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職業体験

 「麟は行かせられない」


 そう短く告げたのは入学式の時と変わらぬドレスと道士服を混ぜたような衣装に身を包む紫。テーブルを挟んで向かい側のソファには菫子たちが黙って座っている。菫子たちが返答に時間を要すると判断した紫は紅茶のカップを取ろうと上半身を傾ける。すると、手入れの行き届いた絹糸のような金の長髪から甘い香水の匂いが菫子たちの方へ漂ってきた。紫の純白の手袋に覆われた手がテーブルに置かれたカップへ伸びる。


 「それでも、やはり、儂は行かせるべきじゃと思う」


 カップへ伸びた紫の手が止まる。そして、前屈みになっていた上半身を起こす。髪と同じ金色の瞳で紫が見つめるとマミゾウは丸眼鏡越しに赤茶色の瞳で紫を見つめ返す。心を覗き込むような紫の視線に麟は思わず姿勢を正してしまう。


 「最優先されるべきは安全であり、命です」


 紫の説明には一分の隙もなく、紫の決断に迷いはない。マミゾウはソファから乱暴に立ち上がると紋付羽織を翻して扉へ向かう。そして、乱暴に扉を閉める。バタンッという音に麟がビクリと身体を揺らす。下駄の音が徐々に学園長室から遠ざかってゆき、最終的に全く聞こえなくなる。それと同時に学園長室に沈黙が訪れる。


 麟は振り返る。事の発端は毎年恒例の職業体験の季節がやって来たことだ。菫子と麟は両名共に職業体験の対象者だった。しかし、ここで問題となるのが先の騒音塔での魔理沙による麟の誘拐未遂。これを受けて紫は麟の職業体験を保留としたのだ。理由は当然、麟の安全を保障するため。


 だが、この決定に菫子と顧問であるマミゾウが抗議した。職業体験自体は毎年恒例のことだが、カリキュラムや受け入れ先の都合で一度逃すと二度と行えない。進路を決めるうえで職業体験の有無は大きい。調べて分かることには限りがあり、実際に体験しなければ分からないこともたくさんある。


 それゆえ、マミゾウは自身が付き添うから麟の職業体験を許可してやってほしい、と紫に抗議したのだ。菫子もそれに賛成した。しかし、万が一のことを考えると紫の説明は妥当なものである。その結果がこの沈黙だ。


 溜め息をつく麟。ちらりと横に座る菫子の方を見ると手を額に当て、しかめっ面をしていた。そして、顔を上げて沈黙を破る。


 「諦めるしかない、か」


 「それじゃあ、説明を続けて良いかしら?」


 「代案を出せないんだからしょうがないわね。どうぞ、職業体験でしたっけ。確か。」


 体裁だけ取り繕ったぶっきらぼうな物言いの菫子。だが、紫は柔らかい笑みを浮かべ、中断していた職業体験の説明を再開する。


 「職業体験では学園側が指定した企業などへ行き、一定の期間を過ごしてもらうことになります」


 「そう、それで? 私の体験先はどこかしら?」


 面倒くさそうに尋ねる菫子。とはいえ、当然の疑問と言える。だが、紫はその問いに対して笑みで返す。菫子はそれが意味することを察した。お楽しみ、ということだろう。あーあ、という声が聞こえてきそうな表情をする菫子。相手が学園長ではなく友人なら間違いなく舌打ちしていたであろう反応だ。


 「今、可能な説明は以上です。質問はあるかしら?」


 紫が説明終了を告げると同時に菫子は立ち上がり、部屋から出る。麟は慌てて紫に礼をし、菫色のマントを羽織った菫子の後ろ姿を追う麟。


 後ろ手に閉められた扉をしばらく見つめていた紫はおもむろにテーブルに置かれたカップに手を伸ばす。すっかり冷めてしまった中身を飲み干し、空のカップをソーサーの上に置くと立ち上がり、書類がビルを作っているデスクへと移動する。書類を整頓しながら紫は呟く。


 「これで一安心ね」

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