EP17
黒岩の号令で、特別保安部隊の一行は再び線路を進み始めた。足音がトンネルの壁に反響し、規則的な金属の響きが続く。
誰もが黙り込み、疲労と不安を抱えたまま淡々と歩いていた。
やがて、一行は途中駅に辿り着いた。古びた蛍光灯がかすかに明滅し、ホームの隅では避難者たちが寄り添っている。私は立ち止まり、周囲を見回した。
――ここにも、まだこれほどの人が。
彼らは黒岩たちの姿を見るなりざわめいた。
「誰かが来たぞ」「助けが来たんだ!」
希望と混乱の入り混じった声が上がる。しかし、人々は“特別保安部隊”という存在を知らない。ただ線路を渡って堂々たる姿を見て、彼らを自然と「救助隊」だと信じただけなのだろう。
黒岩が一歩前に出て、手を挙げた。
「皆さん、落ち着いてください。私たちは避難経路を確保して移動しています。この駅も一時的な安全地帯として利用できます。ここで休んで構いません」
人々の表情に安堵の色が広がる。何人かが拍手し、子どもたちは泣きながら母親に抱きついた。
黒岩はその光景を静かに見つめ、隊員に指示を出す。
「物資の確保班を編成します。医療班は怪我人の確認を」
私は頷き、医療用のバッグを肩にかけ直した。周囲では、医師や看護師たちが人々の手当てを進めている。
そんな中、私は見覚えのある後ろ姿を見つけた。
――ユリカ。
あの時、トイレで泣いていた少女だ。その傍らには、彼女の母親がいた。
「ユリカちゃん」
声をかけると、少女は驚いたように振り向き、ぱっと笑った。
「七尾お姉さん!」
母親も深く頭を下げる。
「本当に、あの時はありがとうございました」
「無事で何よりです」
私はほっと息をついた。ユリカが差し出した手には、小さな人形が握られていた。
「お母さんが持っていたの……かわいいでしょ」
――小さな手、細い指。
思わず、その手を見つめてしまう。アイリスも、こんなふうに手を握ってきた。「ねえママ」と無邪気に笑ったあの瞬間が、脳裏に鮮明によみがえる。
気づけば、頬を一筋の涙が伝っていた。ユリカの母が心配そうに覗き込む。
「な、七尾さん……?」
「あっ、いえ……少し疲れただけですよ」
「大丈夫ですか? 少し休まれては」
「いえいえ、まだ私にはやる事があるので」
慌てて涙をぬぐい、その場を離れた。振り返ると、ユリカが手を振っている。その小さな仕草が、三歳のアイリスと重なって見えた。
――少し、外の空気を吸いたい。
私は階段を上り、地上へ向かった。地上へ近づくにつれ警備員らがいたが、医師である私を止めることはなかった。
ただ、地上に出ると、想像を絶する光景が広がっていた。
灰色の空に、倒壊したビル。そして地面一面を覆う、無数の**“銃”**。拳銃、ライフル、ショットガン、見たこともない形のものまで――それらが地面を埋め尽くしていた。
人々が探索していたが、誰もまともに歩けない。銃に足を取られ何度も転びそうになっていた。
警官らしき男がトランシーバーを構えて叫んだ。
「だめだ、ここは危険だ!戻れ!」
私は息を呑み、すぐさま階段を駆け下りた。
――あの光景を、長く見てはいけない。
頭の中で、無数の引き金の音が響いた気がした。
地下に戻ると、黒岩が人々の前に立っていた。
「地上は予想を遥かに超えるほどに荒れ果てていた……皆さん、次の途中駅には地下デパートがあるはずです!そこへ向かいましょう!」
その声に、人々の間からかすかな歓声が上がる。“前へ進める理由”を与えられた人間の顔が、わずかに明るくなる。
ただ、中には浮かない顔をする人々もいた。十人十色、それぞれにこの事態を思うのだろう。
黒岩は力強く言った。
「皆さん、もう少しだけ頑張りましょう!」
列が再び動き出した。私は最後尾に並びながら、胸の奥で何かが重く沈んでいくのを感じていた。
