表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄泉神の一年花嫁  作者: 佐斗ナサト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/25

第4話 黄泉戸喫

 牛車に乗せられて屋敷に戻ると、くう、と腹が鳴った。そういえばずっと何も食べていなかった。

 黄泉の国にいても空腹にはなるんだな、と思う。死んではいない身だからだろうか。


 居室で白い手に婚礼衣装を脱がされ、先ほどよりは簡素な(といってもサツキには十分豪奢な)(ひとえ)小袖(こそで)に着替えさせられた。

 仕事を終えた手たちがどこかへ消えたのを見送り、庭に視線を移す。明けぬ夜空の下、あちらこちらに配された松明が煌々と光を放ち、美しく植えられた木々を照らし出していた。

 ふと、暖かな色がサツキの目を引いた。すぐ近くの木に丸々とした枇杷(びわ)()っている。ここの季節が外と同じなら、今は初夏。確かにちょうど実り始める季節だ。


「……おいしそう」


 食べてもいいだろうか。ひとつくらい、たぶん許される。

 (はかま)の裾を思いきりたくし上げ、小石の敷かれた庭に降りた。なるべく衣を引きずらないよう骨を折りつつ、木の根元にたどり着く。つま先立ちになって枇杷の実をひとつ()いだ。

 指で皮を剥くと、ふわり、とよい香りが漂う。一口かじろうとした――そのときだった。


「――何をしている!」


 厳しい声にサツキは飛び上がる。危なく枇杷を落としかけた。

 振り返れば黄泉神(よもつかみ)がこちらへ闊歩してくるところだった。


「よ、黄泉神(よもつかみ)様……ごめんなさい、お行儀悪かったですよね……」


 サツキが恥じ入ると、黄泉神(よもつかみ)は形のよい眉をいっそうひそめた。


「違う」

「……え?」


 当惑するサツキの足元に、どこから現れたのやら、白と黒の犬たちも駆け寄ってきた。


(つま)巫女(みこ)様! 危のうございました」

「実に、危のうございました!」


 危ない? 毒でもあるのだろうか。

 思わずまじまじと手元の枇杷を見やる。黒輔(くろすけ)が丸い目で懇願するように見上げてきた。


(つま)巫女(みこ)様、黄泉(よもつ)戸喫(へぐい)はなりませぬ」

「ヨモツ……ヘグイ?」


 聞き慣れぬ言葉に目をしばたたく。

 犬たちは困ったように目を合わせる。黄泉神(よもつかみ)が深く溜め息をつき、サツキを睥睨(へいげい)した。


「お前はいずれ現世(うつしよ)へ――生者の世へ帰る契約であろう。なれば黄泉(よみ)の国の食物を一切口にしてはならぬ」

「どういう……ことですか?」


 困惑するサツキに向かって犬たちが耳を下げた。


「黄泉の食物は、(くりや)〔注:厨房〕から来たるもの、草木に生るもの問わず、いずれも死の力を帯びております」

「すなわち口にすれば最後、(つま)巫女(みこ)様は現世へ帰れなくなってしまうのでございます」

「そんな」


 さっと背筋が寒くなる。思わず黄泉神(よもつかみ)の顔を見上げたが、そこに労わりに類する色はなかった。


「死にたくないのであれば覚えておけ。よいな」


 冷たく言って黄泉神(よもつかみ)はきびすを返す。静かな足音が宮の奥へと去っていった。

 それを茫然と見送ったサツキは、ふいに先ほどの儀式のことを思い出した。


「ねえ黒輔、白丸……私、婚礼でお酒を飲んでしまったんだけど」


 つまり、黄泉の食物を口にしてはならぬ云々というのは、遅すぎる警告なのではないだろうか。

 しかし白丸が安心させるように言った。


「あれは特別でございます。黄泉(よもつ)比良(ひら)(さか)と現世のちょうど境にて(かも)した酒にございますれば」

「しかり。あなた様を生者と死者の境へ確かに留め置くため、必要な呪術でございました」

「そう、なんだ」


 ひとまず胸を撫でおろす。だがそれはそれとして喫緊の問題があった。


「でも私……お腹空いちゃったんだんだよね」


 サツキは頬を赤らめる。すると犬たちは大きく尾を振った。


「ご安心なさいませ。今、先ほどの者たちが食事の支度をしておりまする」

