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Ocean Planet   作者: 唯野人鳴
第一章 海の上、始まりの日
2/9

第一節

「それは、西暦3500年を超えた頃の話でした……」


 淡く、細波のような教師の声が細く遠く聞こえた。

 あ、これはまずいなと、眠気で今にも落ちそうな目蓋を気力で支えて思う。

 春は曙、春眠暁を覚えず。

 昔の偉い人は言ったらしい、腹の皮が張れば目の皮がたるむと。

 午後一時。春の日差しが暖かに降り注ぐ、暖房の効いた教室で襲いかかる睡魔はあまりにも強大だ。

 遠のいていく意識を必死にかき戻しながら、耳に、とにかく情報を入れようと努める。


「突如として、この世は海に沈みました。原因として様々なモノがあげられています。地球温暖化、太陽と接近したこと、北極の氷が溶けすぎたことなど。しかし、そのどれもがあくまで予測であり、確かな回答ではありません。故に、私たちの使命の一つに沈没した世界の究明があげられているのです」


 聞き慣れた話だと、頬杖をつきながら思う。

 昔々の話だ。

 俺たちの曾祖父が生まれるよりさらに200年は昔、どうやらこの世界の大陸は海に沈んだらしい。残されたもモノは、種々様々な僅かばかりの人口、その当時の技術の粋を極めた五隻の巨大な潜水艦、そして先人より与えられた解けるはずもない疑問(しれん)の数々――。

 老人たちはどうだかしれないが、そんなモノに俺は興味はない。

 俺にとって、世界はこの二千平方キロメートル四方の鉄の箱だけ。

 もはや、失って久しい楽園なんぞに興味は出ない。

 生き残るための術を残してくれた方々には、それを恩と感じている人たちが義理を果たしたらいい。一般人である俺は、のんびりとその一生を過ごしたいものだ。

 そんなことをとりとめもなく考えながらも、意識は完全に眠気に屈し、深い無意識の世界へと落ちていった。

 

