アチラのお医者さんと光るトカゲ3
奥の部屋に入ると、そこは思ったよりずっと広い部屋だった。古そうな本や書類が本棚にぴっしり並んでいる。その中に白衣を着た金髪の男の人が机に向かって書き物をしていた。ぼくの通っていた歯医者さんはパソコンを使っていたけど、ここではまだ手書きでやっているらしい。
「はい、どうぞ。いらっしゃい。いかがされました?」
こっちを向いたその顔は、なんていうのだろう?若いのだか年がいってるのかよくわからない。ぼくのおじさん(お母さんの弟)より若く見えるといえば若く見えるし、おじいさん(お母さんのお父さん)ぐらいの年といえばそれぐらいにも思えた。
まっ黄々(きいきい)の短髪に、ほんのりとあるクチヒゲがあやしいフンイキたっぷりだ。白衣の下は「ウォーリーを探せ」みたいな赤白のボーダーシャツ。外で会ってたら、ぜったいこちらからは目を合わさないタイプだぞ。
これが、のんのん先生だった。
「この子です。ケガしてるみたいです」
「ほう……、どれどれ?やあ、これはひどい。なんでケガしたの?」
「わかりません。ぼくが見つけたときにはもうケガをしていたから」
「見つけた?……やあ、あなたはコチラの人ですね?」
先生はそのとき、はじめてぼくがいることに気付いたみたいに声を上げた。
コチラってなんだろう?同じ町内ってことかな?
「はい、かむの団地に住んでる藤川芳一です。引っ越してきたばっかりです」
「やあ、これは。じゃあなんですか?あなたが彼をここまで連れてきたんですか?へえ、それは、それは」
先生があんまり興味深そうにこちらの顔をしげしげと見るんでドギマギしてしまう。こっちはなにも悪いことをしているつもりはないぞ。
「いや、今はそんなことより、こちらさんを早く処置してあげないとね」
先生はトカゲに目をやりなおすと白衣のポケットから虫メガネを取り出し、傷をよく見た。
「うーん、これはちょっとひどいなあ。こりゃもう縫ってあげたほうがいいでしょうね。おーい、ヨシノさん、麻酔の用意。……うん、コオリムカデのツバがいい。シビレゾウのヨダレだと強すぎるし、彼にはヒンヤリしたもののほうがいいでしょう。糸はそうね、ユキハキグモの糸がまだ少しあったから、あれでいこう。うん、中ぐらいの細さのものでいい。お願いします」
ヨシノさんっていうのはさっきの看護士の女の人で、てきぱき冷凍庫から薬瓶を取り出す。先生はそのいかにも冷たそうな液体(ドライアイスみたいなけむりがモクモク出ている)を注射器に注入した。トカゲは注射器を見ると、シッポから×の形の炎を出してはげしく振った。
「……なんかイヤがってるみたいですけど」
「生意気を言うんじゃない。ケガを治したいから、この少年の手を借りてここまで来たのだろう?きみも心を決めて観念するんだ」
先生はトカゲにまるで人間の、それももういい年をした大人かのように言い聞かせた。するとトカゲの方もあきらめたように眼を閉じた。
「よしよし」
先生が注射をすると、刺された時は一瞬ビクッとしたけど、そのあとはねむるみたいに静かになった。
「暴れられると面倒だから、全身麻酔にさせてもらいましたよ。さあ、今からちょっとこまかい作業をしないといけないから、あなたには待合室で待ってもらっていていいかな?」
そう言われたので、ぐったりしたトカゲを置いてぼくは部屋を出た。
待合室には、次の患者さんだろうか、さっきはいなかったおじいさんが椅子に座っていた。作務衣を着ているが体は枯れ木のように細く、肌がカサカサしていて仙人みたいなヒゲを生やしていた。なんだか朝鮮人参みたいだった。
おじいさんは人なつっこい感じで、となりのぼくに話しかけてきた。
「なんだね、きみはコチラのお人のようだが、のんのん先生のお知り合いかね?」
またコチラって、同じことばかり言われる。いったいなんなんだろう?
「……あのすいません、のんのんって誰ですか?」
「いま会っただろう?黄色い髪をしたお医者さんだよ」
のんのん?そうか表札に「 野々村」ってあったからそれで「のんのん先生」か。
「先生の知り合いでもないコチラの人間がここにやってくるなんてめずらしいね。まさか自分の病気をあの先生に診てもらいに来たわけではあるまい?」
おじいさんは笑うように言った。ぼくはウソをついても仕方ないので、素直に言うことにした。
「ええっと……ただぼくはハネのあるトカゲに連れてこられただけです。道で会ったんです」
トカゲという言葉に、一瞬、おじいさんの目が光ったように思った。まるでネコかなにかのケモノみたいな気がした。
「ほお、ハネのあるトカゲ。……じゃあ、なんだね?きみはアチラモノにふれることができるのかね?」
「アチラモノ」ってなんだ?さっきの先生といいこのおじいさんといい、言ってることがわかんないんだよなあ。
「それはめずらしい。……じゃあトカゲは今ここにいるのか?」
ドアのむこうの診察室をじっと見つめるその目は、やっぱりなんだかネコっぽい。
「おじいさんはここに何をしに来たんですか?飼ってるペットが病気なんですか?」
「ペット?……いやいや違うよ。ちょっと関節の具合が悪くてね。わたしはのんのん先生のところに長くかかりつけてるから診てもらいに来たのさ。ただの年のせいだとは思うんだが」
袖をめくって見せてくれたその腕はまるで本当の木の枝のようで、カサカサと節くれだっていたのでぼくはびっくりした。思わず「いったいそれ……」と声を上げようとしたとき
「藤川さーん。処置が終わりましたので、なかにどうぞ」
ヨシノという看護士さんに呼ばれたので、それ以上のことを聞くことはできなかった。