エピソード 1ー8 決意
ミューレの街の外れに作られた湖の畔。白い砂浜でアリスとソフィアが相対していた。
「ソフィアはアリスお姉ちゃんにだって負けないよ!」
「私だって、ソフィアちゃんに負けるつもりはないよっ」
二人は油断なく構えて火花を散らしている。他者の介入を寄せ付けぬ気迫が遠目にも判る。そんな緊迫した空間に一陣の風が吹き抜けた。
刹那、アリスが手に持っていたビーチボールを天に向かって投げる。そしてそれを追いかけるように飛び上がり、手のひらを閃かせた。
アリスの手に打ち抜かれたボールは、ソフィアの斜め前方の砂浜へと吸い込まれた――はずだった。けれど、ソフィアは砂の上を滑るように移動。
「アリスお姉ちゃんの思考はお見通しだよ!」
落下地点でボールをレシーブ。素早く飛び上がり、アリスのいるフィールド目掛けて鋭いアタックを放った。
二人が競っているのはビーチバレーのような遊び。普通ならダブルコンタクトのファールだけど、一対一だから問題ないのだろう。
放たれたビーチボールがライン上に落ちていく。だけど、アタックを放ち終わったアリスは、まだ体制を整えていない。
いくらアリスでも、それを拾うのは不可能だろう。
そう思った瞬間、
「――っ、まだまだぁっ!」
精霊魔術を使ったアリスは弾かれるように加速。驚異のスピードでライン際に飛び込み、レシーブで受け止めた。
そうして砂をまき散らしながら一回転。地面を蹴って飛び上がり、更に虚空を蹴ってボールへと食らいつく。
「これで、終わりだよ――っ!?」
ビーチボール目掛けて右腕を振り抜き――アリスは目を見開いた。ビーチボールの向こう側。ソフィアが同じように空を舞い、右腕を振りかぶっていたからだ。
「言ったでしょ――」
ソフィアは猛スピードで飛来するビーチボールを打ち返す。つまり、アタックをブロックするのではなく、アタックで打ち返したのだ、
まるでそこに飛んでくることを知っていたかのような完璧なタイミング。凄まじい速度を得たビーチボールは、そのままアリスのコートへと突き刺さった。
そしてそれに遅れて、ソフィアがふわりと砂浜の上に降り立った。そうしてふわふわの金髪をなびかせ、無邪気な微笑みを浮かべる。
「――アリスお姉ちゃんの思考はお見通しだって」
「まさか精霊魔術を使っても勝てないなんて……ソフィアちゃん凄すぎだよぉ」
対して、アリスは着地と同時に砂浜へがっくりと膝をついた。
「弟くんは、参加しないの?」
少し離れた木陰に設置されたデッキチェア。二人の様子を眺めていると、隣のデッキチェアに寝転んでいたクレアねぇがぽつりと呟いた。
「あの二人に混じって、俺に死ねと?」
「まぁそうね。あんなに激しい運動をしてる二人の中に混じったら、胸に視線が釘付けになって大変だものね」
「そうそう――って違うからっ! 純粋に技術の話をしてるんだよ」
確かに水着で飛び跳ねる二人の胸は縦横無尽に揺れてるけど、あの二人の戦いに混じって、胸に見とれてる暇はない。
いや、観戦してる方が眺める余裕があるとか言う話でもなく。
「弟くんだって精霊魔術を使えるでしょ?」
「以前より上達してる自信はあるけどな。アリスと比べたら天と地の差だよ」
少なくとも俺は、あんな激しい動きの中で空気の壁を作って、虚空を蹴るなんて曲芸は出来ない。そして、そのアリスですら、ソフィアの恩恵の前に押されているのだ。
俺じゃ逆立ちしたって勝てる気がしない。
「それより……ありがとな」
俺は言おう言おうと思っていた言葉を口にした。
「みんなの水着姿を見る機会を作ったこと?」
「ちげぇよ。ソフィアの気分転換の場を作ってくれたことだよ」