          *


「……ほら、起きて」


  体が揺すられるなと、感覚の鈍い頭が自覚した。ナニカが、完全に沈黙した脳機能に、強い刺激を外部入力しているような。


「起きてってば、授業終わったよ」


 目蓋の裏が、だんだんと熱くなってくる。

 自意識が浮上し、回復するのが分かったが、それでも無意識の惰性が、もう一度眠りの世界引きずり込もうと誘惑してきている。


「だから――起きなさいッ!」


 パ―――ン!という衝撃は、痛みよりもむしろ音の攻撃となって、強制的に半覚醒の眠気眼をたたき起こす。


「うおおおぉぉぉぉぅ!?」


 跳ね上がった頭が最初に捉えたのは、怒りに眼を上げる幼なじみの姿だった。

 なんだか、真っ赤な髪がより深くなっているような錯覚がする。


「……あのさ」


「言い訳は通用しません」


 ……おおぅ、にべもない。

 今度ばかりは、ちょっとやそっとじゃ許してはもらえそうにもない。私、怒ってますよと全身で表すその姿は、母親よりも母親らしく、腰に手を当てた姿が異様に似合う。


「本当は」

「ハイ」

「本当は三十分ぐらいは説教かましてやりたい気分なんだけど……美紀さんが火急の用事だっていうし」


 仕方ない、とでもいう風に雪花は溜息をつき、腕を解いて怒りの表情を微かに和らげる。

 たったそれだけの行為でも、その体躯が小柄になったように見えるというのは、これはいったいどのような魔法なのだろうか。


「早く出ようか。車、もう表に着いてるよ」

「……火急の用事って、なんなんだ?」

 知らないよそんなこと、と雪花は床においていた教科書(電子ペーパー)を拾い上げ、窓の外を指さす。

「とにかく、美紀さんの怒りボルテージがこれ以上溜まらないうちに行った方がいいと思うな、私。美紀が起きるまでにもう十分は経ってるよ?」

「げ――」


 思わず、口の端がひきつる。

 それはマズイ。

 あの女は、兎に角待たされることを嫌う。

 人のことを待たせるのは得意技のくせして、だ。そう、あいつのことを一言で表すのなら女王様という言葉がふさわしい。

 なんせ、私が世界の中心だとか本気で思っているような節がある。

 そんなことをいうと、あなたの母親でしょうに――などと、あきれたように雪花には返されるのだろうが、俺自身はあいつのことを母親だと認識したことはない。

 精々が、年の離れた姉程度。実際、血は繋がっていないのだから割と正しい認識ではないかと思う。

 傲慢なところをどうにかすれば、結構スゴい奴だと認められるのだが。これは、兄貴と俺との共通認識だ。

 ともかく、鏡の国のアリスのウサギのように、俺は這々の体で教室から駆けだした。


          *     


「なぁ伊月、私言ったよな?時は金なり、私の時間奪ったんだったら賠償金払いなさいって」

「会うなりこの横暴な台詞。お元気そうで何よりでございますね、おかーさま?」


 養母にして、姉貴分。十川美紀は、いつものごとく堂々とした態度で佇立していた。

 ホットパンツにTシャツという、その出で立ちは実に爽やかで、まだ寒さの残る春先だということを一瞬忘れさせる。


「ま、とにかく乗りな。伊月も雪花にも関係のある話だ、移動しながら話そう」


 硬質な黒に塗られたオープンカーは、ほぼ無音に近い唸りをあげている。

 旧時代の車とほぼ同じ設計思想で作られた、美紀の愛車。その鋭角なフォルムは、なるほど確かに格好良い。

 デザイン性というモノがあまり重視されなくなっているこの時代において、センスの良いものを持っているのは結構なステータスだ。この閉じられた世界で、何よりもその停滞と衰退を余儀なくされているのは、芸術やエンターテイメントの世界らしいから。


「ほら、雪花も行くぞ」

「――ん」


 座席は、相変わらずの乗り心地であった。

 皮張りのシート特有の背筋に伝わる張りの感触と、詰め込まれた綿の感触が心地良い。緩い振動が伝わってくる感触を楽しみながら、滑らかに動き出した車の上から首を出してみる。


「な、せっかくだから港市街の方廻っていこうぜ。今日、確か《EAST》の船が近くを通るって話だし」

「うん、今日はいい天気だしね。ドライブするにはいい感じかも。一週間後にはまた潜行航行に戻るんだし、今のうちにでも外の空気を味わっておきたいな」

「オーライ、じゃ一般道で行こうか」


 徐々にスピードを増していく車は、心地の良い風を送ってきてくれる。空気はもう冬の名残を残しておらず、暖かな陽光が俺たちに夏の訪れを感じさせた。

 この分なら、兄貴の仕事が終わるのも早くなるかもしれない。袖を膨らませる風はそんなことを感じさせるには十分で、俺は久しぶりに会う血の繋がった兄弟との再会に胸を膨らませていた。

 ……俺たちが暮らしている潜水艦《CENTRAL》は、全長二千平方キロメートルにもなるもはや常軌を逸したサイズの潜水艦だ。

 ちょうど、ラグビーボールの上部を切り取ったような形をしており、その中に都市部が詰まっているような構造になっている。

 切り取られた上部を覆っているガラス張りのドームは、水上航行中のみ解放され外の空気を存分に味わえる。許可を取れば海上をボートで遊ぶことも可能で、ここぞとばかりに《CENTRAL》の住人たちは狂ったように遊び回っているのだ。

 潜行航行に戻ると完全にドームは閉じ、人工の空がその内側に点る。その映像美も俺は嫌いではないのだが、こうして実際に外に出て味わうさわやかな風はやはり特別なものがある。

 スピードに乗ったオープンカーが幅広い道路を走り抜けると、空がまるで流れるように前から後ろへと抜けていく。

 存分にその開放感を味わいながら、そういえば――と、火急の用事とやらがあったのではないかと思い出す。

 さんざん急かしていた割には、いつまでたっても話を切り出さないのが不思議なところだ。

 だいたい、呼び出したのが美紀だという時点でやっかいなのが容易に予測できるというのに、こうしてじらされると恐怖が加速度的に増していく。

 バックミラー越しに美紀の表情をよく見ると、どことなく堅くなっている気がする。だんだんと、久しぶりに外の空気を味わえる喜びで浮かれていた心が冷え込んでいくのが分かった。

