破断
文系と理系には、切るに切れない縁がある。 まず文系が「こんなものがあったら良いな」と世迷言を言い、理系が「こうしたら良いのでは?」と文系のアイデアとは程遠い折衷案を持ってくる。
文系が「それは違う。もっとこうだ」と更なる世迷言を言い、理系が「ならこうだ」と少しはましなものを現実に出す。 その繰り返しで、科学というものは発展してきた。そのはずだった。
「ふざけんな!」
片方から怒号が飛ぶ。声の張本人が、ばん、と机を叩く。机の上に載っていたふたつのコーヒーカップが、中で波紋を散らす。
「ふざけているのはどっちだ!」
もう片方からも、同じくらいの怒号が飛ぶ。
窓の外には、無数のパイプから噴き出す蒸気と、古めかしいレンガ造りの時計塔が混在する奇妙な街並みが広がっている。
ここは中立学術都市『アカデミア・ヌル』。どこの国にも属さない、世界の中心にある湖に浮かぶ、知の箱庭。
その一角にある、両組織の緩衝地帯である会議室。部屋は赤く染まる夕刻を迎えていたが、恐らく同じくらい顔を赤くしているであろうふたりは、とうに限界を超えていた。
「......もういい、帰る」 片方が限界に達した様子で、勢い良く席を立つ。がたんと大きな音をたてて倒れた椅子が、積もった埃を舞わせる。
「どうぞご勝手に。次の『競売』では、我々が予算を総取りさせてもらう」 もう片方も張り合うように気張って言う。その声は怒りから震えていた。
「僕たちは今後、別々の組織だ。絶対に関わってやらない!」そう言いながらドアの方へ歩き、怒り心頭といった形相でドアを開ける。
「我々マセマティカは、レッテラとの交流の一切を断絶する!」 言い捨てて、勢い良くドアを閉め片方が出ていく。
それを見ながら、残された方は「やれやれ」と、しかめっ面のまま冷めきったコーヒーを口に運ぶ。 もうひとつのコーヒーカップに目をやると、それは出された時の分量を維持していた。
この短時間で多くの埃を浴びたようで、カップの縁にはうっすらと埃が乗っていた。
はあ、とため息をついた後、彼女はひとり呟いた。「こっちから願い下げだよ、何も分かっていやしない連中が」
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1月1日、とあるニュースが小さな新聞の小さな枠に載った。
「無限エネルギーを発明したと主張する遺書が発見 装置の実在は不明」
最初は誰もが鼻で笑っていた。無限のエネルギー装置を作ろうだなんていうのは、古代からずっと試されてきた事だ。
夢の装置だが、それはあくまでも夢であり、現実にはあり得ないと誰もが知っていた。ある大国が「証拠品」となるハンフリーの遺品を発見し、極秘裏に持ち帰ったという噂が流れても、大半の人間は眉唾ものだと信じなかった。
事実、この記事が出た当初は、話題に挙げる人すら笑われる始末であった。
しかし数か月後、嘲笑は悲鳴も上げられぬ「沈黙」へと変わった。遺品を研究していたその国の軍事施設が、一瞬にして地図から消滅したのだ。
爆発音も、火災もなかった。ただ翌朝、研究所があった場所が、綺麗な球状に『えぐり取られて』いた。その中心座標は、持ち帰った証拠品が置かれていた保管庫。そこには土も、空気すらもなく、ただ真っ白な「虚無」だけが残されていた。
後に『ハンフリーの呪い』と呼ばれる、物理法則の崩壊現象。
その誰もが鼻で笑っていた遺書には、こう記されていた。
「私は無限にエネルギーを取り出せる装置を作り上げた。 しかしそれを使うには、人類の知識があまりにも乏しい。資格なき者が触れれば、世界は白紙へと還るだろう。進化を遂げた、未来の知識人によって正しく使われるために、私はこれを隠した」
署名の部分に、生き残った人類は戦慄し、そして縋った。
1778年生まれの天才。王立協会会長にまでなった偉人。
1778年12月17日にイギリスで生まれた、初代の準男爵。
アルカリ金属やアルカリ土類金属元素を6つ発見した、世界最多の元素発見者。
ボルタ電池から安全ガス灯などを開発し、王立協会会長にまでなった偉人。
化学を豊かにした最良の論文とまで言われた、化学親和力理論の基礎。
「科学は常に、未来のためにある。ハンフリー・デービー」
そのあまりにも幾何学的で、人智を超えた消滅現象を前に、世界は悟った。これは一国の軍事力で制御できるものではない、と。こうして世界は協定を結んだ。どの国も手を出せず、さりとて他国に渡すわけにもいかないこの遺産を、中立の都市で管理することを。
