エピソード 2ー2 クレアリディルは自重しない!
結果から言うと、インフルエンザの流行は無事に収束した。
ミシェルを初めとしたメイド達も全員が無事だ。離れの環境が良かったのに加えて、彼女たちに体力があったからだろう。
ただ、インフルエンザが流行した領地全体で見れば、それなりの犠牲が出たらしい。看病した者に感染して――というケースも零ではなかった。
それでも、感染者全てを焼き払うよりは多くの人々を救えたのも事実だった。
その結果、俺のもたらした知識は本物だと知れ渡り――俺は父に呼び出された。
ただ俺への質問は驚くほど簡潔ですぐに解放された。調べるつもりがない、もしくは黙認すると言わんばかりの態度だ。
――ただし、その代わりと言わんばかりに、ミリィは解雇された。
それ以上の罰はなく、ただ故郷に帰されたというのが救いだけど……ミリィの処遇が決まってからは会うことも叶わず、最後の別れすらろくに出来なかった。
そしてミリィと入れ替わりで、新しい世話係のメイド、マリーがやって来たのだけど、俺の監視役を兼ねている上に無愛想でろくに口を利いてくれない。
お陰で最近は誰とも話さないなんて日もあるくらいで、俺は人と喋るのに飢えていたのだけど――
「弟く~ん、様子を見に来たわよ」
ミリィがいなくなって一ヶ月ほど経ったある日の午後、応接間で暇をもてあましているとクレアねぇが尋ねてきた。
「様子を見に来たって……この屋敷には監視のメイドが居るんだぞ!?」
今は側にいないけど、もし見つかったらなにを言われるかと慌てる。だけどクレアねぇは気にした風もなく、俺の座っているソファのとなりに腰を下ろした。
「平気よ。お母様は説得済みだから」
「え、ホントに?」
「ええ、本当よ。でもその話はおいといて、まずは謝らせて欲しいの」
「謝るって……なにを?」
「ミリィさんの件よ。こんな結果になって、本当にごめんなさい!」
「あぁそれか。あの時も言っただろ、それはミリィも俺も覚悟の上だったんだ。だから、クレアねぇは謝る必要なんてないんだよ」
「でも、お母さんと引き離されて、ショックだったでしょ?」
「それはショックだったけど――え? ……ちょ、ちょっと待って、待ってくれ。お母さんって、どういう意味だ?」
「そんなの、言葉通りの意味に決まって……え? まさか、知らなかったの? ミリィさんは貴方を産んだ母親よ?」
「……嘘、だろ?」
「嘘じゃないわ。みんな知ってることよ。だからあたしも呼び捨てじゃなく、ミリィさんって呼んでたでしょ?」
「で、でも、ミリィは俺の母親じゃないって……」
「それは……それはきっと、そう言う約束だったんじゃないかしら。お母様は、ミリィさんが貴方を育てるのにも難色を示していたそうだから」
「そん、な……」
あまりのショックに声が出ない。でも、きっとそれは事実だ。だって俺はこの六年で何度も、母親が居ればミリィみたいな感じなんだろうなって思ってたから。
「ちくしょう!」
俺は机に拳を振り下ろす。
大切なモノが、護らなきゃいけないモノが目の前にあったのに、どうして言われるまで気づかなかったんだ!