 錯覚だろうが、車内に降りる空気すら少し落ち込んでいく気がする。


「ね、結局話ってなんなの」


 雪花が、そう切り込んだ。

 今度は、目に見えて空気が冷え込むのが分かる。

 春の温かい陽や、さわやかな海風は依然としてそこに在るままだというのに、体感では真冬のそれに触れている気がして、肌に淡く鳥肌が立った。

 雪花の表情が少し引きつったのが見えた。

 大人っぽいが、少々愚直なまでに安定を求めている節のある雪花は、こういう空気がひどく苦手だ。

 責任感も強いから、いざとなればこうして踏み込むこともするのだろうが、しかしその態度は俺は頼りにならないと言われているようで、なぜだかひどくしゃくに障る。

 運転席から聞こえてきたのは、美紀の何かを諦めたかのような溜息。 


「陣がな、遠征中に失踪したらしい。生きている可能性は……ほとんど無いそうだ」


 ――訪れたのは、世界が終わってしまったのでは無いかというほどの衝撃だった。


「は……?いや、冗談……だよな?」


 そんな言葉を、現実だなんて認められるわけが無い。耳の中でエコーする美紀の言葉と、呆然とした雪花、何かをこらえるような顔をした美紀の表情が、現実感から乖離した意識にフィルターの一コマのように映っている。


「どういう……ことなのかな、美紀さん。そんな、死んだって決めつけるようなことがあったの?」

「私も、詳しいことを聞いてるわけじゃないだがな」


 そう言って美紀は、風で乱れた長い黒髪をかき上げ、再び重い溜息をつく。

 雪花に、肘でつつかれて止まっていた思考が動き出す。 ――――情けない。

 心の中で歯がみするも、しかし今の問題はそこじゃ無いと思い直す。そう、陣が失踪したとはどういうことなのか。

 心の中ではそんなこと、信じたくないし信じない。

 だけど、現実問題として何かが起こっているのなら。「二人とも、陣の仕事は知っているな?」


「概要くらいは、だけど」

「俺も、詳しいことは知らないな。遠洋での実験チームに所属して、何か探索しているモノがあるってぐらい」 十川陣は謎めいたところがある。


 正確には、秘密好きの格好つけ。間違いなく欠点であるその性質は、管理政府に“口が堅い”という長所として映ったらしい。なにやら、五艇共同で企画しているという極秘プロジェクトに参加を求められたそうだ。

 事実、兄貴は家族である俺と美紀、それに幼なじみである雪花にも詳しいことは何一つとして口を割っていない。


「なぁ、それがどうしたんだよ。兄貴、そんな危険なことしてたのか」

「……私も、詳しいことを聞いたわけでは無いんだがな、知人の話ではとてもそんなことは無いらしい」


 美紀は、一般の大企業に勤めているやり手のキャリアウーマンだ。

 そのコネは管理政府とも通じているらしいが、それにしたってせいぜいが噂話を拾ってくる程度。それも極秘プロジェクトともなれば、よほど精力的に動いても、本来ならば情報なぞ入ってくるはずも無いのだ。


「事故に遭うような危険がある仕事では無かったこと、 管轄はどうやら情報管理局であるらしかったこと、

 ……遺体が、未だ発見されていないこと。

 私がコネをフルで使っても、調べられたのはここまでだった。というより、あの様子では、事の真相を知ってるモノの方が少ないのだろうな」


 確かに、概要だけには触れては居ても具体的な中身についてはなにも触れては居ない。

 だが、俺にはそのことを無能として責めることは出来なかった。

 美紀のその、あまりにもらしくない表情。痛快で、自信家だった彼女らしくも無い、自分の無力さに打ちのめされたその目を見れば、とてもそんなことで責められはしない。

 むしろ――。

 むしろそう、心の中で詰っているのは自分であり、そして陣のことだった。

 ああそうだ。実際、心の中では相当ムカついている。なぁ、兄貴。お前、なに俺たちの母親泣かせようとしてるんだよ。

 この、唯一にして最高の家族を、悲しませるモノなど何者も許さないと、そう決めたのは俺たちだっただろう――?