そして、その解析のために世界中から「文系」と「理系」の天才が集められたのだ。
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アカデミア・ヌル西地区・マセマティカ本部
「あーもう......。ほんっと、許せない!」
工場跡を改装したような、天井が高く配管が剥き出しの部屋。
大きくて真っ白なテーブルがひとつあるだけの殺風景な空間だが、壁という壁に貼られた乱雑な数式の紙が、ここを異様な空間に仕立て上げている。そしてその中央のテーブルに突っ伏して文句をたれている少女こそが、この混沌の主だ。
「ねえ、あのわからずや達! 変な理屈ばっかり並べてくるの! 物語の本質はそこじゃないとか、現象を定義するには『歴史的アンカー』が必要だとかさ! 酷いと思わない?」
足をばたばたさせる白髪の少女。髪はまともに手入れされておらず、白衣と同化して白いモップに見える事から『白モップ』の渾名をつけられているが、本人はそれを知らない。
「あいつら物語物語って、どんだけ物語が好きなんだよ! こっちは『虚無』の拡散係数を計算してやってるんだぞ! 僕はあの活字中毒連中の考えがわかんない!」
「それは大変でしたね」 と、横にいたメイドが言う。
「そうだよ! そうだ思い出した! あいつに活字中毒だって言ったら、『正しくは活字依存症ですね。中毒は毒性物質により機能障害が起きることを指します』とか言ってきて!」
「それは大変でしたね」 メイドは眼鏡をかけなおした。
「大変だったよ。ああもう、今度のオークションに向けた資料作成が進まない! ヴァルカンの大使はうるさいし、資金がなきゃコーヒーも飲めないし!」
「それは大変でしたね」 退屈そうに欠伸をしながら答える。
「......また話を聞いてないな! メイドの癖に!」
「あのですね。メイドというのは身の回りの世話をするものであって、主人の愚痴を聞く仕事ではないのです」 そう言いながらまた大きな欠伸をするのは、黒い髪に黒いメイド服、黒い縁の眼鏡のメイド。真っ白な彼女とは対極的な存在。
名前は誰も知らず、興味もない。このマセマティカ本部においてメイドがひとりしかいないのだから、メイドと呼ばれたら必然的に彼女になるのだ。
「こいつ......うわっ煙草臭い! また隠れて吸ったな!」
「隠れては吸っていませんよ。堂々とそこの廊下で吸っていますから」
「お前は何度言ったら分かるんだ! ここ! 禁煙! 僕はその匂いが嫌いなんだ!」
メイドは面倒そうに顔をもたげる。
「お嬢様、煙草とは葉の燃焼ですよね?」
「え? ああ、そうだな」白髪の彼女は頷く。
「では落ち葉を燃やす匂いをどう思いますか?」
「ううん、特にどうとも思わないな」
「では同じ葉を燃やすという行為ですので、そこにある違いは葉の種類のみです。落ち葉と一枚だけ、煙草の葉を入れ替えたら気づきますか?」
「気づかないだろうな」
「そうですね。恐らく二枚でも気づきません。となるとn+1が真となるので、すべてが煙草の葉でも匂いは気にならないはずですよ」
「成る程、帰納法か......言われてみれば......」と、白髪が長考に入る。 白衣の胸ポケットからペンを出し、机に直接数式を書き込み始めた。
メイドは憐れむような、蔑むような目で彼女を見る。そして、おもむろにポケットから煙草を取り出し、流れるような動作でマッチを擦り着火する。
「天才で、それゆえに愚かな子」 呟いて、メイドは紫煙をくゆらせながら部屋を去った。
白髪の彼女は、名前をフーリ・エルゴという。 世界五指に入る天才であり、この『ハンフリーの呪い』に対抗できる数少ない頭脳の一つだ。
虚無という物理法則の崩壊を、数式によって「定義」し直し、現実に繋ぎ止める。それがマセマティカの役割であり、彼女の仕事だった。
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アカデミア・ヌル東地区・レッテラ本部
無限にエネルギーを取り出せる装置。
各国がいちはやく手に入れようと躍起になっているようだが、未だ手がかりも掴めていない完全なブラックボックス。
