3-6 「鎖の果て」
アンダーグラウンドは夜の湿気に沈んでいた。
酸化した鉄と油の匂いが、重く淀んだ空気に溶けている。
頭上を走る冷却管から水滴が落ち、床に小さな音を刻んだ。
ちらつく照明の下で、沈黙が地下全体を支配していた。
ルシファーはゆっくりと翼をたたみ、錆びた鉄床に足を下ろした。
金属が鳴る音が、静まり返った空間に小さく響く。
目の前では、ナユタが静かに眠っていた。
毛布に包まれた赤子の小さな胸が、規則正しく上下する。
吐息が空気をわずかに震わせるたび、静けさが逆に際立った。
ルシファーは近づき、見下ろした。
黄金の瞳が薄闇に光る。
その瞬間、アザゼルの右腕に刻まれた“鎖”が脳裏に焼き戻る。
無機質な光。
冷たい風。
あいつの眼差し。
「ナユタを……」と震えた声が耳に残っている。
ルシファーは奥歯を強く噛みしめた。
「……鎖か」
息と同じほどの小さな声だった。
戦友が、神の“所有物”に堕ちた。
一緒に戦場を歩き、背中を預けてきた男が。
誰にも従わなかったはずの、あのアザゼルが。
脳裏に、過去の夜が浮かぶ。
黒煙に包まれた戦場。焦げた空気と焼ける鉄の匂い。
血と硝煙の中で、無言で笑い合った夜。
“あいつ”がいたから、自分は背を預けられた。
“あいつ”がいたから、堕天など恐れることもなかった。
「ふざけんな!アザゼル」
声がかすれ、鉄の匂いに混ざって消える。
怒りか、悔しさか、自分への嫌悪か。
それすらもはっきりしなかった。
ただ、胸の奥が焼けつくように痛い。
俺は何を護った?
何を信じて立ってきた?
ナユタの寝息が、静かに響いた。
ルシファーはその小さな胸の上下を見つめる。
鎖に縛られた戦友の姿と、この無垢な呼吸が、頭の中で交錯する。
「背負えってか。おい、アザゼル」
片手で顔を覆い、低く笑った。
それは笑いというより、血の味を噛みしめる音だった。
翼は動かない。
だがその胸の奥では、何かが確実に形を持ち始めていた。
あの鎖を、必ず断つ。
あいつを縛る“未来”ごと。
夜明け前の地下は静かだった。
その静けさが、炎よりも熱く、痛かった。




