決着
「菫子さんッ!」
思わず叫ぶ麟。気づけば立ち上がっていた。我に返り、腰を下ろす。
私のせいだ。この五文字が頭の中でぐるぐると回っている。
理解はしている。ディスプレイの向こうで行われている戦いは菫子に非があると。分かっている。だが、割り切れない。
──私のせいだ。
自分が魔導を使えればトラブルにはならなかった。菫子がぬえに手を上げることもなかった。目の前の戦いが行われることはなかった。
先に手を出した菫子が悪い。それは理解している。
だが、麟は割り切れなかった。手を挙げた菫子が悪いと。
罪悪感がぐるぐると回る。
思考が塗りつぶされる。
「あなたは一つ勘違いしているわ」
不意に背後から声をかけられる。驚いた麟は我に返る。
反射的に振り返ると紫が立っていた。吸い込まれそうな瞳で麟を見つめる紫。
紫は麟の隣に腰掛ける。状況が理解できず、不安そうにする麟。そんな麟に紫は急に声をかけたことを謝る。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「あなたは自罰的であるにも関わらず、他人に自分を委ねる癖があるわ」
話が見えず、麟は黙りこむ。
「自分から誰かのために貧乏くじを引ける人間はそう多くないわよ」
麟は意図を掴めず、困惑する。
紫は話を続ける。
「つまり、この戦いは自分のためでもあり、あなたのためでもあるのよ」
確かに菫子がぬえに勝てば自分への嫌がらせはなくなるだろう。だが、菫子は本当に勝てるのだろうか。麟は不安に思う。
それを見抜いたのか紫は最後に一つだけ、と前置きして言葉を残す。
「人は他人を信頼していれば外罰的になり、していなければ内罰的になるのよ」
そう言って紫は席を立つ。あとは自分で考えろということだろう。
麟は釈然としないまま、ディスプレイへと視線を戻す。
* * *
──痛い。
被弾箇所から感じる灼熱感。脳が警鐘を鳴らす。痛みが全身を駆け巡る。喉の奥で暴れる絶叫を噛み殺す。わき腹から大量の血を流す菫子。ほんの一瞬の隙を突かれ、トライデントで貫かれたのだ。芯は外している。だが、すぐには動けない。そして、この被弾によって戦況は図らずしも大きく動く。
──鈍い音を立てて地面に落ちるトライデント。
突如として現れたトライデントによって菫子の中で全てが繋がる。傷の痛みも忘れ、トライデントを拾い上げる。存在を確かめるように軽くトライデントを振るう菫子。ぬえは何もせず、ただ黙ってそれを見つめていた。
「認識阻害、それがあんたの魔導の正体よ」
「サイアクだわ……」
「おかしいのよ、この私が根拠も無く武器を持っていないと思い込むなんて」
落ち着きなく歩き回る菫子。イライラした様子のぬえを横目に菫子はひけらかすように自説を語る。
「剣で斬られたなら剣で斬られたと認識する。けれど私は攻撃されたと認識した」
そう言って菫子は手に持ったトライデントを忌々しげに見つめる。そのあと、ちらりとぬえに視線を向け、説明に戻る。
「過程が分からなければ結果に注目するしかない」
そういって菫子は思い返す。崩れた石壁、穴の開いた地面。これらは全てトライデントによる攻撃の結果に過ぎない。本質ではないのだ。菫子は立ち止まる。あんたの魔導の正体は結果だけを認識させる認識阻害よ。そう断言する菫子。くるりと振り向いてぬえの方を見る。
「そうよ、私の『不明』は私の行動を全て初見の状態にするの」
ただし、正しく認識されれば効力を失うのよ、と吐き捨てるように言うぬえ。
──念力。
トライデントがへし折られる。使い物にならなくなったトライデントを遠くに放り投げる菫子。
「……私の魔導を無効化した、そう言いたいわけ?」
「さあね、けどタネは割れたわ」
向かい合うぬえと菫子。ぬえの魔導が攻撃力の高いものではないと分かった以上、様子を見続ける必要はない。
──念力。
先手を取る菫子。ぬえを壁に叩きつける。壁を突き破り、吹っ飛ぶぬえ。菫子はぬえが立ち上がるよりも早くもう一度吹き飛ばそうとする。だが、ぬえは菫子に向かって崩れた壁の瓦礫を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた瓦礫を最小限の動きで躱す菫子。女子高生が蹴り飛ばせる瓦礫のサイズなどたかが知れている。
だが、不意を突かれたことで念力がわずかに弱まる。すかさず拘束を振り切り、身を隠すぬえ。
「ちょこまか鬱陶しいわね」
ぬえを視認しようとする菫子。ぬえは自分の推測が正しいことを確信する。菫子の念力は見えているものしか動かせない、という推測が。
「やっぱりね。それなら……」
ぬえは自分自身に向けて魔導を発動する。認識阻害による事実上の透明化。ただし、自分に使用した場合は効果や影響範囲が少し異なる。ぬえは慎重に菫子の背後に回り、思いきり菫子を殴る。殴り飛ばされる菫子。
「痛ったいわねッ!」
「あんたも私を散々あちこちに叩きつけたじゃない、おあいこよ」
菫子は念力を発動しようとする。が、そうはさせまいと間髪入れずに二発目を放つぬえ。二発目も一発目と同じようにクリーンヒットする。膝をつく菫子。
すかさずぬえは蹴りを放つ。菫子は咄嗟に腕でガードするが、威力を殺しきれず、蹴り飛ばされる。
「ほらほら、私の魔導は攻略したんでしょッ!」
特殊能力や細工が介在しない単純な殴り合いならば菫子よりぬえに分がある。だが、機転こそが菫子の真骨頂。
ぬえが何発目かも分からぬ蹴りを放つ。次の瞬間、ぬえの視界が明滅する赤色に覆われる。
思考が止まる。疑問符が思考を埋め尽くす。隙をついて距離を取る菫子。ぬえは視界を覆うサイケデリックな赤の正体に気づく。
「……! マントッ!」
あのとき、ぬえが放った蹴りは少し大振りだった。それに気づいた菫子は素早くマントを脱ぎ捨て、覆いかぶせたのだ。マントを引き剥がし、ぬえは菫子を睨みつける。
「タネが割れても厄介ね」
一発目のパンチ、あれは初見だった。食らうのは仕方ない。だが、二発目は違う。避けられたはずだった。にも関わらず、クリーンヒットした。理由は明白。ぬえの魔導だ。立ち上がる菫子。睨み合う二人。
武器を奪った。魔導を暴いた。小細工を弄した。暴かれた魔導のさらなる応用を見せた。だが、そのすべてが決定打となり得なかった。
それは互いの実力が拮抗している何よりの証明だった。であるならば──。
「「ぶっ飛ばす」」
魔導のぶつかり合いなら相性と練度が明暗を分ける。格闘ならより強い方が勝つ。頭脳戦なら相手の先を行った方が勝利を掴む。では完全に互角の戦いであれば何が勝者と敗者を分けるのだろうか。睨み合っていた二人は示し合わせたように動く。拳が交差する。
次の瞬間、雌雄が決する。