13
グラリと視界が揺れた後。
バタリと体が横に倒れた。
ああまずいとは思っても体が言葉を無視してしまう。
そのままポートは気を失った。
「ポート、ポート」
少し焦った様子のリーシャは額に冷や汗を浮かべながらポートの体を揺さぶる。
その呼びかけに応答しないのを見てさらに自分を焦らせながらゆっくりと彼の胸の上に耳を置く。
ポートの呼吸が深くゆったりとしていて生命の危機がなさそうだとわかるとリーシャの目に安心の色が浮かんだ。
タッタッタッ
タッタッタッ
上のフロアとここを結ぶ階段から何十人もの足音が降りてくる。
黒服にサングラス、中にはマシンガンなどで身を固めたものたちが大挙して押し寄せ倒れたポートと彼が倒した敵、そしてそんなポートを心配そうに見つめるリーシャを取り囲んだ。
「女、動くな」
その中で最も地位のありそうな男が隣にいた部下の一人に黒光りするマシンガンの銃口を突きつけさせながらそう言った。
「ごめんね、ポート。本当はピンチになった時は私が助けるつもりだったんだ。読みが甘かった。そのせいであなたを傷つけてしまった。」
「?何を言って・・・」
そう男がつぶやいた時、リーシャはもうそこにはいなかった。
どこだ?考えるが答えは浮かばない。普通の人間にわずか数コンマという刹那の間で彼女の次の行動を予測しろというのは酷なことだろう。
困惑と焦りが男の動悸を狂わせ瞬きのタイミングを一瞬早まらせる。
その時だった。落ちる瞼が閉まるか閉まらないかの寸前で男の黒目が消失する。
「・・・・・な?は?」
すまし顔でマシンガンを向けていた男も自分の隣に立っていた上司が急に姿勢を崩して床に倒れ込んだのを見て焦りの表情を見せ、悲鳴にも近い困惑の声を発した。
そんな彼も一瞬の間をおいて地面に倒れ伏す。
それどころか彼を中心に扇状に並んでいた10人ほどの男たちがほぼ同時に意識を失った。
「な・・・」
反対側に並びその状況を眺めていた男たちにも緊張の色が浮かぶ。
これは後で分かったことだが倒れていた20人ほどの男たちはほんとんど無傷で出血しているものなどもいるにはいたが命に関わるような障害を負わされたものは皆無だった。
だが、どうのようにして彼らが制圧されたのかということを考察してみると、どうやらそれをやった人間に彼らを殺すだけの能力がなかったというわけではないらしい。
つまりこれだけの人数をほんの数秒足らずで片付けたその人物はそれでもなおその能力の片鱗しか覗かせていなかったという結論になる。
ビュー
竜の魔法とその速度が起こす空気との衝突によって間断なく風が吹き付ける灰色の地面を踏み締めながらリーシャは空を眺めていた。
普通の人間ならば立っていられないほどの豪風の中で眉ひとつ崩すことなく直立している彼女の能力はやはり普通ではない。
膜状の粘着彼女自身がその名付け親である魔法は二つの性質を持っている。
一つ目は面状の粘着物体に粘着性の膜を纏わせる能力。
今、その面状の粘着によって自分の靴に強力な粘着力を持たせることでこの風の中で足元を確実にしていた。
もちろん両足を固定したところで彼女の持つ規格外のバランス感覚と全身の筋力がなければ足首より上だけが強風に飛ばされ悲惨なことになっているであろう。
そして膜状の粘着のもう一つの能力球状の粘着。それが彼女の隣に浮いていた。
球状の粘着がいくつもよりあつまってまるで葡萄のような形をなしていてそれがポートの首、腕、腰、背中、踵に纏わって彼の体をバランスよく宙に浮かしている。
さらにその隣に浮かべられているのは先ほどの上腕と分離させられた血だらけの左腕とポートの魔剣。
(かなり血出ちゃってるけどメフィ治せるかな)
内心のそんな思いが彼女を焦らせる。
メフィの回復魔法は優秀で強力だ。彼女曰く”部品”の欠損さえなければ貫かれた心臓でも治せてしまう。
だがちぎれた細胞を繋ぎ合わせることは出来ても死んだり無くなったりした細胞を新たに作り出すことは出来ない。
つまり失ってしまった血や切られた時に飛び散った小さな肉片などをもとに戻すことは不可能ということ。
その上で本体との接続が離れてしまった腕部。特に切り口はすでに細胞の劣化が始まっているはずだ。
わざと敵に捕まってポートが自分を助けてくれるかを試した。それがリーシャの一つ目の落ち度
