アチラのお医者さんと光るトカゲ5
「目下のところ命に別状はありませんが、数日間はこちらで預かりましょう。入院です。よろしいですか?」
「よろしいですかと言われても、ぼくはこの子に連れられてきただけですから」
トカゲはもうだいぶん麻酔がとけたらしく、目をさまして目玉をグリグリ動かしている。ぼくを見ると心うれしげにシッポを振るのがかわいらしい。
先生は後ろの本棚から古そうな本を取り出すと、読みながら言った。
「このギンイロトカゲの種類は基本的には月の光を浴びていれば食事をせずとも生きていけます。しかし好奇心が強くてなんでも口に入れたがる……おい、きみ。ちょっとの間は絶食だぞ。わたしがいいというまで、なにも口にしてはなりません。よいですね?」
真剣な顔をしてトカゲに説教をする人を初めて見たのでおかしかった。
「今日はこの個室で寝ていただきましょう」
そう言って棚の引き出しを開けると箱を取り出し、そのなかにトカゲを移した。
「ちゃんと人工月光を当てておきますね。氷月石の粉を下に敷いてありますから、寝心地はよいと思いますよ」
そしてぼくに
「さあ、あなたはもうそろそろ家に帰ったほうがいいでしょう。外もだいぶんと暗くなってきました。彼のことが気になるのでしたら、またあしたいらっしゃい。診察は昼からですが、わたしは朝十時ごろにはもうここにいますから」
トカゲのことも気になったし、先生にもまだ聞きたいことがいっぱいあったけど、ぼくは言われた通り診察室を出た。
待合室にはさっきのおじいさんがいるかと思ったけど、もういなかった。
「あれ、ハクオウじいさんが来てたんじゃなかった?」
後ろからのぞいた先生がヨシノさんに聞いた。
「さっきまでいらっしゃったんですけど、用事を思い出したとかでお帰りになられました」
「だいじょうぶかなあ、なにせあのじいさんも年だから。……まあいい、またこちらから往診しましょう。さあ、藤川さんでしたか、あなたもおウチにもどらないと。かむの団地でしたね。ひとりで帰ることができますか?」
「はい、できます。……それより、おカネのことなんですけど……ぼく持ってなくて……」
先生は一瞬キョトンとした顔をしたあと「はっはっは」とわらって言った。
「あなたはそんなことを気になさらずとも大丈夫ですよ。診察料は心配せずともあのトカゲくんが払ってくれます」
トカゲがどうやって?と思ったけど、もうぼくはくわしくは聞かなかった。わけのわからないことばかりでアタマがパニックだ。ぼくは自転車に乗って自分の家に帰った。
そのすぐ後に、お母さんが仕事から帰ってきたけど、ぼくは知らない人の家(というか診療所)に行ったことは黙っていた。
お母さんはゲンジツ的なヒトだから、ハネのある光るトカゲと会ったとか言ったら、ウソをつくなと怒られるか、頭がヘンになったと病院に連れていかれるかどっちかだと思ったんだ。
第一、弟 (ぼくにとってのおじさん)が経営しているスーパーに勤めだしたばかりで、慣れない仕事に毎日疲れて帰ってくるお母さんに余計なことは言えなかった。
そのスーパーのお惣菜を電子レンジでチンしたおかずがならぶ夕食で、ぼくは図書館に行ってきたということだけ伝えた。
その夜は興奮して、なかなか寝付けなかった。だいぶしてやっと眠れたけど、その日の夢は金髪ののんのん先生が大きなトカゲにのってぼくを追い回し、そのそばであの作務衣すがたのおじいさんとヨシノさんが笑っているというもので、朝、汗でびっしょりになって起きた。
お母さんはもう起きて仕事に行っていた。
ぼくはお母さんが握っておいてくれたカツオ節とウメボシのおにぎりを食べると、十時になるまで待ってから、リュックサックをせおって、コーポまぼろしに行った。
起きたときは、昨日のことは本当は夢だったんじゃないかと思ったけど、コーポまぼろしは本当にあった。
昨日は夕方のうすやみだったからそんなにわからなかったけど、本当にボロッちい小さなアパートだ。
一○二号室の前に立ってインタホンを押したけど返事がない。おかしいな、まだ寝てるのかなと思ったら、中から声がする。
ドアノブに手をかけると鍵もかかっておらず開いた。コソッとのぞくと、待合室には誰もいない。
ただ診察室の方からのんのん先生と誰かが大声でどなり合っているのが聞こえた。
しばらくすると診察室のドアがパーンと開いて、なかから血相を変えた、いかついおじさんが出てきた。トレンチコートに中折れ帽すがたで、牛みたいに体が大きい。ふてぶてしい面構えで診察室の方を振り返ると、こわいかおで
「おぼえてろよ、後悔するぞ!」とすごんだ。
ぼくを見ると
「どけ、ガキンチョ!」と吐き捨てて外へ出ていった。