「ごめんなさい。あたしの責任、よね……」
「……え? あ、いや……クレアねぇは悪くないよ。気づかなかった俺が悪いんだ。それに知ってたとしても、クレアねぇを助けてたよ」
クレアねぇの為にミシェル達を救ったことに後悔はない。ただ、もしもミリィが母親だと知ってたら、もう少しちゃんとしたお別れが出来たのにって哀しくなっただけだ。
「俺はミリィのことを何にも知らなかったんだな。せめて故郷の場所くらい聞いておけば良かったよ」
「あ、それなら問題ないわよ。ミシェルに頼んで、こっそり無事を確認してるから」
「……え、ホントに?」
「ええ、ホントよ。今は故郷の村で過ごしているわ。監視の目があるかもしれないから、連れ戻したりするのは無理だけどね」
「お、おぉぉぉ十分だよ! グッジョブだクレアねぇ!」
「ぐ、ぐっじょぶ? 良く判らないけど、喜んで貰えたなら良かったわ」
おっと、喜びのあまり、前世の言葉が出てしまった。
でも、これで希望が持てる。今はまだ無理だけど、いつかある程度の自由を確保できたらミリィを迎えに行こう。
「ねぇ弟くん。なにかあたしにして欲しいことはない? ミリィさんが居なくて困ってることとかあれば力になるわよ?」
「困ってること?」
「なにかない? 弟くんのお願いなら、なんだって聞いてあげるわよ?」
だから、軽々しくなんでも聞くとか言っちゃダメだってのに。姉弟だからえっちぃお願いとかは有り得ないけど、無茶な要求をされたらどうするんだよ。
前回あんな事があったのに、まったく反省してないな。
「うぅん。そうだなぁ……あ、一つ頼みがあるな。実はミリィが居なくて凄く暇なんだよね。それに色んな勉強もしたいのに、ここには書物の類いが一切なくてさ。もし手に入れば、持ってきてくれないか?」
「書物かぁ……うぅん。そうねぇ。監視の目があるから難しいかも知れないけど、なんとか出来ないか考えてみるわね」
「おぉ、ありがとうクレアねぇ!」
「良いのよ。弟くんに何かしてあげられるのも、もうあと少しだしね」
「……え、なにそれ。どういう意味?」
俺の問いかけに、クレアねぇは視線を逸らした。
「……あたしね、またお見合いをさせられるの。今度は、逃げられないと思う」
そっか……政略結婚か。いつかはこんな日が来るって思ってたけど、まさかこんなにも早いなんてな……
「相手はどんな人なんだ?」
「二十七歳でやり手の侯爵様よ。見てくれも悪くないそうだし、想像してたよりはずっとマシな相手だと思うわ」
「それは……」
何とも反応に困る。普通に聞けば超優良物件なのかも知れないけど、現在九歳のクレアねぇとの年齢差は十八歳。良かったと言って良いんだろうか……?
「心配しないで。もし結婚が決まったとしても、結婚自体はあたしが十二歳になってからだから。それまでは自由にさせて欲しいって、お母様にお願いしたのよ」
「そっか……だから、ここに来れたんだ」
「どうせ結婚させられるなら、最後くらいは弟くんと過ごしたいもの」
「クレアねぇ……」
そんな風に思ってここに来てくれたのか。なんとかしてクレアねぇを救ってやりたいけど……今の俺にはどうすることも出来ない、か。
せめてもの救いは、クレアねぇが十二歳の誕生日を迎えるまで二年半ほど猶予があるって事だけど……その間にクレアねぇを救う方法を見つけるなんて可能なのか?
判らない。判らないけど……いや、判らないからこそ、かな。クレアねぇの背負う重荷を少しでも肩代わりしてあげたい。
「クレアねぇ。俺に何か出来ることはあるか?」
「え、急にどうしたの?」
「本当は結婚自体をなんとかしてあげたいんだけど、今の俺には無理だから。だから、俺に出来ることがあるのなら、なんだってするよ」
「……本当に? 本当になんだってしてくれる?」
「ああ。約束するよ」
クレアねぇは今や、ミリィや紗弥とも同じくらい大切な家族だから。どんな無茶なお願いだって、弟として叶えてやるつもりだった。
だから――
「なら、あたしの初めてを貰ってくれる?」
「………………………はぃ?」
俺はクレアねぇの願いを理解できなかった。
「だから、ね。顔も知らない中年の男に奪われるくらいなら、弟くんにあたしの初めてを貰って欲しいの」
「……あ、あぁ! なるほどね。初めてって、そう言う意味か――って、はああああああああああああああああああああぁ!?」
「うわっ、その反応……弟くんってば、やっぱりそう言う知識があるのね」
「えっ!? あっ、いやそれは……俺まだ八歳だからなにを言ってるか判らないよ!?」
「……それで誤魔化せると思ってる、の?」
うわぁ、クレアねぇに呆れた目で見られてしまった。
「ま、まぁほら、なんとなく知ってても、よくは知らない知識ってあるだろ?」
「そうかしら? まぁ、だとしても心配は要らないわ。あたしは花嫁修業の一環として、ミシェルにそっちの教育もして貰ってるから大丈夫。お姉ちゃんがリードしてあ げ る」
気が付けば、隣に座っていたクレアねぇがにじり寄ってきた。
年上のお姉さんにリードされるとか、言葉だけ聞けば羨ましそうな展開だけど、相手は実の姉で、しかもまだ九歳と八歳。
どこから突っ込んで良いか判らない。
いや、突っ込むって言うのは性的な意味じゃなくて……って、違うそうじゃない。自分に突っ込んでどうする。
突っ込むのはクレアねぇに対してだ! って突っ込むのは性的な意味じゃないからなって思考がループしてるううううううううぅぅっ!?
