アチラのお医者さんとおかしな家9
「……銭湯?」
そう。それは、まるっきり銭湯の大浴場だった。ならぶカランと風呂イス、そして奥には富士山をえがいたタイル絵がでんとある。
「なんで?この家はお風呂屋さんだったんですか?」
ぼくの問いに
先生は首をふり
「いえ。私の記憶ではそんなものではありません。ただの住宅です」
カランからは水が出しっぱなしだから、足元もびちゃびちゃだ。
「これは、もうこの家が『自分』がどんな建物だったかわからなくなってるんですよ。いわば熱でうなされて幻覚を見ているようなものですね。だからまどわされてはいけない。正しいすがたを見きわめないとね」
「……どういうことですか?」
わけがわからず、さらに聞こうとしたとき、
奥の脱衣場の方から大きな音がした。
あっ!あれはさっきのイスとソファじゃないか!
こんなところまで追いかけてきたんだ!ガラスを突き破って追いかけてくる。
「逃げましょう!」
逃げるって、どこに?こっちには、タイルの壁しかないよ!
「あそこです!あそこにとびこんでください!」
「先生!そんなこと言ったって、あれはただの電気風呂じゃないですか!」
目の前にあるのは、ちょっと深そうな電気風呂だ。ぼくはピリピリがいやだから電気風呂なんて入ったことないんだよ!それに服のままでなんて!
「ほら、四の五の言わず、行きますよ!それ!」
ちゅうちょするぼくを、先生はめずらしく手荒くつかむと、頭からほうりこんだ。
ザパーン!!
目を開けると、ぼくたちは、なんのへんてつもない小さな洋間に立っていた。
「あれ?お風呂に飛びこんだはず?」
なのに、ちっとも服はぬれていない。自分の身をなでまわして確認するぼくに
「あの浴場は、まぼろしですからね。ほんとうにあったわけではありません。電気風呂があったところが扉だったのですよ。――とにかく、たどり着きましたね。やっとこれで本格的な診察をすることができます」
となりに立つ先生はそう言うと、しょってきたリュックを下ろした。
目の前の壁には古びた額縁がかけてあるが、それ以外、なにも目立った家具もないそっけない部屋だ。
「どういうことですか?患者さんはどこにいるの?」
ぼくの問いに
先生は
「えっ?……ああそうか、言ってませんでしたか。いけない、あなたがサカイモノであることにあまえて、ついつい説明をするのをわすれてしまいますね」
わらうと
「わたしたちはすでに患者さんに会っていますよ。というか『その中』にいます」
「えっ?」
「この家自体が、今回、わたしが往診に来た患者さんです。『つかい』をとばして助けを求めてきたのです。直接ことばをあやつることはできないから、わかりにくいですけどね」
そう言って、壁にふれた。
「この家、というかアチラモノは、むかしふうにいえば『マヨイガ』というものです。
家に化ける……というより、家そのものとして生きている存在ですね。わりあいにコチラモノにもすがたを見せる方でして、むかしはよく山の中にあらわれて、まよいこんだ人間をとって食べたりしていました」
なにげない顔で先生は言ったけど、聞き捨てならないぞ。
「人間を食べる」って?
ぼくは、そのことばに敏感なんだ。