こんな採算度外視の事業は普通頓挫してしまうのだが、無限エネルギー装置の最大の問題は「他国に見つけられてしまうこと」である。
もしどこかの国がそれを見つけることができれば、他の国は束になっても戦争に勝てなくなってしまう。無限のエネルギーを相手に有限のエネルギーで勝負なんて、できる訳もない。
つまりこれは、国がここアカデミアから知識を買って金で殴り合う戦争。装置を見つけた国が、絶対に勝ってしまう戦争。
そう考えると、恐ろしくなってくる。
「......って思いません?」
ひょこっと体を後ろから乗り出して聞いてくる。
私は呆れて彼女の方を見る。
「あのね、普通「って思いません?」とだけ聞かれて分かる人はいないの」
嗜めるように私が言うと、彼女は快活に笑う。
「はは、確かにそうっすね。自分、また自己完結してました」
彼女はいつもそうだ。私に話しかける前に、全ての情報を完結させてしまう。だから言いたい事を話す頃には、全て脳内で言い終わってしまっているのだ。
「はあ......。いつも言っているでしょう? 誰が、どこで、どのように、何をして、どう思ったのか。この順番に話して」
「うーん......そうっすねえ......」彼女は頭をぽりぽりと掻いている。「まあ、戦争って怖いよねって話っす」
「確かに怖いと思う。あなたの話題の飛躍が」
「ったー! てへ」
指摘された彼女は、カートゥーンアニメのように舌を出して頭をこつんと叩く。
埃だらけの部屋には、ふたりの少女がいた。
ひとりは赤い上等なキルトスカートを着て丸眼鏡をかけ、茶髪のハーフアップをこしらえ、見るからに「文学少女」といった出で立ちをしていた。
彼女の名前はシャーロット・オリエンス(ペンネーム)。ここレッテラ本部の代表だが、その目からは生気が感じられず、死んだ目をしている事から、その上品な雰囲気を違うものに変質させていた。
そしてその少女に身を乗り出して語り掛けているのが、ぼろきれのような服を着ている少女。カリゴと名乗ってはいるが、こちらもまたペンネームである。構成員の殆どが作家である為、レッテラ内部ではその方が互いを認識しやすいのだ。
彼女もまた、ここレッテラの正規研究員だが、裸の上からキャミソールのようなぶかっとした何かを着ており、スラムの娼婦にすら見える。シャーロットの小綺麗なたたずまいとは正反対だと言えるだろう。
シャーロットと同じく眼鏡をかけているが、赤縁のスクエアのそれは使い古されており、所々塗装が剥げていた。
壁一面の本棚には、世界中の古文書、詩集、神話の書が詰め込まれている。上等な置物や革張りのソファ、彫金の施されたティーカップなど、考えうる限りで最高の部屋といえた。ーー埃だらけな事を除けば、の話だが。
窓の外には、レッテラを支援するサン・ルミエール共和国の飛行船が、優雅に、そして監視するように浮かんでいた。
「それにしても、あの『ホワイトアウト』ってやつ。何度聞いてもゾッとするっすねえ」 カリゴが、積み上げられた本の山に足を乗せながら言う。「物理法則が消えて、真っ白になっちゃうんでしょ? そんなもん、自分らがどうにかできるんすかね?」
シャーロットは紅茶のカップを置き、呆れたようにため息をつく。「だからこそ、私たちが必要なのよ。カリゴ」 彼女は古ぼけた羊皮紙を指さす。
「マセマティカの連中は現象を数値で縛るけれど、それだけじゃ足りない。人がその場所を『認識』できなければ、数値ごと消えてしまう」
「ふーん?」
「そこにかつて何があったか。誰が住み、どんな物語があったか。私たちが歴史を紐解き、土地に『意味』という楔を打ち込むの。そうして初めて、世界は形を保てる」
シャーロットは窓の外、遠くに見えるマセマティカの黒い煙突を睨んだ。「あの計算馬鹿たちは、自分たちが世界を救っていると思っているけれど......。物語なき現実は、脆いものよ」
「ま、難しいことは分かんないっすけど」カリゴはへらりと笑う。「次のオークションも、あの白モップたちに勝てれば文句ないっす。自分、新しいタイプライター欲しいんで」
「ええ、負けないわ。ルミエールの出資者たちも結果を焦っている。掃除は......その後でいいかしら」
「そうっすね。いつかやりましょう、いつかね」
無限エネルギー装置。それは国が知識を武力に変えて戦う戦争。 そしてその最前線にいる彼女たちは、互いに背を向けながら、同じ「虚無」を覗き込んでいた。




