第1話 光を感じた日
その日、空はやけに明るかった。
まだこの世に生まれて間もない“ぼく”のまぶたに、世界の光がじんわりと染みていく。
おぎゃあ、と泣いたかどうかさえ曖昧な記憶の中で、ひとつだけはっきり覚えていることがある。
――あたたかい。
母の腕のぬくもり。頬にあたる指先。何かをさし出してくれる人の影と、やさしく話しかける声。
この世界に初めて触れた瞬間、ぼくは「ああ、生きるってこういうことなんだ」と思ったんだ。
……もちろん、そんな言葉にできるわけもなく、ただ光のようなものが胸の奥にぽうっと灯った気がした、というだけだ。
最初に目を開けたとき、世界はとてもまぶしかった。
ぼくは、フォート。
小さな村の、小さな家に生まれた。
父と母はいつも笑っていて、ぼくが泣けば慌てて駆け寄り、笑えば一緒に笑った。
その時間が、どれほどかけがえのないものだったかを、知るのはずっとあとの話。
「おまえはな、フォート。光の子だ。ほんとに、明るい朝に生まれてきたもんだよ」
父は笑って言った。
母は「ほんとにね」と目を細めた。
フォート。
ぼくの名前はそうして呼ばれるようになった。
小さな家だったけど、暖かな家庭。
壁には父の手で作られた棚があり、色々なものが収められている。
母が干した花束が逆さに吊るされていて、夕方になるとその影が揺れていた。
朝・昼・晩一緒に食べる食事、パン、スープ、たまに出るお肉。
何もかもが小さくて、でも全部が大事だった。
3歳になったころのことは、意外とはっきり覚えている。
あのとき、ぼくは初めて“世界のしくみ”みたいなものに触れたからかもしれない。
「この“ヤリトレ”って、どうやってお湯が出るの?」
木の台に置かれた銀色の筒――。
それがヤリトレと呼ばれる、家庭用の魔道具だった。
ぼくがスイッチを押すと、中から蒸気がシュウと出て、湯気とともに水が熱せられていく。
「おお、もう押したか」
父が振り返る。
父は体が大きく、物知りでなんでも教えてくれる。
「それは“ミューセル”ってやつだ。魔道具の仲間でな、便利なもんだ」
「まどうぐってなに?」
分からないことはすぐに父に聞く。
物知りで優しい父が大好きだ。
当然のように父が答える。
「便利な道具の事だよ」
「ふーん……でも、なんで水が熱くなるの?」
父が一瞬止まる。
何を考えているんだろう?
珍しく一呼吸おいて答えてくれた。
「それは……中に“ラムダ”って石が入っててな、火の力を出す。魔法みたいなもんだよ」
「まほー?」
知らない単語が出ればやっぱり聞いてしまう。
父に知らないことなど無いのだ。
「ん? おう、そうだな。
昔は魔法ってのがあってな、手をかざしただけで火を出せたらしい」
「それって、今はないの?」
やはり一呼吸、父はどう説明するのが正解なのかゆっくりと考えてくれている。
ぼくは、ワクワクながら父親の回答を待っていた。
「……今は、もうないよ」
父の声は少しだけ低くなった。
***
その夜、ぼくはこっそり布団の中で手をかざしてみた。
目を閉じて、強く強く願ってみる。
(火よ、出ろ。出ろ……!)
……もちろん、何も出ない。
指先は冷たいままだ。
布団が燃えてあわや大惨事・・・にはならなかった。
だけどそのとき、ほんのわずかに、手のひらの奥の奥に「なにか」があったような、そんな気がした。
***
「フォート、あんた変な顔してるわよ」
母がクスクス笑って、ぼくの頭をなでる。
母に撫でられるのが好きだ。
「火が出ないかなーって、がんばってた」
「まあまあ!」
母はくすぐったそうに笑って、でもそのあと、少しだけ遠い目をした。
「昔は……そうね、魔法があったっていうけど、本当にあったのかしらね」
「ぼく、使えるようになるかな」
ぼくは手を目一杯広げて力を入れる
きっとここで火が出たら母は喜ぶだろうから!
「さあ。なれたら……ステキね。
でも、いまはミューセルがあるから、魔法がなくてもみんな幸せよ」
母の言葉には優しさがあった。
けれど、ぼくの胸の奥には、言葉にできない“ざらざらしたもの”が残っていた。
“なくなった魔法”
“便利なミューセル”
“でも、ぼくの手の中に何かがある気がした”
――もしかして、ぼくは、魔法を使えるのかもしれない。
そう思ったところで、遠くから風の音がした。
葉の揺れる音、家の壁を撫でるような風。
ぼくはその音に、はじめて「意味」を感じた。
風がなにかを語っているようだった。
ぼくにだけ語りかけているように思えた。
あたたかくて、すこしこわくて、でも、うれしかった。
――ぼくは、この世界の“なにか”と、つながっている気がした。
そして気がつけば、そっとかざした手が、ほんの少し、光ったような気がした