど、ソフィアの不安を解消するためなら、俺は心を読まれたって構わない。
それは俺の本音なんだけど……ソフィアは静かに首を横に振った。
「……もし、リオンお兄ちゃんが自分の本音を押し殺して、ソフィアのために行動してくれてるなら、恩恵で強引に知るようなマネはしたくないの」
「そっか……」
相手の心を勝手に読むって言うのは、卑怯とも言える行為だからな。ソフィアが俺と正々堂々と向き合いたいって気持ちは嬉しい。
なにより、ソフィアが成長してるのが嬉しい。だから俺も、ソフィアの恩恵に頼らず、自分の言葉で伝えよう。
「俺はソフィアとエリーゼさんに仲直りをして欲しいって心から思ってるよ」
「……本当に? 本当に、ソフィアとお母さんが仲良くしても良いの? リオンお兄ちゃんは、ソフィアのために無理をしてない?」
「大丈夫だって、ソフィアは心配しすぎだぞ。どうしてそんなに疑うんだ?」
「だって……ソフィアは、お父さんを殺したことを後悔してる。お母さんを傷つけたことを後悔してる。だから……リオンお兄ちゃんを絶対に傷つけたくないの」
……ソフィアらしいな。
甘えっ子のくせに、俺のことを気づかってる。ホント、ソフィアは可愛くて優しい。そんなソフィアが相手だから、俺は少しも迷わない。
「俺は無理なんてしてないよ。エリーゼさんには思うところもあるけど、そんなことより、ソフィアが笑ってくれた方がずっと嬉しいから、な」
エリーゼさんを見捨てれば、俺の復讐心はほんの少し晴れるかもしれない。けど、ソフィアはきっと悲しい思いをする。それは絶対に嫌だ。
対してエリーゼさんを救えば、俺は少し複雑な想いを抱くだろう。だけど、ソフィアはきっと喜んでくれる。それは俺が心から願っていることだ。
だから俺にとって、どっちを選ぶべきかなんて明白だ。
「それに、俺の個人的な理由もあって、ソフィアとエリーゼさんには仲直りして欲しいんだよね。だから、エリーゼさんの病は絶対に治してみせるよ」
そんな風に前置きを一つ。俺は旅立つ時にアカネより受け取ったゴシック調の髪飾りを取り出した。そうして、それをソフィアの髪に取り付ける。
「……リオンお兄ちゃん、これは?」
「見ての通り、髪飾りだぞ。ソフィアのゴシックドレスには合ってるだろ?」
「そ、そうじゃなくて、これは、その……ソフィアにくれるの?」
「もちろん、プレゼントだよ。……ちなみに、アクセサリーを女の子に贈るのは、自分だけのモノにしたいって意味があるんだってさ」
「ふえぇぇっ!? リ、リオンお兄ちゃん、それって……」
瞬時に頭から湯気が出そうなほど真っ赤になったソフィアが、期待と不安の入り交じった表情で俺を見る。
俺はそんなソフィアの視線を真っ直ぐに受け止めて、こくりと頷いた。
「俺は、ソフィアが好きだ」
「……リオンお兄ちゃん。それは、アリスお姉ちゃんと同じ意味で?」
「そうだなぁ……正直に言うと、アリスへの好きとはちょっとだけ違う」
「そう、なんだ。やっぱり、ソフィアはただの妹なのかな?」
とたん、ソフィアが寂しげに呟いた。だから、俺はそうじゃないよと続ける。
「言っただろ、自分だけのモノにしたいって。アリスへの想いとは少し違うけど、ソフィアを異性として好きなのは事実だよ」
「えっと……どういうことなの?」
「……そうだな。アリスは一緒に並んで歩けるタイプの女の子として好きなんだ。でもソフィアは、妹みたいで護ってあげたくなるタイプの女の子として好きってこと」
そして今は言う必要のないことだけど、クレアねぇは甘えたくなるようなタイプの女の子として惹かれている。それは、俺の偽らざる本心だ。
「それじゃ……その、リオンお兄ちゃんはソフィアのことが好きなの?」
「さっきからそう言ってるだろ」
「そう、なんだ……」
顔を赤らめてもじもじするソフィアは可愛いけど、やっぱり少し焦れったい。
「なぁソフィア。俺はソフィアだけを見ることは出来ない。だけど、俺はソフィアに俺だけを見てて欲しいんだ。そんな自分勝手な俺を受け入れてくれるか?」
「それは……うん。もちろんだよ。ソフィアはリオンお兄ちゃんが好きだから」