「ふふっ、弟くんってば、慌てちゃって可愛いわね」
「ちょ、まっ、クレアねぇ! 自分がなにをしようとしてるか判ってるのか!?」
「もちろん、知ってるわよ。経験がないから、判ってはいないかもだけどね」
「そう言う言葉遊びをしたいんじゃなくて! 少しは冷静になって考えようよ!?」
「え~でも、この前『例え自分の望まない内容でも、ちゃんと言うこと聞けよ。何でもするってそう言うことだろ?』って言ったわよね?」
「……………………………」
「言ったわよね?」
「……………………い、言いました」
ついでに言うと、『何でもするなんて軽々しく言うなよ。えっちぃお願いとかされたらどうするんだ』とも心の中で言いました。しかも前回と今回で二回も。
………………しょ、しょうがないだろ!? まさか姉にえっちぃお願いをされるなんて思わなかったんだから!
「と言う訳だから弟くん。あたしの初めて貰ってくれるわよね?」
クレアねぇは俺の両肩を掴んで顔を寄せてくる。
「ちょっ、クレアねぇ顔が近い! 何するつもりだ!?」
「なにって、こういう時はやっぱりキスからでしょ」
「キスからでしょ――じゃない! 少しは冷静になって考えようよ! 色々と問題があるだろ!?」
「問題って……例えば?」
「そ、それは……」
落ち着け、落ち着け俺! 冷静になって考えるんだ。
クレアねぇの要求を呑むのは色んな意味で無理だ。だけどあんな台詞を吐いてしまった以上、自分だけ約束を破る訳にもいかない。
だとしたら、どうするか。その方法は一つしかない。即ち、クレアねぇ自身に要求を撤回して貰えるよう説得することだ。
だけど、どうやって思い直させれば良い?
例えば……日本では姉弟で関係を結ぶだけで問題になるけど、この世界では近親婚すら普通に有り得る。世間体がどうとか言ってもクレアねぇは気にしないだろう。
だとしたら、血縁同士の子供は免疫が下がるからと説得を――いや、ダメだ。
目的は子供を作ることじゃない。この世界にコンドーさんがいらっしゃるのかは判らないけど、魔術のある世界だから油断は出来ない。
いや、それ以前、俺の年齢だとたぶん子供は出来ないはずだ。
けど、クレアねぇは全て承知の上で俺にお願いをしているんだ。俺がそれを指摘したところで、意見を翻したりはしないだろう。
……あれ? 説得材料が見つからない。もしかして、思い出を上げるのがクレアねぇの為なのか? ……って、いやいや、そんな馬鹿な。
同情でそんな事をしたら後悔するに決まってる。ちゃんと説得しないと。でも、えっと、問題は……問題、問題?
――そうだ!
「お互い初めてだと大変だって言うだろ!」
って俺のバカああああああああ! そんな理由で納得されるはずないだろ!
「それは……確かにね」
――納得された!?
「せっかくの初めてなんだし、弟くんにリードされるってシチュエーションも魅力的よね。でもその為には、弟くんに経験を積んで貰わないといけないし……」
あ、あれ? 今度はなんか変なこと言い出したんだけど? なんかやばい。これは止めなきゃやばい気がする!
「あ、あのさ、クレアねぇ?」
「――そうだわっ! そうすれば弟くんのお願いも聞いてあげられるじゃない!」
うぉ、びっくりした。いきなり立ち上がって小さな手を握りしめるクレアねぇ。普段なら可愛く見えるかもだけど、今は不吉な予感しかしない。
「弟くん!」
「は、はい?」
「凄く良いことを思いついたから、楽しみにしててね!」
クレアねぇは俺が止める間もなく走り去ってしまった。色んな意味で置いてきぼりを喰らった俺は、開けっ放しにされた扉を見ながら確信する。
……あ、これ絶対にダメな奴だ。
 






