姉と弟②
後に聞いたところによれば、マリアねぇさんは村の大人たちに『姉』になるにはどうすれば良いか聞いて回ったのだという。
恐らくマリアねぇさんは『クライスの姉』であることに執着したが、その実『姉』という存在がどういったものかを理解できていなかったのだと思う。
『物』に執着した『聖女』であれば話は簡単だった。『物』を所持しそれが『在り続ける』ことで満足するのだ。例えば『人形』に執着した『聖女』であれば『人形』を所持し続けるだけで満足できる。
でも、マリアねぇさんが執着したのは『クライス』ではなく『クライスの姉である』ことだ。
しかし幼いマリアねぇさんには『姉』が理解できていなかった。『クライスの姉』でなければならないのに『姉』が分からない。その矛盾を抱えた結果、執着したモノ以外へ関心が薄いはずの『聖女』は積極的に他者に関わっていった。全ては『姉』を学ぶために。
これもマリアねぇさんが『聖女』であると気が付かれなかった原因の一つだ。
そうして、マリアねぇさん7歳の『聖女』の身体的特徴が出るまでの間、村の大人たちから『姉』を学んでしまった。
曰く、『姉』は『弟』を守るもの
マリアねぇさんは、僕がどこに遊びに行くにもついてきて危ないことから守ろうとしてきた
曰く、『姉』は思春期になるまで『弟』と寝るもの
僕が3歳くらいの頃に誰かから教わったらしく、僕が10歳になるまで7年間毎日どちらかの家で一緒に寝ることになった。
曰く、『姉』とは『弟』を鍛えるもの
曰く、『姉』とは『弟』を従えるもの
村のアンナとジュン姉弟に聞いたらしい。『従える』の部分に関しては、『聖女』自体の願望や他への興味の薄さもあってか『鍛える』以外に発揮されることはなかったと思う。
ただ、『鍛える』の部分に関しては逆らうことは許されなかった。
鍛錬は毎日のランニングだった。午前中に1時間くらいのランニングを病気と怪我がなければ毎日。
たぶんだけど、マリアねぇさんが『弟』を守るものと認識しているせいで、『鍛えなければならないけれど危ないこともさせられない。ならば危険から逃げられるように鍛えればよい』という風に導き出された鍛え方が、足腰を鍛えるランニングだったんだと思う。
細かく言えばもっとあるのだと思うのだけど、大きくマリアねぇさんの『姉』像になっているのはこのあたりだ。
そして一番優先されていることが『弟』を守ることだ、だから同一のパーティで行動しパーティの離脱を許さない。
もし離脱しなければならないのなら『姉』である自分も一緒。なぜなら『姉は弟を守らなければならない』から。
ここまでがマリアねぇさんが『クライスの姉』であることに執着し、僕がパーティを抜けられない理由。