8-1 「静かな朝」
アンダーグラウンドの朝は、音が少ない。
配管の奥で水が一度だけ鳴り、すぐに止む。
湿った空気に、薬草と血の匂いが薄く混じっていた。
仮設灯の白い光が、岩肌と簡易ベッドを均等に照らしている。
レビはベッドの脇に腰を落とし、包帯を引き出した。
背中のリュックが小さくうなり、口を開く。
「はいはい、次。清潔第一な」
レビは頷き、悪魔の腕に巻かれた古い布を外す。
傷口は深いが、血はもう止まっている。
「大丈夫だよ。痛かったら、言って」
声は明るい。
それでも指先は慎重で、布が皮膚を引かない角度を選んでいた。
向かいのベッドでは、ヴァルナが膝をつき、別の悪魔の肩に手を当てている。
呼吸の間隔を確かめてから、ゆっくりと布を替えた。
「今日は休む日だよ。……無理はしないで」
悪魔は小さく頷く。
少し離れた場所で、ナユタは壁にもたれて座っていた。
膝を抱え、天井の配管を見上げる。金属の継ぎ目、染み、影の形。
どれも昨日までと同じはずなのに、目だけが勝手に違うものを探してしまう。
父と言われた男が、頭から離れなかった。
ナユタは視線を下ろす。
アンダーグラウンドの壁際に、アザゼルの姿はない。
代わりに、腕を組んだまま全体を見渡す影があった。ルシファーだ。
ナユタは一歩だけ近づいた。
「……あの人は?」
ルシファーは、すぐには答えなかった。
視線を落とし、床に残る血の跡を一度だけ見る。
「……追えなかった」
短く息を吐き、続ける。
「確認できなかった」
「危ない?」
「危なくない場所なんて、この世界にあったか?」
軽い調子だが、笑ってはいない。
ナユタは黙り込んだ。
床の継ぎ目を見つめ、しばらく動けない。
「……オレ、聞いちゃダメなやつ?」
ルシファーは一瞬だけ視線を落とした。
「今はな」
作業の音が、また前に出る。
包帯を切る音。換気の低い唸り。
朝は、静けさを保ったまま進んでいった。
その静けさの奥で、別の場所では、規則正しい白い光が脈打っていた。
観測値が並び、誤差が切り捨てられていく。
──処理は、継続される。