アリスが湖を作っていたのは偶然かもしれないけど……このタイミングで誘ってくれたのは、偶然じゃないだろう。だからありがとうと、俺はもう一度繰り返した。
「別に……可愛い妹を気づかうのは当然でしょ」
クレアねぇは小さな微笑みを浮かべた。そうして穏やかな眼差しでソフィアを見守る横顔は、本当にお姉ちゃんをしている。
「でも……エリーゼさんを救うまで、ソフィアちゃんが本当の意味で安心することはないでしょうね。弟くん、ちゃんと支えて上げるのよ?」
「もちろん、分かってるよ」
俺は頷き、ソフィアに視線を向ける。そうして二人の試合を見守っていると、どこからともなく、俺を呼ぶような声が聞こえた気がした。
「……クレアねぇ、俺を呼んだか?」
「あたしじゃないわよ。と言うか、後ろから聞こえてきたわね」
言われて振り返るが誰もいない。だけどヤシの木から伸びる影に、人影らしいモノが混じっていた。
「誰かいるのか?」
「……えっと、リオン様。私です」
控えめな声とともに、おずおずとヤシの木の陰から顔を出したのは……
「ティナ? そんなところでなにをやってるんだ?」
「これは、その、あの……」
「はっはぁ~ん」
なにかに気付いたクレアねぇが悪戯っぽい笑みを浮かべてティナのもとへ。慌てるティナの腕を掴んで、ヤシの木の陰から引きずり出した。
そうして転がり出てきたティナは、花柄のワンピースタイプの水着を着用してた。
「もしかして、ティナも泳ぎに来たのか?」
「い、いえ。その、お薬を作る素材の情報が上がってきたので、ご報告に来ました」
「あぁ、そうなんだ。それはありがたいけど……なら、なんで水着に?」
「弟くん、察してあげなさいよ。弟くんに見せに来たに決まってるじゃない」
ティナの代わりにクレアねぇが答える。そしてそれが正解だとばかりにティナの頬が真っ赤になった。
「そっか。……ティナ」
「ひゃいっ!?」
「その水着、可愛らしいな。大人しいイメージのティナに良く似合ってるぞ」
「あ、ありがとうございますっ」
少し浮かれた様子のティナに対し、俺は出来るだけ平常心を装う。ここで恥ずかしがったりしたら、クレアねぇにからかわれるのが目に見えてるからだ。
そう思って横で目でクレアねぇを見ると、グッジョブとばかりに親指を立てられた……って、あれ? 結局、クレアねぇにのせられた?
ま、まぁ、それはいいや。
「それで……報告って言うのは?」
「はい。まず地竜の爪ですが、グランプ侯爵様が持っているそうです。交渉のことも考えて本人への確認はまだですが、恐らくは事実だと思います」
「クレインさんか……」
持ってるって言うのは、コレクションとしてってことかな? それなら相応の対価を支払えば譲ってはくれると思うけど……断られる可能性も否定は出来ない。
「ちなみに、リュクスガルベアの方は?」
「そっちはガルベアという魔物から突然変異で生まれる希少種だそうです。数百頭に一匹の割合で生まれるみたいですね」
「希少種、ねぇ……ちなみに生息地は?」
「主に深い森なんかが生息地で、ここから一番近いのは、グランプ侯爵領ですね」
「なるほど……」
どっちもグランプ侯爵領なのは都合が良い。クレインさんには視察に来てくれって言われてたしな。俺が直接出向くとしよう。
――と言う方向で真面目に話を進めた。……水着姿で。正直、目のやり場に困る感じだったんだけど……まあなんとか話は纏まった。
その結果、俺とアリスとソフィアに、世話係としてミリィ母さんと、護衛としてエルザを含めた五人でグランプ侯爵領へ向かうこととなった。
例によってクレアねぇはお留守番だ。当主代理としての仕事が色々あるから、そんなに長くグランシェス領を空けられないんだってさ。