そしてリーシャの落ち度はもう一つある。
迂闊にも敵の魔法にハマってポートに傷を負わせてしまったこと。その上この傷が一生治らないものになったのであれば彼女は自分自身を許すことができないだろう。
今、彼の腕が落とされている時点ですでに自分に対する憤りや焦りで一杯一杯。その上、腕の治療を間に合わせることができなければ・・・・・
(確か切り落とされてもしばらくの間は大丈夫だったはず・・・確か・・・3時間だっけ・・・ああ!ちゃんとメフィの話聞いとけば良かった)
自分の過去の怠慢を後悔しつつ彼女は一刻も早くポートをメフィの元へ連れていくために青々とした夜の空に身を預けた。
ビューという風切りの音が耳のそばを駆け抜けていき横目に見える竜の皮膚は1m程度の距離だというのに輪郭がぼやけはっきりとした形を見いだせない。
リーシャは地上へ向かって落下しているのだ。
もちろん彼女の魔場も彼女の移動に伴って位置を変化させるのでそこに吊られたポートの体も彼女との位置関係を保ったまま一緒に落下している。
リーシャが超人的な身体能力を持っているとはいえ地上から数千m離れた地点から地面に叩きつけられればタダでは済まない
かと言って彼女はポートの身を一刻も早くメフィのもとに届けるために自暴自棄的な策に出たわけもない。
ではなぜ彼女はこの一見無謀に思われる落下行動に出たのか。
その答えはすぐに現れた。
スッーーーズーーー
数十mある竜の腹をしばらく横目に眺めた後その丁度中腹に当たるところに差し掛かった頃合いで彼女はゆっくりと灰色の壁にその手を添わせた。
これから彼女が見せるのは球状の粘着二番目の能力のもう一つの使い方。
ポンという音を錯覚させるような弾みのあるピンク色の球体が一つリーシャの手のひらから生み出される。
ポンポンポンポンポン。それからも連続して生み出されたピンク色の球体たちは縦に繋がりまるで一本の長い縄のように竜の腹から垂れ下がった。
もちろんその一番下にはリーシャの手のひらがありピンク色の球体が一個増えるごとに彼女の体は重力に従いながら高度を下げていく。
連続して生み出すときある程度の間を置かなければ普通に落下しているのと同じになってしまうのでとても神経を使うやり方のはずなのだがリーシャはやはり眉ひとつ動かさない。
こういう、それどころかそれ以上にリスクが高くて危険な行為に彼女は慣れきっていた。
スルスルとまるで最初からあったツタでも辿るように彼女は地表に向かって行きそしてもうすぐそこまでそれが迫ったところでそれ以上魔法の球体を増やすことをやめた。
眼下には木が林立する森が広がっておりこの魔法の縄には粘着力がある。
つまりこれ以上高度を下げてしまうと接触事故を起こす可能性が高いということ。
それに加えてスピードの問題もある。上空ではゆっくり通り過ぎていくように見えた地面も間近に迫ると相当の速度でその上を移動していることがわかる。
最悪の事態は速度を殺しきれないままにこの魔力の縄が木にひっかかって地面に衝突すること。
もちろんリーシャだけであればそんなの無視してこの高さからこの速度で森に向かって落ちていっても大丈夫だった。
だがリーシャ自身だけでなく自分の横に浮かんでいる意識のないポートを無傷で着地させるとなればどうしてもそのリスクを無視するわけにはいかないのだ。
だからリーシャは待っていたのだ。
”彼女”の到着を
その存在を確認した瞬間。リーシャは躊躇いなく自らの魔法を手放した。
ビュッーー。先ほど竜の背から飛び降りた時のような風切り音が耳を撫でた。ただ先ほどとは違って自らの力でこの音を止める術はない。
だが、それを心配する必要はなかった。
なぜならすでにすぐそこまで”彼女”が迫っていたから
白色のロケットを背負ってそこから出る火を推進力としてこちらに迫ってくるその少女は。
「メフィ!!」
そう叫ぶか叫ばないかの瞬間にリーシャは彼女の胸に抱き抱えられた。
「ちょっと遅かった?」
「大丈夫、完璧だった」
「腕落ちてるけど」
「うん・・・・」
「・・・治せるよ」
「・・・よかった」
そんな言葉を交わしながら炎を吐く白いミサイルは3人を乗せて昇ってきた朝日に向かって進んでいくのだった。




