7-4 「退き際の炎」
空を這う“虫の天使”から、低い振動が広がった。
背中の装甲から突き出た薄い板が、一斉に震える。金属をこすったようなうなりが、じわじわと胸の内側に食い込んできた。
羽音とは違う。
耳ではなく、骨を直接叩かれているみたいだった。
その瞬間、空に散っていた天使たちの動きが止まる。
白い影が、いっせいに同じ方向へ向き直った。ばらばらだった翼が、前側に何列も並んでいく。
遠くの空には、“虫の天使”がじっと貼り付いたまま動かない。
そいつを背にするようにして、天使たちだけが前へ出てきた。
一番前の列が槍を下げる。
その後ろの列は、前を押し出すみたいに翼で風を送った。
ナユタには、「今からまとめて突っ込んでくる」としか思えない形に見えた。
「……マジかよ」
ルシファーが低く息を吐く。
手を伸ばしても届かない場所で、アザゼルが石畳に崩れ落ちたまま動かない。
地面に突き立てた右手だけが、まだ石を砕きそうなほど固く握りしめられていた。
「アザゼル……!」
ナユタの声が漏れた。
駆け寄ろうと身体を傾けたとき、腕を掴まれる。
さっきまで弟の亡骸にすがって泣き崩れていた女の人が、震える手でナユタの肩を押さえていた。血と埃で汚れた顔のまま、必死に首を振っている。
「行ったら……貫かれるよ……」
頭上で、天使たちの槍先がじわりと光を増した。
列の中で、小さな動きも揃っていく。狙いが、完全に固定されたみたいだった。
レビがナユタの反対側の腕を掴んだ。
「ナユタ!あれ、絶対ヤバいやつだよ!前に出たら本当に終わるって!」
リュックが背後でがたがた震えながら怒鳴る。
「おいチビ!ここでヒーロー気取ったら、マジで全員スクラップだぞ!」
「そんなヒーローやだよ!」
怒鳴り返しながらも、レビの手の力は強くなる一方だった。
ルシファーが前に出た。
銀白の翼を半ば広げ、ナユタたちと天使軍の間に立つ。肩越しに振り返りもせず、ひとつ息を吐いた。
「……悪魔共」
黒い炎が、彼のまわりで細く伸びる。
「俺の後ろに並べ。壁を作るぞ」
その声に、地面に散っていた黒い影が、ぞわりと動き出した。
「グフフ……旗が、呼んでる……」
「グシ……神を、喰う……」
不気味なざわめきを上げながら、悪魔たちがルシファーの背後へ集まり、肩を並べた。
銀白の翼の影から、刃の生えた腕や鉤爪のついた手が、天使たちの列へ向けて突き出された。
いつもはふざけている顔に、戦いのときだけの目が宿る。
ルシファーは、振り返らずにナユタたちへ言った。
「お前らは、下がれ」
「ナユタ。お前がここで死んだら、あいつが耐えた意味がなくなんだろ」
あいつ、という言葉に、ナユタの視線がアザゼルへ吸い寄せられる。
砕けた仮面。動かない背中。外套の下で、刻印の光だけがまだくすぶっていた。
「でも──」
喉が詰まる。
ルシファーは振り向かない。
「ゼウスへの復讐は後でいい。今は生き残れ。それが一番ムカつくやり方だ」
レビが強くうなずいた。
「ほら、行くよナユタ!ここで死んだら、全部ゼウスの思い通りだよ!」
「そうだそうだ!生きてるやつだけが、俺様を背負う資格あんだよ!」
リュックが、いつもよりずっと大きな声で叫ぶ。
さっきの女の人が、ナユタの背を押した。
「……行こう。あの人たちを、無駄にしないで」
空の震えが、短く途切れた。
次の瞬間、光の雨が降る。
「迎え撃て!」
ルシファーの叫びと同時に、悪魔たちが飛び出した。
「ギギギ……裂けろ、天……」
「グハハ……血、もっと……!」
黒い影が、白い光の中へ突っ込んでいく。
最前列の悪魔の腕が、天使の胸を斜めに裂いた。
白い羽根と光の破片が飛び散る。
だが、その悪魔の身体も次の瞬間には空中でねじ曲がり、そのまま地面へ叩きつけられた。
石畳に黒い跡だけを残し、影は二度と動かなかった。
別の悪魔が、笑いながら天使の列にもぐり込む。
片翼を根元からもぎ取り、血と光を撒き散らした。すぐに、その喉が貫かれた。
静かに振り下ろされた一本の槍が、音もなく首の奥まで突き刺さっていた。
どれだけ斬り裂いても、列は崩れない。
欠けたところには、すぐ別の白い影が滑り込んで埋められる。
「まだだ、踏ん張れ!」
ルシファーが前へ踏み込む。
銀白の翼が大きく広がり、黒い炎がその輪郭をなぞるように燃え上がった。
振るわれた腕から、光の刃が走り、何体もの天使をまとめて薙ぎ払う。
光と闇が、地面の上でぶつかり合った。
ナユタたちは、その影に押し込まれるようにして後ろへ走った。
振り返るたびに、黒い影がひとつ、またひとつ減っていく。
さっきまで響いていた濁った笑い声が、ひとつずつ戦場の音に飲み込まれていった。
それでも、ルシファーの翼だけは、まだ光と黒炎の中で大きくうねっている。
「ルシファー……!」
喉に引っかかった声が、震えと一緒に漏れた。
レビがナユタの腕をさらに強く引く。
「大丈夫!あの人、簡単には死なないから!今は逃げるの!」
背後では、羽音と振動と、悪魔たちの叫びが混ざり合っていた。
それでもナユタは、最後まで、光と炎の中に立つ銀白の影から目を離せなかった。
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