アチラのお医者さんとアカカガチ9
「こちらは大ウワバミのアカカガチさんです。この地下鉄かむの駅の線路に四十年以上住んでおられます」
ウワバミとは大蛇のことだという。つまり大ウワバミとは大大蛇のことだ。
たしかに目の前にいるヘビさんはふつうに8両編成の列車ぐらいある。そのまま線路を走ってもおかしくないくらいだ。まさかこんな大きな生きものが地下の線路に住んでいるなんてびっくりだ。
〈たまに電車が走っていない深夜の線路なんかを散歩してるがな。線路の保全員と出会っても、コチラモノにはどうせオレは見えない〉
ヘビさんは大きく赤い目でじっと、こっちを見た。
先生にあとで聞いたら、アカカガチというのは熟して赤くいろづいたホオズキのことなんだって。ぴったりの名前だ。
しかもヘビの目には透明なウロコがついていて、たとえねむるときでも目をとじることが無いらしい。
そんなことを知らないから、じっとにらまれているのかとこわくてしかたなかった。
「知りませんか?ウワバミはタバコのヤニがきらいだっていう話は。落語とかにも出てきますよ。――でもいくら外国産の強烈なタバコでも、こちらのアカカガチさんをどうにかするには足りなかったようですね」
〈おれはたしかにタバコのヤニは好まんが、べつにそれでのたうち回るってほどじゃない。ただ、ふゆかいなのはまちがいないからな。こいつには思い知らせてやる。前はちりぢりにバラけられて逃げられたが、今度は唾液で固めてやった〉
そう言ってウワバミはコウモリに巻きつけたシッポを、すべらかにしめつけていく。
〈食い出は無さそうだが、おやつぐらいにはなるだろう〉
そう言って舌をちょろつかせるアカカガチさんに
先生は
「ちょ、ちょっと待ってください。お怒りはごもっともですが、どうかわたしに免じてそのコウモリをゆるしてもらうわけにはいきませんか?」
〈それは、いくら前にまちがえて鉄骨を食って腹をこわしたときに手術してもらった先生相手にでもできない話だな。こいつはおれに二回も危害をくわえようとしたんだぞ〉
「それは重々承知していますが、なんとかなりませんか?その代わりと言ってはなんですが、こんなものをお持ちしたんで……」
と、先生は持っていた大きな箱の封を開けた。
出てきたのは、どうもお酒らしい一升瓶だ。
そのラベルを見てアカカガチの目の赤みが、ぐんと深まった。
〈先生……それはもしかして『ヘビ泣かせ』じゃないかね?〉
「はい、そうです。このあいだワタリネズミからもらったんです。わたしはお酒をたしなみませんが、この『ヘビ泣かせ』は、その名のとおりヘビがのめば泣いてよろこぶ名酒だと言いますよねえ……」
ヘビの目はらんらんとかがやいて
〈それをおれにくれるというのかい、先生〉
急に、舌を落ち着かなげにちょろちょろ出し入れしだした。
「ええ。よければ二本とも」
どうやらのんのん先生は、はじめからこのウワバミではなくコウモリのことを心配して、こんな重たい瓶を二本も持ってきていたようだ。
ウワバミはすっかりほくほく声になって
〈……すまないねえ、先生。ちょうど、ヤニのにおいで気分が悪くなっているからな。きれいに洗い流したいと思っていたんだ〉
しっぽにからませていたコウモリをぽいとぶん投げると
〈さて、じゃあこんなものはくれてやろう。ただし、始末はきちんとつけたうえでおれに報告してくれよ。いくら気の良いおれでも、おなじことがもう一度あれば、どんな風に気を曲げるか知れんぞ〉
「はい、それはもう重々承知しています」
〈――ついでに、あんたがそこで拾ってポケットに入れたものもやろう。酒の礼だ〉
「ああ、この輪はやっぱりあなたのものですか?いいんですか」
「ああ、おれよりあんたがもっているほうがいいだろう」
「……そうですか?じゃあせっかくですのでいただきます」
先生は低姿勢に頭を下げると、酒瓶を二本置き、べたべたになったコウモリをかついで外に出た。
「――うん?」
「どうかしましたか?」
線路のはじっこで、なにか小さなものが動いたように思ったけど、気のせいかな。




