報道「しない」自由と無関心
東日本大震災の後から貞観地震の話がクローズアップされて原発事故は安全無視だと騒ぐ論調があたかも正しい様に思われている。
果たしてそうだろうか?
過去の地震による被害は数々の史跡や史料に記されており、確かに検証可能である。が、しかし、だからといってそれを真正面から受け入れてきたかというと、マッタクそんなことはなかった。
福島での原発事故がクローズアップされるが、あの津波以前に高知県須崎市での津波想定は今の半分でしかない15m程度との予測がなされていた。
それがあの津波によって見直され、市内の大半が甚大な被害を受け、避難場所確保すらままならないという今の30mを超える予測へ変わり、大変な混乱が引き起こされる事態となったのは、記憶に新しい。
では、同じ予測をスマトラ大地震を契機に行ったらどうなっただろうか?
きっと批判されて避難場所確保などは後回しにされただろう。311でようやく再評価といったところか。
これは福島の原発についても同じ事が言える。
貞観地震での津波予測を東電が受け入れるという事は、東日本壊滅を前提にした話になる。311以前の貴方は、「東日本の沿岸部壊滅を想定した原発計画」なんて受け入れたの?
つまりはそういう事になる。
さて、ダラダラ前置きが間延びしているが、本題はそこではない。
が、日本において、直近の大災害がどう扱われ、前と後でどう変わったか、これは重要な指標となるのでダラダラ書いてきた。
では本題に入る。
今から15年くらいまえだっただろうか、軍事雑誌に離島防衛に関する特集記事が掲載されていた。
一つは、台湾、先島有事における先島諸島の中国による「活用法」について。
もう一つは、離島防衛における長距離ミサイルの運用方法について。
さて、まずは先島への自衛隊配備の前提でもある有事想定の話からしていこう。
先島諸島は誰もが知る通り、日本から台湾へと連なる列島の台湾至近に位置する島々である。
台湾有事において、この島々は中国にとっても軍事的活用法が存在していると考えられ、その一つは、考えるまでもなく日米と台湾の遮断にある。
先島諸島を中国が占領すれば、そこには地対空ミサイルや地対艦ミサイルを配備して米軍来航を阻止する絶好のポイントになり、さらに、台湾中央部にそびえる山脈に阻害される東部侵攻を、先島諸島を使うことでより容易に実行可能となる、
その中でも重要なのが、下地島にある長大な滑走路であり、石垣島にある港湾である。
と、分析されていた。
さらに、軍事行動において不可欠な物資補給の面でも、石垣島には水源が存在するので、台湾有事における占領価値は高いという結論が出されていた。
つまるところ軍事基地の有無ではなく、その島固有の特性や現在保有する設備の価値によって評価がくだされている。
しかし、この様な話は一般メディアで見聞きする機会はない。あくまで自衛隊配備に対する不安感や抑止力ばかりが論じられている。
それは何故か?
先に挙げた東電や須崎市の話に繋がる。
なんの事態も起きておらず、関心が薄い事柄に関しては、深く考える事より、目先の言動によって判斷が下だされているから、メディアは報道「しない」自由を優先し、視聴者は深掘りした話など求めようとはしない。
結果、先島への自衛隊配備はなぜなのかという理由は、目先の抑止力や不安感という話へと収束し、それ以上の話を誰もしなくなる。
それは何も利益になる事ではないのは、貞観地震や最悪の津波想定を避けてきた日本の姿を見れば判るのだが、現時点で石垣島や宮古島の軍事的価値を論じても、大半の人は関心を示さないか、感情的な拒否反応から批判を口にする事になりはしないか?
