正体不明
四月十三日 金曜日。放課後。
麟は席に座って空中に展開されたディスプレイを見つめていた。
「菫子さん」
ステージは体育館。大きな釣り照明が二人を照らし出す。向かい合う両者。ここからの数分が菫子の命運を決める。
──にも関わらず、菫子は泰然と構えていた。
「余裕ね」
「そりゃ、あんたに負ける理由が見つからないからね」
「今ならまだ、泣いて謝れば許してあげないこともないわよ?」
「お生憎様、あんたに謝るぐらいなら退学した方がマシね」
「あっそ」
菫子は構えることなく、冷静にぬえを観察する。するとどこからともなく声が聞こえてきた。
「両者、準備はいいかしら?」
立会人である紫の声だ。紫は改めてルールの確認をする。
「先に戦闘続行が不可能となった方が負け、反則はなし。ただし、異空間外からの干渉はルール違反とみなす。以上よ」
入学式で行われたエキシビションマッチと全く同じルールだ。
「それではランクマッチ、スタート!」
合図とほぼ同時だった。ぬえがトライデントを薙ぎ払う。だが、菫子はバックステップで距離を取り、難なく回避する。追いかけるように刺突を繰り出しながら間合いを詰めるぬえ。だが、そのことごとくを菫子は回避する。
──瞬間移動。
一度、大きく距離を取る菫子。手を止め、ぬえはトライデントを構えなおす。次の瞬間、菫子を覆うオーラが陽炎のように揺らめく。
──発火能力。
トライデントが僅かに熱を帯びる。ぬえは即座に菫子に向け、投擲する。だが、トライデントは菫子を貫くより前に燃え上がり、力なく落下した。
──念力。
落下したトライデントが浮かび上がるやいなや、猛スピードでぬえに向かって突進する。少しだけ体を捻り、回避したぬえ。それと同時にトライデントを掴み取る。全く動かない。仕方なく菫子は念力を解除する。解除と同時にぬえが動く。突進してくるぬえを菫子は上空へ飛翔し、回避する。だが、ぬえは突進を助走に変換してトライデントを投擲する。
先ほどとは比較にならないスピードで菫子に迫るトライデント。菫子は一瞬だけ念力を解除する。トライデントを自由落下で強引に回避する。しかし、菫子は一瞬だけ身体のコントロールを失ってしまう。
ぬえは素早くトライデントをキャッチし、コントロールを失った菫子に狙いを定める。
──瞬間移動。
菫子の姿が消える。それと同時にぬえの体が壁に向かって勢いよく吹き飛ぶ。壁をトライデントで突き崩し、激突を防ぐ。瓦礫を押しのけて立ち上がるぬえ。
「出し惜しみせず魔導を使った方がいいんじゃない?」
挑発する菫子。
「使えば何もわからず倒されるだけよ?」
煽り返すぬえ。
睨み合う二人。
静寂。
──先に動いたのは菫子だった。
瞬間移動。姿が消える。即座に周囲を見渡すぬえ。菫子を捕捉すると猛烈な勢いで突進する。だが、菫子はひらりと回避する。次の瞬間、ぬえの前に壁が現れる。菫子はぬえの突進を読んで、壁を背に立っていた。ブレーキをかけられず、壁に突っ込むぬえ。
だが、ぬえは壁を容易く突き破る。大きな音を立てて壁が崩壊する。舞い上がった砂と埃の後ろからぬえは悠然と現れる。
「まさか生身で壁を砕くとはね」
「次はアンタがこうなる番よ」
生身で建物の壁を砕けるはずがない。ぬえが魔導を発動した証拠である。
「考えごとなんてずいぶん余裕ね!」
慌てて地面を転がる菫子。コンクリートで身体のあちこちを擦り剥く。だが、攻撃は回避できた。先ほどまで居た場所の地面には三つほど小さな穴が開いていた。亀裂がそこから放射状に走っている。菫子はあと少し反応が遅れていたらと想像し、身震いする。
「すばしっこいわね、宇佐見菫子」
「あんたこそ素手で滅茶苦茶な威力じゃない」
「そっちこそ燃やしたり、瞬間移動したりやりたい放題でしょうが」
憎まれ口を叩き合う両者。だが、菫子に言葉ほどの余裕は存在しない。魔導を暴かなければ話にならない。
「何がどうなってるんだか……」
さっぱり分からないが考える余裕は無い。菫子の焦りは時間に比例して増大する。ぬえと菫子の間に存在する圧倒的な戦闘経験の差。致命的な一撃をもらうのはもはや時間の問題である。
──厳密にいえば違和感は確かにある。
だが、具体的にどんな違和感なのか。何に対する違和感なのか。さっぱり分からない。まるで、勉強が苦手な人間が「分からない部分が分からない」と言うように。
「ほらほら! 休んでる暇はないわよ!」
矢継ぎ早に繰り出される攻撃を紙一重で回避する。だが、回避のたびにジワジワと体力が奪われる。時間制限がない以上、守勢に回っている方が圧倒的に不利だ。
「何か、何かを見落としてる……」
違和感が判断を鈍らせる。判断の鈍りは僅かな隙を生む。
そして、トップランカーのぬえにとってその隙は十分すぎるほどに大きかった。
気づいた時には遅かった。