ちょっと申し訳ないし寂しいけど、こればっかりは仕方がない。
そんな訳で翌日。
馬車で出立しようとする俺達を、グランシェス領の面々が見送りに来てくれた。
以前なら片道一週間近く掛かったけど、今は街道が整備されて三日となっている。盛大にお見送りって言うのは、少し大げさすぎる気もするけどな。
でもまぁ、見送りに来てもらって悪い気はしない。と言う訳で俺達は、思い思いにみんなと言葉を交わし始める。
そんな中で、俺もまずはリズへと話し掛けた。
「リズ、今回も留守番で悪いな」
「置いてきぼりは寂しいですけど、これは自分が望んだ役割だから頑張ります。リオンお兄様、気を付けて行ってきてくださいね」
「ありがと、気を付けて行ってくるよ」
リズの頭を軽く撫でつけて挨拶を終える。そうして今度は、アカネへと視線を向けた。
「アカネには、交易のあれこれの仕切りを引き続き頼むな」
「任されたよ。それから、例の件も順調やから安心してな」
「それはなによりだ」
ちなみに、中継点に魔術師を配置して、リズの代わりに商品を氷らせると言う計画のことである。
アカネがぼかしたのは、リズにはまだ秘密だからだ。
さっきリズ自身が口にした通り、リズは自分にしか出来ないお仕事にやりがいを感じている。だから誤解させないように、そしてリズが疲れた時にサポート出来るように、時期を見て話すつもりなのだ。
「それから、これ。前に頼まれてた例の品やね」
「お、ありがとう」
俺はアカネから布に包まれた手のひらサイズの品を受け取る。中身はアリスブランドの髪飾り。自分で購入するとみんなにバレるから、アカネ経由で作ってもらったのだ。
「ちなみに、誰に渡すつもりか聞いてもええか?」
「秘密に決まってるだろ」
俺は笑って、受け取った髪飾りをそっと懐にしまった。
その後、一言二言交わして、アカネとの会話は終了。
続けて周囲を見回すと、クレアねぇや補佐組のティナとミシェル。それに学校で教師をするリアナとアイシャの姿が目に入った。
「クレアねぇには………特に言うことがないな」
「ちょっとちょっと、弟くん? それはいくらなんでも酷くないかしら? 俺が留守にしてるあいだ、グランシェス領を頼むな――とか、色々あるでしょ?」
「だって、普段からクレアねぇが仕切ってくれてるじゃないか。俺がいなくても大丈夫に決まってるだろ」
「信じてくれるのは嬉しいけどね。そこは優しい言葉を掛けてくれても良いんじゃないかしら?」
それは判ってるけど、照れくさいんだよ――とは声に出さない。その代わり、仕方ないなぁと言う表情を浮かべて、クレアねぇを軽く抱きしめた。
「お、弟くん?」
「リュクスガルベアのキモとかを手に入れて、出来るだけ早く帰ってくるからな。それまで、グランシェス領を頼むな」
「……ええ、任せておいて。グランシェス領のことは心配しなくて良いから、気を付けて行ってらっしゃい」
互いの背中をぽんぽん叩いて離れる。そうして俺は最後に、他の四人に視線を向けた。
「俺が留守の間、クレアねぇや生徒達のことを頼むな」
「お任せ下さい。クレア様の補佐は私のお仕事ですから」
ティナが元気よく答え、続いてミシェル、リアナ、アイシャの三人も頷く。
そうして全員との挨拶を終え、俺達はグランプ侯爵領を目指して出発した。
目的はエリーゼさんを救うこと。そのために、クスリの素材を集める。俺自身がエリーゼさんを大切に想っている訳じゃないけど、ソフィアに悲しんで欲しくない。
だから、俺はソフィアのために、必ずエリーゼさんを救ってみせると誓った。
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