さて、もう一つの長距離ミサイルの運用方法だが、これに関しても「敵基地攻撃」という話ばかりが上滑りしていて、「では、その中身は?」という話はあまり語られていない。
石垣島へのミサイル配備は、実施されても「敵基地攻撃」の為ではない。
それは地図を見れば簡単にわかる話だが、地図より支持する論客の主張を優先していてだれも自らが知識を得て考えようとはしないのだから。
まず、地図を見れば石垣島や宮古島から中国大陸を攻撃するのも、沖縄や九州から攻撃するのも、あまり大差がない。
より大量に配備出来て秘匿も可能な地域は何処かを考えれば、ワザワザ石垣島や宮古島という小さな島から中国を攻撃する必然性なんてこれっぽっちもない事は一目瞭然である。
ならば、石垣島や宮古島に配備はあり得ないかといと、それはまた別の話。
そもそも、地対地ミサイルの目的は、「敵基地攻撃」ではないし、その敵基地なるものが、相手国領内とは限定されない。
簡単に言えば、尖閣諸島に奇襲上陸して旗を立てれば、尖閣諸島は中国の基地だから、そこを攻撃するのは「敵基地攻撃」に他ならない。
つまり、言葉遊びに付き合うならば、上陸した敵に対する反撃も「憲法違反の敵基地攻撃」となってしまう。
これが、敵基地攻撃能力なる言葉遊びのマヤカしであり、呪縛であって、こんなモンに付き合う必要なんてドコにもない。
さて、話を戻そう。
日本がATACMSの様な地対地ミサイルを保有し、石垣島や宮古島へ配備したならば、尖閣諸島はその射程内なので、侵攻する中国軍は迎撃や回避が困難な攻撃に晒される事になり、攻略は難しくなる。
重層的に沖縄にも配備したならば、石垣島や宮古島占領に対する牽制にもなる。
「そんなミサイルを先島に配備したら攻撃を受ける」と言う意見はご尤も。
が、それは尖閣諸島への上陸に先立って先制攻撃することになるのだから、もはや中国は世界の敵である。
名実共に世界の敵となる事を厭わない場合を除いて、攻撃なんかされないんだよ。
世界の敵となる事を厭わない場合には、そもそも先島諸島の軍事的価値を理由に攻撃されるんだから、ミサイルの有無なんて些末な問題でしかないしね。
国会で長距離ミサイルを国内でも使うのかと質問した議員がいたそうだが、なるほど、こうした対中抑止力への極めて効果的な牽制法があるんだよね。
そう、東電は東日本壊滅なんて想定を元に原発の安全なんて語れなかったし、須崎市は市内全水没なんて想定での津波想定なんか出来なかった。
今は311という未曾有の災害を見たから、そんな「あまりにも過酷な被害」について平静に語れているに過ぎない。
ほら、球磨川の水害を見てみ?発生から何十年も経って、被害体験よりも環境保護や経済が優先した結果、ダム反対、しかし迅速に代替出来る対策はありませんでしたって話を放置していた。
結局は今回の水害によって流水型ダムを受け入れるしかなくなった。
今なら、「妥協するなら水害前にやれよ」って声があるかもしれない。流水型ダムが完成していれば、助かった人も居ただろうからね?
しかし、災害が起きなきゃそんな過酷な被害の話が出来ない。
そう、戦争なんてもはや八十年前の話だから、過酷な被害なんて直視出来なくなっている。
スマトラ大地震の津波を見てなお、自分達の身になって考えなかった様に。
今だって、ウクライナで奪還しただのロシア軍の犯罪だの騒いでいるが、ウクライナ軍だって、本来なら麦を撒く畑に銃弾ばら撒いて、ロシア軍が籠もる村や街へ住民無視して砲弾撃ち込んでるじゃない?
現にウクライナで起きているのに、自分達の身になって考えようとはしてないよね?
なんせ、敵基地攻撃ウンヌン言う前の自衛隊って、クラスタ爆弾すら民家や田んぼにばら撒く想定だったんだよ?
水際攻撃って、そういう事なんだからさ。
でも、誰も見ようとはしなかった。そんな事に関心が無いのに、政局利用出来ると見て、あんな質問したんでしょ?
当然ながら、それへの返答なんて政治的には一つしかないよね。政局回避の為に。
確かに、メディアは報道「しない」自由を行使してる。しかし、それを黙認、容認してるのは、現実を受け入れられない視聴者だよ。
そして、知ろうとしない無関心から、空虚な「敵基地攻撃」なんて不安感に飛びついている。
もちろん、それは抑止力に縋り付くのも似たようなモノ。
「敵基地攻撃」なんて言うけれど、ソレ、先ず想定する使用先は、先島ですよ?と。
と言っても、そんな事に関心が無い人が大多数だから、いつまで経ってもメディアが報じることは無いし、ウクライナの現実がどんなものであろうと、遠い国の話しでしかないから、自分達の身になって考えることはない。
結局は実際に弾が飛ぶまでこんな空疎な綺麗事や理想論で片付けてしまうんだろうねぇ〜