 そんな、慟哭ともしれない、言うなれば駄々のような感情を制御できずに、胸中でずっともてあましている。「……嫌だ」


「へ……?」


 きょとんとした顔の雪花。どこか呆然とした美紀。その二人の目尻に浮いている涙の気配、昏い悲しみの色が、全く持って気に入らない。


「俺は認めないぞ、こんなモノ。こんな理不尽なんて許してなんてなるものか」


 別に英雄ぶるつもりも、どこぞの主人公のようになりたいというわけでは無い。

 だけど、誰がこんな理不尽を認められようか。 

 勝手にいなくなった奴が、俺の大切な世界に、俺の大事な人たちに傷をつけて一生まとわりつくのだ。

 そんなのって、無いだろう。

 だから、絶対に俺は認めない。


「な――お前はなにを言ってるんだ!?気持ちは分かるけど、少し落ち着け!」


 らしくなく、慌てた美紀の声。

 どうやら、俺が錯乱でもしたのでは無いかと思ったらしい。

 たしかに、この訳の分からない衝動を通常(まとも)だなんていうことは出来ない。具体的になにが出来るだなんて想像も出来ないのに、必死にこの現実を否定する(すべ)を求めるこの胸中は、逃避という行為と危うい表裏一体をなしているとも思う。

 だけど、違う。

 ああ、この怒りを、この疑念を、どうにかして言葉にして伝えたいのに、どうしたって頭は空回りするばかりだ。泣くことなんて無いと、悲しまないでくれと、それだけを成したいだけなのに。


「……うん、そうだよ。考えてみれば、どこもかしくもおかしい点ばかりじゃない」

 そんなとき、隣から聞こえたのは確かめるようにつぶやく雪花の声だった。

 睨み付けるようにしてまっすぐ前を見たその表情は鋭く凛々しく、風になびく深紅の髪も相まって、なぜだかかつて無いほどにどきりとさせられる。


「いくら極秘プロジェクトだのとご大層に着飾ってみたところで、やってるのは国家だもの。“国家”が、“安全を保証している”計画で事故が起きたのなら、これって大事件でしょう。それなのに世間に広まらないどころか、遺族にも何の説明も無いって、それおかしいよ。何か隠してますって、いってるようなもの」


 陣が失踪したのには、何か裏があるはずだ――。

 そう続けた雪花は、ふと、こちらへと微笑みかけた。

 柔らかい、慎ましやかに花が咲いたような笑み。それは、無骨な対応をしてきた幼なじみに“女”を感じさせるのには十分で、急速に頬のあたりに血が集まってくるのが分かった。

 顔を背けると、隣で雪花が訳が分からないといった風に首を傾げるのが見える。


(ああ、くそ。訳が分からないのはこっちだってんだよ) 


 だけど、この胸の中で生まれた照れくさい感情も含めて、今この頼もしい相棒に抱くのは感謝の念。


「……お前ら、今自分がなに言ってるのか分かってるのか?」

「分かってる。だから、美紀さんは見守ってくれると嬉しいな」

「ああ。いつも迷惑かけてるし、これからも迷惑かけると思うけど、でも、それが家族ってモノだろうし、家族ってのは全員揃ってこそだろうと思うんだ」


 あまりにも急に訪れた理不尽はあまりも急展開すぎてついて行けないし、覚悟が出来たとか、そんな格好いいことも言える気も今はしないけれど。

 俺たちは、この現実を認めはしないと、条件反射的にでも意思を示すことは出来る。


「……あんまり、馬鹿なことはするなよ。お前たちはまだまだガキなんだ、いざというときは大人を頼れ」


 そう言った美紀の顔からは悲しみの気配は消えており、代わりに現れたのはいつも通りの不敵な“らしい”表情。

 その顔が見えたのなら、今はただそれで良い。

 雪花と俺は顔を見合わせ、そう思って笑い合った。

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