ソフィアはそう言って瞳を閉じると、少しだけ唇を突き出した。俺はそんなソフィアの肩を掴み――少しだけ迷って、その頬に唇を押しつけた。
「……リオン、お兄ちゃん?」
「唇は、もう少し大人になってからな」
ソフィアは今年で十三歳。日本人で言えば十六、七歳くらいの外見になってるはずなんだけど……どう見てもそれより幼く見える。
この世界的には、もう結婚も出来る歳なんだけどな。唇にキスをするのは、さすがにちょっと抵抗がある。
「……ん~、リオンお兄ちゃん。髪飾りがずり落ちそうなんだけど」
「あれ、ごめん。付け方が悪かったかな?」
覗き込もうとした瞬間、首に絡みついた腕に引っぱられる。
「うわっ!? ――なんてな」
そんなベタな手段に引っかかる俺じゃない。俺は抵抗するのではなく更に前へ。ソフィアの横をすり抜けるように、一歩を踏み出す。
刹那、
「――えいっ」
踏み出した軸足をスパッと払われた。二度にわたってバランスを崩した俺は為す術もなく、背中から倒れ込む――寸前、ソフィアに抱き留められる。
そして――天井を見上げる俺の視界を、ソフィアの顔が覆い尽くした。
「――んっ。……えへへ、ソフィアの初めてのキス、だよ?」
「お、おう?」
「あはっ、リオンお兄ちゃん、顔が真っ赤になってるよ?」
「い、いやまぁ……な?」
自分が惹かれてる女の子からキスされて、平然としてられる訳がない。
と言うか、もう少し大人になってからって言ったのにと――そんな俺の内心を見透かしたかのようにソフィアが口を開く。
「ソフィアはもう結婚も出来る歳なんだよ?」
「いや、それは判ってるんだけどさ」
「だからホントは、アリスお姉ちゃんにしてるみたいなことだって出来るんだよ?」
「――ぶっ」
とっさに呻き声を飲み込めたのは上出来だと思う。まぁ、バレバレなんだろうけどさ。
「あのね、リオンお兄ちゃん。ソフィアはいつだって大丈夫だから。リオンお兄ちゃんがその気になったら、いつでも、どんな時だって、好きにしてくれて良いんだからね?」
「う、あ……。わ、分かった」
顔がソフィア以上に赤くなるのを自覚する。さすがに悪い大人達に鍛えられてたって言うだけあるな。これじゃどっちが年下か判らないじゃないか。
もう少ししっかりしよう。そして、今まで以上にソフィアのことを護らないとな。
と言う訳で、だ。俺は取り敢えずこの恥ずかしい体勢をなんとかしようと立ち上がる。そうして、あらためてソフィアを見下ろした。
「……コホン。とにかく、だ。エリーゼさんは、必ず助けるから。だってそうしないと、ソフィアとの交際を認めて貰えないからな」
「ふえ?」
「今のままなら反対される可能性が大だろ? エリーゼさんに恩を売って、ソフィアとの交際を認めて貰おうかなって」
まあ、半分以上は建前だ。ソフィアはグランシェス家の養子になっているし、エリーゼさんの許可がなくてもなんの問題も起きない。
けど、ソフィアのお母さんに許可を貰えた方が嬉しい。それも俺の本音だ。
「――ありがとう、リオンお兄ちゃん!」
「……っと」
飛びついてくるソフィアを慌てて抱き留める。ソフィアは嬉しそうに。本当に嬉しそうな表情で俺を見上げる。それはここ最近で一番の笑顔。
……うん。やっぱりソフィアは笑ってる方が可愛い。なんて考えながら、俺はソフィアを軽く抱き返した。
その後、俺達は二人仲良く街の散策を再開した。
澄み渡る青空の下、ソフィアは凄く幸せそうな顔で俺の腕にしがみついている。と思ったら、その表情が曇った。
「……どうかしたのか?」
「えっと……昨日ソフィアが殴ったところ、アザとかになってないかなって」
「大丈夫だよ。一応は防御したからな」
まあ、その防御を打ち抜かれた訳だが……さすがにそんな野暮は言わない。俺は「それより行きたいお店があるんだろ」と話を変える。
「うんっ。あのね、再開発の終わった区画に、郷土料理を扱ったお店があるんだって」
「新しいお店か。……美味しいのか?」
一瞬、王都でウェルズさんの洋服店に立ち寄ったときのことが脳裏をよぎった。
ソフィアが興味を持ってるって言うからなにも考えずに来たけど、あの時の二の舞にならないだろうか?
