神槍の令嬢
「すっかり夜になったわね」
長い廊下を歩く董子は腕時計をちらりと見てボヤく。だが、霊夢は答えない。再び、沈黙が訪れる。
「そこ」
「ようやくここまで……」
重厚な扉。明らかに普通の部屋ではない。董子は深呼吸し、扉を開こうとする。その瞬間、霊夢が董子を蹴り飛ばす。同時に扉が粉々に吹き飛び、小柄な人影が飛び出す。人影は霊夢へ猛然と迫り、そのまま扉の向かいにある壁を突き破って屋外へ飛び出していった。
腹部の鈍痛を堪え、立ち上がる董子。吹き飛んだ扉と壁。霊夢の姿はない。董子は壁の穴へ駆け寄ろうとする。
──不意にうなじのあたりに生えた髪の毛が逆立つ。
反射的に身体を捻る董子。
同時に頬を掠める深紅の槍。わずかに発光するそれはまっすぐ飛んで行き、やがて夜の闇へ溶けてしまった。
「っぶな……」
もし、身体を捻っていなければ。頬を冷たい汗が伝う。そして、理不尽な恐怖は怒りへ変換される。
「次から次へと……」
董子は大股で吹き飛んだ扉の向こうへ進む。部屋の中は外の惨状とは対照的だった。
間接照明の淡い光と真っ黒な闇のコントラストが美しい。調度品はどれも一目で高級品だとわかるものばかり。会社の社長室というよりは貴族の書斎のような印象だ。急激に毒気を抜かれる董子。
「ようこそ」
いつからそこにいたのだろうか。レミリアが部屋の中央に立っていた。スカートの裾をつまみ、優雅に一礼する。
「楽しい夜になりそうね」
「勘弁してもらいたいんだけど」
* * * * *
「不意打ちなんて騎士道精神が欠けてるんじゃない?」
「私に騎士は居ないの。お友達も居なかったわ」
「……私を後ろから刺そうとしてるコイツはアンタの友達じゃないの?」
「ちぇ、バレちゃった」
「きちんと過去形だったでしょ?」
「でしょー?」
無邪気に笑う二人の少女。金髪の少女の名はフランドール・スカーレット。緑髪に帽子を被った少女の名前は古明地こいし。
「猿芝居に付き合って欲しいなら人選ミスね」
剣呑な表情で吐き捨てる霊夢。それを見た二人の雰囲気が変わる。
「剥製にしてエントランスに飾ってあげる」
こいしの言葉が冗談でないことはその手に握られた包丁が告げている。
「永い夜になりそうね」
* * * * *
「うろちょろ逃げ回るだけなんて期待外れね」
深紅の槍を手にしたレミリアは一切の助走なく距離を詰め、槍を突き出す。【念力】の補助込みでギリギリ躱せるかどうかという凄まじい速さ。それでいてコンクリートの壁を貫通している。転がるように回避した董子はすぐさま立ち上がり、追撃に備える。レミリアは貫通した槍を引き抜かず、力任せに横へ薙ぐ。ガリガリとコンクリートを削りながら迫りくる穂先。
「これも躱せるなんて逃げ足だけは素晴らしいわ」
身の丈ほどもある槍をくるりと回し、構え直すレミリア。「深窓の令嬢」という言葉を擬人化したような外見に似つかわしくないデタラメな腕力。既に部屋は半壊し、あちこちが陥没している。
「甘いわ」
【念力】によって死角から高速で飛来した調度品を巧みな槍捌きで全て叩き壊す。返す刀で繰り出された蹴りが菫子な鼻先を掠める。武器だけでなく、支柱としても槍を活用し、多様な攻めを繰り出すレミリア。
「【発火能力】」
火だるまとなるレミリア。【発火能力】は単なる火炎の操作ではなく、発火そのものを引き起こす。その原理上、回避は難しい。はずなのだが、レミリアはものともしない。
「【水流操作】」
壁の中を走るパイプを突き破り、吹き出した水がウォーターカッターのようにレミリアを襲う。だが、これも出鱈目な身体能力で躱される。
「ぐあ......」
間一髪で槍を躱した菫子にレミリアがヘッドバットを繰り出す。直撃した菫子は視界がぐにゃりと歪むと同時に事務所での霊夢の言葉を思い出す。
「......分かってるわよ。そんなこと」
咄嗟に舌を噛み、気絶を防いだ菫子は血を流しながらも立ち上がる。その目にはさっきまでとは違い、確かな殺意が宿っていた。
「殺意が違うのなんて薄々気づいてたわよ」
「......頭でも打ったのかしら?」
「おかげさまでね。さっきまでの私とは違うわよ」
瞬間、更にレミリアを【念力】で締め上げる。馬鹿力で対抗するレミリアだが、振り解けない。紐や腕で締め上げているのなら引きちぎれば良い。だが、ベクトルそのものを振り払うことはできない。
「くっ」
着実に強くなる金縛り。呼吸も難しくなってきた。既に槍は手放している。
「これで、終わりよっ!」
最大まで力を強める。次の瞬間、レミリアの身体が捻じり潰された。