「えっ、でも黄泉のものは食べちゃいけないんじゃ」

「黄泉比良坂を上り切ったところに(くりや)がございまする。そこで現世の食物、現世の(かまど)を使ってこさえておりますゆえ、問題ござりませぬよ」


 ずいぶんと手の込んだことをする。だが黄泉戸喫(よもつへぐい)とやらは、一年花嫁の契約を結んだサツキにとって、それほどの禁忌であるということなのだろう。


「……比良坂からここまで運んでくる間、少しだけ冷めてしまいまするが……」


 黒輔が申し訳なさそうに耳を下げる。その様子が愛らしくて、サツキは思わず笑った。


「大丈夫よ。私、何でも食べるから。気を遣わせてしまってごめんなさい」

「とんでもございませぬ!」

「我らが(つま)巫女(みこ)様のためならば!」


 犬たちはぴっと姿勢を正す。その姿を愛らしく思いつつ、サツキは心の中で戸惑った。

 自分は果たしてここまでしてもらう価値のある存在なのだろうか、と。


  ***


 どこかへ消えていた白い手たちが食事を持って戻ってきた。

 並べられた食べ物を見てサツキは目を回しそうになった。


 こんもりと盛られた(いい)。美しい小皿に調味用の塩、酢、酒、(ひしお)

 貧しいサツキにはそれだけで十分なのに、さらにいくつもの(さい)が並んでいる。


「こちら右から、鯉の(なます)にございます。続いて蒸し(あわび)海月(くらげ)(きじ)……」


 膳の上のものを白丸が示していく。だが驚愕のあまり、何も耳に入らない。


「こ、これ、何人分? 黄泉神(よもつかみ)様も食べにくるの?」

「いえ、黄泉神(よもつかみ)様は基本的に食事をなさりませぬ」

「はい。神であらせられますがゆえに」

「え、えー……」


 戸惑いの中、真っ先に思ったのは「村の皆に持ち帰りたい」ということだった。

 こんな豪華な料理、誰一人として食べたことがないだろう。皆で分け合えたら――どれだけ幸せだろうか。

 まなじりにほんの少し、涙がにじむ。犬たちはそれを見逃さなかった。


「つ、(つま)巫女(みこ)様!?」

「いかがなさりました? お気に召しませんか?」

「ううん、違うの。こんな御馳走、村の人たちに分けてあげられたら、皆どんなに喜ぶだろうって……そう思ったら、何だか寂しくなって」


 目元を拭きながら笑顔を浮かべる。犬たちは、きゅう、と声を漏らして尾を下げた。

 そのとき、ふとサツキの頭に考えが浮かんだ。


「そうだ。あなたたちも一緒に食べない?」

「我らも、でございますか?」

「うん。それとも、あなたたちは現世のものを食べちゃダメだったりする?」


 犬たちは顔を見合わせる。そしてぶんぶんと尾を振り始めた。


「いえ……いえ!」

「ご相伴にあずかれるのであれば、我ら、望外の喜びにて!」


 二対の丸い目がきらきらと輝いている。白丸はもはや涎を垂らしかけていた。

 あまりに嬉しそうな姿にサツキも口元をほころばす。涙はいつしか引っ込んでいた。


  ***


 犬たちと料理をつまんでいると、ふと白い手が現れた。

 携えた小さな箱をサツキに渡し、手はすっと消えていった。

 犬たちが覗き込む中、蓋を開けてみる。中に収められていたのは、様々な美しい形をした揚げ菓子だった。


「おお、これは……噂に聞く(から)菓子(くだもの)とやら」

「燎原の匂いはいたしませぬ。しかし、うっすらと黄泉神(よもつかみ)様の匂いが。つまりはきっと主様からの贈り物にございましょう」

「……そう」


 あの冷たい黄泉神(よもつかみ)と「贈り物」という言葉が結びつかず、サツキは戸惑う。何を考えているひとなのかさっぱり分からない。

 単なる儀礼なのか、気まぐれなのか。あるいは、仮初(かりそめ)とはいえ夫婦となった今、多少なりとも優しくしてくれるつもりがあるのだろうか。


 ああ――何だろう? 胸を浸してゆくこの感覚は。

 こんな贈り物をもらうなんて初めてなのに、なぜ懐かしいのだろう。


 戸惑うサツキの前で、犬たちは丸い目を見合わせ、小さく尾を振った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