アチラのお医者さんと光るトカゲ9
しばらくしてから、ぼくは先生に聞いた。
「なぜあの人はぼくのことを知らないといったのでしょう?昨日会ったばかりなのに」
「そうだね。まあ、あの老人はたしかに最近ものおぼえが悪くなってるからね。――なにせ五〇〇歳ぐらいにはなるから」
五〇〇歳!
「とはいえ、あなたの話だと、昨日はずいぶんトカゲ……ジェームス君に興味をもっていたようでしたが……」
先生はなにか考えているらしい。
ぼくもちょっとは推理してみることにした。
「……やっぱりあの人が鬼にぼくとジェームスのことを話したんじゃないですか?でもそのことを先生に知られたくないから、ぼくの顔を見ても知らないとすっとぼけているとか」
先生はぼくを見るとほほえんで
「……たしかに、そういうことかもしれません。ただ、それには昨日のハクオウじいさんがいまのハクオウじいさんと同じままなら、という条件がつくでしょうね」
同じままってどういうこと?あのおじいさんは、そんなにわすれやすい人なのかな?世のなかには、昨日あったこともおぼえてられないという人もいるって聞いたことがあるから、そういう人、いやアチラモノなのだろうか?
「ついでにもう一つ、寄っておきたい場所があります。いいですか?」
先生が言うのに、ぼくはコクンとうなずいた。
「……ちょっとみやげを買っていきましょうか。そういうものを持って行ったほうが話がしやすい相手なものでね」
と言うと、商店街のおそうざい屋さんで鳥のカラアゲを3パックも買った。
「さて、いま時分はどのあたりにいるかなあ」
歩きながら、上の方ばかり見ている。空、というより電柱や屋根の上みたいなところを念入りにチェックしているみたいだ。
「やあ、あそこなんかどうだ?」
そう言って指さしたのは高速道路の高架下、群れをなしてカアカアわめいているカラスたちだった。
「あっ、いますね。おーい、クロハさん!」
道路の真ん中でカラスに向かって、こんな風に大声で話しかける人がいたら、完全にあやしんで警戒すると思うんだけど、ふしぎと道行く人はおどろきもせず知らん顔をしている。
そして、そのうちに先生の呼びかけに応ずるかのように群れから一羽、特別大きなカラスがこっちに飛んできた……と思ったら、その羽根が一瞬にして大きくふくらんで、
次の瞬間には、黒い革ジャンとパンツをまとった女の人になったのでびっくりした。
「あら、のんのん先生。わざわざおいでになってくださいましたの?一声かけてくださればいつでもこちらから参りますのに……それでもうれしゅうございますわ」
青白くきれいな顔立ちなのだけど、声がちょっとガラガラしている。こういうのをハスキーボイス、というんだってジャズ好きのおじさんが前に教えてくれたことがある。
「あの邪魔っけな『ぬけ首』女さえいなけりゃ、いつでもうかがうんですけどねえ。あんな女、クビにしてやればいいんですよ。
どうせ初めから切れてる首なんだから。あら、おもしろいわね、これ。クワァーカッカッ」
自分の言ったシャレに、自分で大声で笑った。
先生はだまって、ただ苦笑いしている。こっちから会いに来たけど、ほんとうはどうやらニガテにしている感じだ。
「……あら、そのかわいらしい坊ちゃんはどなたかしら?お見受けしたところコチラモノのようですけど……」
「藤川芳一です」
とぼくが言うと
「あら、まあ」
クロハという女の人は目を丸くして
「あたしのことが見えるのね?これはめずらしい」
めずらしい、と言われたのはもう三回目だ。いいかげんイヤになってくる。
「どういうご関係?」
のんのん先生はそう言われて戸惑ったようだったが
「えーっと、その、そうですね。今日はわたしの臨時助手として、ついてきてもらったといったところですかね?」
「かわいい助手さんですこと。アチラを認識できるお子さんでしたら、そりゃ先生も今後なにかと便利でしょうね。じゃあ今回はその新しい助手さんのご紹介にいらしたのかしら?」
クロハさんの言い方に先生は不服気に
「わたしはなにも彼を便利になど使う気はありませんよ。ただ、いま少しだけ付きあってもらっているだけです。……あなたにちょっと聞きたいことがありましてね」
「あら。なんだ、やっぱりそんなこと?少しはビジネス抜きで会いに来てくださればいいのに。もお、女心のわからない人ね」
なんだかクネクネとした感じでさわってくるクロハさんにたじろぎながら
「まあまあ、そんなこと言わずに、いかがです?これ」
先生が透明パックに入ったカラアゲを袋から取り出すと
「あら、これ木崎屋のカラアゲね。うれしいわ、先生あたしの好きなものおぼえててくださって。……でも、なんだか食べ物でつられる安い女みたいに思われたら心外だわ」
「だれもそんなこと思ったりしませんよ、ねえ、藤川くん?」
先生が調子よく話をふってきたので、もちろんぼくは首をコックリとたてにふった。
「そうかしら?じ
ゃあ遠慮なく……」
クロハさんはそう言うと、パックのカラアゲを手づかみにして、道ばたで立ったまま口の中に放り入れた。
そのとき、舌がにょろんと長く伸びたのにびっくりした。
やっぱり、ふつうの人間とはだいぶんちがうみたいだ。
「……それで、いったいなにを知りたいのかしら?」
口の中をペチャクチャ言わせながらクロハさんは聞いた。
ガリゴリ。
ああ、骨までかみくだいて食べてるみたい。
「べつになにというわけではないんですが、ここのところアチラのほうでなにか話題になっていることなんかありませんか?」
「話題といってもねえ、そんなになにもないですけど。……ああ、そういえば『下』のアカカガチに立ち退きをせまった業者がいるって聞きましたよ」
「バカなことを。彼はあの場所を気に入っています、出ていくはずないでしょう」
「ええ、どこのだれだか知りませんけどおどしに行って、逆にやられて返ったって聞きましたよ、オホホホホ……」
アカカガチってなんだろう?
知りたいところけど、たぶん聞いてもよくわかんないんだろうな。だって、そのあとクロハさんがつづけた話も
「ヒノクルマが空で散歩中、ソラオヨギウオの一団とぶつかってケンカになった」とか
「カリュウの娘がスイコとかけおちした」
だとかといった、やっぱりチンプンカンプンなことばかりだったもの。
先生は、あいづちをうちながらもクロハさんが語るウワサ話の大半にはたいして興味がないようだった。
ただ最後、次の話にだけは、はっきりと関心を示した。