列が進むにつれ、私の呼吸は乱れ始めた。地上で見たあの惨状――銃に覆われた街並み――が脳裏に焼き付いて離れない。気づけば、足がふらついていた。
「先生、大丈夫ですか?」
隣から声をかけられる。私は微笑んで首を振った。
「平気よ、ただ……思い出してしまって」
――あの子のことを。
胸の中に押し込めていた痛みが、再び顔を出す。それでも私は歩みを進めた。
やがて、次の途中駅に到着した。そこでも避難者たちが息をひそめているのを目撃する。
ホームの壁に描かれたチョークの文字には「希望」とあったが、その筆跡は震えていた。
黒岩が人々を落ち着かせていると、突然、駅の奥から叫び声が上がった。
「ね!ねぇ、あなた!」
駆け寄ってきたのは、二人の中年夫婦だった。顔は涙と煤で汚れ、息が荒い。
「息子を……草山樹太朗を見ませんでしたか!?」
黒岩が眉を寄せ、またニッコリと笑顔を見せた。
「息子様でしょうか……息子様は今朝、どちらにいらっしゃいましたか?」
「兼充です!あの街にいたんです!今日、家にいるはずで……!」
夫婦は声を震わせながら訴える。
「今朝、息子が学校を休みたいと言って……だけど、私は休ませてしまって!そのまま仕事に向かったんですよ……!」
黒岩は静かに手を上げた。
「今は落ち着いてください、奥さん。警備班が話を――」
私はその場から動けなかった。夫婦の必死の声が、胸に突き刺さる。アイリスを救えなかった自分。その自責の念が、ずっとこの胸の中で腐り続けていた。
私は黒岩のもとへ歩み寄る。
「黒岩さん。私、行かせてください」
黒岩の表情が険しくなる。
「何を言っている……どこへ行く気です?まさか、兼充に戻るなんて言うんじゃ……」
「そうです。その息子さんを探しに。まだ生きているかもしれません」
「駄目です。あなたは医療班の中心だ……今ここを離れたら、多くの人が困る」
「……それでも、誰かを置き去りにしたままでは、私は前へ進めません」
黒岩は黙り込んだ。私の瞳に宿る光は、悲しみではなく強い意志だった。
「あなたまで失えば、この部隊は崩壊するかもしれないんですよ。それぐらい、この場では、たった一人の役者の力は大きいんだ……」
「構いません。誰かが行かなければ、その子と親は二度と会えないかもしれない」
そのやり取りを聞いていた夫婦が、黒岩の前に跪いた。
「お願いします……私たちも行かせてください!」
「なっ、今の地上がどうなっているか分かっているでしょう……」
「分かっています、それでも……息子を、探したいんです」
黒岩は長い沈黙の末、深く息を吐いた。
「……っ、わ、分かった……」
その口論を聞いていた人々は、拍手や怒号などを交錯させた。
『子供を救ってやれ!頑張れ!』
『身勝手な判断だ!オレだって恋人と今朝別れて、それきり連絡が途絶えたんだぞ!』
黒岩は苦い顔をして言った。
「医師としての判断も忘れないでください。感情に流されてはいけませんよ」
私は微笑んだ。そして黒岩はトランシーバーを私に授けた。
「これは……」
「何かあったら連絡するように……それと、先に戻った、もう一人の医師の安否も確認して来て欲しい……」
黒岩は目を伏せて深呼吸をした。
「すまない……確かにあの人に警備を付けるべきだった……私も決断に追われていた。すまなかった」
そして、わずかにうなずき、人々に放った。
「……皆さん!彼女たちを盛大に送り届けてください!私たちは、こうして助け合わなければ生き残ることはできません!どうか、どうか!」
私は夫婦に手を差し出して歩き出す。人々の拍手や喝采を浴びながら、一度辿った線路の上をまた歩き始めた。
「さあ行きましょう。気軽に七尾って呼んでください」
「ありがとうございます……七尾さん」
「こんな僕たちのために、すみません」
トンネルの奥から冷たい風が吹き抜ける。その風の中で、私は静かに空を仰いだ。
――アイリス。見ていて……。
《10時32分》




