8-4 「降下」
森を抜けると空気が変わった。
湿り気が薄れ、煤と油の匂いが混じる。
レインは足を止めない。白衣の裾だけが、影の濃い道を一定に切っていく。
前方に下層街の灯りが見えた。
低い建物が密集し、配管と電線が絡み、路地の奥で火が揺れている。
人の声が重なり、金属の擦れる音が混じり、誰かの笑いが短く弾けた。
鍋の湯気が通りに滞り、甘い匂いと焦げた匂いがぶつかり合う。
壁際には濡れた布が吊られ、足元には黒い水が細く流れている。
その雑音の中へ、白衣が入っていった。
人とすれ違う。
肩が触れそうな距離でも、誰もぶつからない。
視線だけが一瞬だけ動き、次の瞬間には逸れていく。
荷車を押していた男が一歩だけ退き、子どもの手を引いていた女が通りを空ける。
白衣を見た瞬間、会話が途切れる。塔の匂いが混じるからだ。
関われば終わると知っているように、誰も彼女を見ようとしない。誰も声を掛けない。
道がわずかに開く。
レインは歩幅を変えずに進む。歩く速さも、呼吸の間も一定のままだ。
視界の端に、淡い表示が重なる。
進捗 58%
距離 2.6km
数字は感情を持たない。
だが数字は、近づいてくる。
通りを抜け、狭い橋を渡り、湿った石畳を踏む。
路地が枝分かれし、露店の湯気が漂い、焼けた匂いが一瞬だけ濃くなる。
子どもの足音が走り、母親の手がそれを引き戻す。
壁の陰で誰かが咳き込み、瓶が転がって止まる。
レインは迷わない。
曲がる角で足が自然に向きを変える。選択ではなく、手順だ。
進捗 62%
距離 2.1km
下層街の外れに、空き地があった。
壁が崩れ、地面が黒く焼け、丸太が積まれている。
灰が風に舞い、赤の名残が土に沈んでいた。火葬の跡だ。
まだ熱が残る。
焦げた木の匂いと人の匂いが混じっている。
空き地の周囲には足跡がいくつも残り、踏み固められた線が地面に刻まれていた。
輪になるように石が並び、木片の破片が散っている。
レインはそこで初めて首をわずかに動かす。
視線が地面を拾い、灰の粒を数え、焼けた木の断面を読み取った。
ヴァルナの弟を弔った場所。
空気の温度が、わずかに揺れている。そこには祈りの残響みたいなものが残っていた。
灰の中に踏まれて折れた細い枝が混じり、輪の外側に立った足跡だけが深く沈んでいる。
誰かが泣き、誰かが黙って立ち、誰かが火を見続けた痕が、そのまま地面に残っていた。
進捗 70%
距離 1.4km
レインは空き地を抜ける。
焦げた匂いが背中に残るが、歩幅は崩れない。
先は道が途切れ、壁が高い。
鉄板が打ち付けられ、見上げるほどの暗がりが続く。
だが壁の根元に、古い排水の口があった。
金属の格子が斜めに沈み、周囲の石が不自然に削れている。人が通るための形だ。
レインは体を近づけ、格子の縁に指を当てる。
錆が指先に薄く移る。力は入らない。だが固定具が外れる。
止め具の角度が変わり、格子が静かに持ち上がった。
冷たい空気が穴の奥から吹き上がる。
地上の匂いが薄れ、湿った地下の匂いが濃くなる。
壁の隙間には水滴が溜まり、黒い筋が下へ伸びている。
奥は暗い。
だが暗さは障害ではない。通路として成立していた。
進捗 78%
距離 0.7km
レインの唇が、わずかに動く。
「入口、発見。」
レインは格子の向こうを覗かない。確認をしない。
入口を確保し、通行を開始する。それだけで手順は成立する。
白衣の裾が闇の縁へ滑り込み、足が段差を捉え、体が沈む。
アンダーグラウンドへ続く階段だった。
光は背中で細くなり、下から上がってくる空気が白衣を静かに打つ。
手すりは冷たく、壁は湿っている。階段は深い。
地上の音が薄れ、代わりに地下の低い反響が増える。
レインは止まらない。降下が続く。
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