「冒険者ギルドのサラさんが教えてくれたお店だから、大丈夫だと思うよ~」
「サラちゃんか……」
あの子は、ミューレ学園の学食の味も、ソフィアが料理が得意なことも知っている。それでもお奨めしたのなら、期待出来る……かな?
「それに、心配しなくても大丈夫だよ。ソフィアの目的は、新しい食材や調理方法の研究だから。味が予想と違っても、文句を言ったりしないよ」
「そっか。なら良いんだ。そう言うことなら、そのお店に行ってみよう」
そうして歩くこと数分。やって来たのは、少し古めかしいお店だった。
ミューレから伝わってきた建築技術を使ってるようなので、実際に古いのではなく、あえて古めかしいイメージを保っているんだろう。和風とは違うんだけど、何処か懐かしさを感じるような趣がある。
「思ったよりお客さんが多いね」
「そうだな。昼前に来て正解だったかも」
サラちゃんが紹介したと言うだけあって、店内はかなり繁盛している。もしもう少し後に来たら、満員だったかもしれない。
「いらっしゃいませ。二名様――」
十代半ばくらいだろうか? 素朴な村娘といった感じのウェイトレスがやって来たんだけど、俺達を見るなり口を閉じた。
「……どうかしたのか?」
「――っ。いえ、失礼いたしました。どうぞ、開いている席におかけ下さい。後でご注文を伺いに行きますね」
ウェイトレスは慌てて身を翻し、店の奥へと駆けていく。それを見送った俺達は、首をひねりながらも、空いている席へと座った。
だけど――
「うぅん。なんだ、このアウェイな感じは」
ウェイトレスだけなら気のせいかなって思ったんだけど、他のお客さんの視線もなんとなく痛い。露骨に顔をしかめられるような感じではないんだけど、どことなく歓迎されてないような雰囲気がある。
「リオンお兄ちゃんが気になるなら、恩恵を使ってみようか?」
「……いや、使わなくて良いよ」
知ることでせっかくの幸せな気分が台無しになるかもしれないし、どうしても知らなきゃいけない話じゃないからな。
そもそもソフィアは本当に必要な時以外は恩恵を使わないようにしてるのに、俺がちょっと気になる程度で使わせる訳にはいかない。
取り敢えず視線は気にしないことにして、テーブルの上に置かれていたメニューに目を通すことにした。
昼のメニューは定食で数種類。どれもレジーと言う村の郷土料理らしい。夜はメニューが増えるけど、やっぱりレジー村の郷土料理と書いてある。
レジーって村から出てきて商売してる感じなのかな?
「お待たせしました。ご注文はおきまりですか?」
「あっと……俺はA定食で。ソフィアは?」
「ん~ソフィアはねぇ……。お兄ちゃんの定食、少し貰って良い?」
「もちろん良いけど?」
「ありがとうっ! それじゃあ食べ比べってことで、ソフィアはB定食をお願いします」
後半はウェイトレスに向かって言う。
「――かしこまりました。A定食とB定食がお一つずつですね。すぐに用意しますので、少々お待ち下さい」
そう言って去って行く。ウェイトレスの後ろ姿に、さっきの違和感は感じられない。ホント、なんだったんだろうなぁ。
なんて思ってたら、不意に強烈な視線を感じた。今度はなんだと思って振り向くと、テーブルの直ぐ横。十歳にも満たないような男の子が俺を睨み付けていた。
「おい、お前っ!」
「……俺のことか?」
他に誰もいないとは思いつつも、一応尋ねておく。いやほら、確認って大事だと思うんだ。部屋にちゃんと本人がいるかとかさ。
「お前は貴族だろ。貴族がどうしてこんなところにいるんだ!」
「どうしてって言われてもなぁ……ここの料理が美味しいって聞いて、食べに来ただけだぞ?」
「嘘付けっ! また酷いことをしに来たんだろ!」
「……酷いこと?」
どういうことだろうとソフィアと顔を見合わせる。その直後――
「父ちゃんと母ちゃんの仇っ!」
男の子がいきなり殴りかかってきた。






