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蛹化の女

作者: 豆田 麦

 別れの言葉を水のように飲み込んで、さっきまで恋人だった男を見送った。


 男の唇は「あの人」によく似ていて、眼をとじさえすればキスだけで感じたのだけれど。

 前の恋人は、「あの人」とそっくりな目をしてた。

 その前の恋人は指先が。

 声が似てる人もいた。

 私は、「あの人」はこんな風にするのだろうかと想像しながら彼らに抱かれた。

 いつだって付き合いは長く続かない。当然のこと。

 ほかの男を想いながら抱かれる女になんの価値を見出すだろう。

 私にとっても、彼らは「あの人によく似たパーツをもっている」という価値しかない。

 涙も見せず取り乱したりもせず、ただ別れを飲み込む私は、いつしか「慣れた女」「冷たい女」と影で囁かれるようになった。そんなことをわざわざ親切な顔をして教えてくれる人は後をたたない。まぁ、どうでもいいこと。




 その晩、背中に奇妙なできものができているのに気づいた。いつからできてたんだろう。

 今日別れた人と最後に寝た時にはなかったと思う。多分。向こうがそれに気づくほど熱いセックスではなかったので確かではないけど。




 「あの人」は太陽みたいに笑う。私に対しても他の友達にするように話し掛け、背を叩く。

 私は周囲が作り出したイメージをさなぎのようにまとっていて破ることができない。大勢でバカな話をして、くだらない冗談にタバコの煙を吹き付けて、片方の口元だけ上げて笑ってみせる。「あの人」に叩かれた背中が熱いのを知ってるのは私だけ。その滑稽さは自分でも笑える。前は暗い部屋に帰ったら涙がこぼれたものだけど、今は笑いしか出てこない。


「また振ったんだって?」


 彼に頭をこづかれて、「私は振ったことなんてないわよ。振られたの」と、肩を叩き返した。




 そう、こうやってじゃれてたわね。こどもの頃。

 ここから遠い鬱蒼とした木々が繁る山に囲まれた村でひと夏を過ごした。両親の離婚騒ぎが落ち着くまで母方の祖母に預けられた小5の夏休み。もともと器量が悪い上にいつもふてくされて笑わない私には学校でも友達ができなかったし、別にどこで夏休みを過ごそうと関係なかった。

 彼が話し掛けてきたのは、祖母の薄気味悪いほどに古い家の縁側でアイスを食べていた時


「お前、どっから来たの」


 太陽が笑いかけてきたと思った。


 彼は、じめじめした暗い家から照りつける太陽の下に私を連れ出した。

 彼の周りはいつも友達が一杯で、なぜ私をひっぱりだしたのかはわからなかったけれど、多分、ただ、そうしただけだったのだと思う。切れそうなほどに冷たい川で魚をつかまえたり、キラキラとした木漏れ日とセミのけたたましい鳴き声が降り注ぐ森でかくれんぼして遊んだ。明け方にカブトムシを捕まえることも教えてくれた。毎日笑い転げて、笑い疲れて夕食の最中に眠りこけるくらいだった。

 あんなに短い夏休みは最初で最後。また遊びに来いよと、やっぱり太陽のように笑う彼との約束は果たすことはできなかった。両親の離婚が決まり、私は父方の実家に引き取られたのだ。もともと住んでいた町からも、彼の住む町からもずっと遠いところに。


 そこを出て都会の大学に通いだしたときに、彼と再会した。こどもの頃と全く変わらず、彼はいつも大勢に囲まれていて。私は声をかけることはできなかった。こどもの頃よりももっと自分の不細工な顔が引け目になっていたから、彼の笑顔はあまりにもまぶしすぎた。

 ひとつ年上の彼が卒業するまで、声をかけることはできなかった。遠くから見つめるだけでもよかったはずだったのだけどそれもかなわなくなったときに後悔した。せめてもう少しキレイなら挨拶を交わす仲くらいにはなれたかもしれないのに、そう思った。

 暗い祖母の家から彼は連れ出してくれた。大人になってからも連れ出してもらうのを待ってるのは甘えすぎてる。


 私は自分の顔を変えることで、話し掛ける勇気を持とうとした。ばかばかしいのは自分でもわかっていたけれど、それしか思いつかなかった。顔を変えて服装にも髪型にも気を配って、まるで違う私になって彼と同じ会社に就職をした。私の名前を聞いたとき、彼はちょっと小首を傾げたけれど、それ以上は何もいわなかった。彼には付き合っている女性がいて、今でもその彼女とつきあっているらしい。

 別に、彼とつきあいたいとか本気で思っていたわけじゃない。彼は私にはまぶしすぎる。ただ、ほんの一瞬でもあの光のそばにいたかった。



 なんだか、背中のできものが大きくなってきた気がする。せっかくキレイになったのに。



 まぁ、彼に見える場所でもないしかまわないけど。





「こっちこっち!」


 声変わりする前の高い声で、彼が友達を呼び寄せる。声をひそめて指差した先には、ちいさなセミの幼虫。草むらの影にひっそりと転がっている虫の背には、白いサンゴのようなものが生えていた。何度も見せてもらったことのある幼虫よりもはるかに大きな白いサンゴ。

 それは一つのそういう生き物のように見えるけれども、幼虫はぴくりとも動かない。森の奥、こども達のほかは誰もいないというのに、なぜかみんな小声になる。


「生きてるの? これ」

「まさか。こんなの生えてていきてるわけないよ」

「こうゆう、シンシュの虫かもしれないじゃない」

「でも動かないよ」


 そのうち、虫に詳しいこどもが言い出す。彼が捕まえてきた虫の名前をいつも教えてくれる子だった。


「これ、虫に生えるキノコだよ。聞いたことあるもん。お父さんに。虫のお腹にはいって、それから大きくなって虫の体を突き破って出てくるんだって」

「ほんとに? じゃあ、スイカの種飲んだらおへそから生えてくるってゆうのもほんとなのかなぁ」


 バカだな、そんなのうそに決まってるだろうと言い合いながらも、静かに横たわる虫を見つめる。

 自分のお腹を押さえながら。

 私は、ただ、その思考を持たない飴色の醜い体から突き出る白いサンゴがキレイだと思った。そっと手をのばして触れようとしたときに、彼がその手を止めた。


「よせよ。うつったらどうするんだよ」


 その言葉にはじかれるようにみんな悲鳴をあげて逃げ出した。





 彼が結婚すると宣言した。祝いと冷やかしの言葉を投げかける友人たち。おめでとう、と声をかけると、年貢の納め時って奴だなと笑った。

 その笑顔はいつもにも増してまぶしくて。震えそうになる指を握り締めて、どんな人なのか聞いた。


「お前みたいに美人じゃないけどね。まぁまぁ可愛いよ」


 にやつきながら鼻を掻く指をそのまま鼻に押し付けてやった。


「ひがむなって。お前なんてその気になればいくらでもいい男みつかるくせに」


 まぁ、そのうちにね。そう言ってタバコに火をつけた。




 いつもみたいに時々大勢で飲みに行って、はしゃいで、笑って。あの夏がずっと続いているみたいに過ぎて。

 彼の挙式が来週に迫る頃、背中のできものは服の上からもふくらみが見えるようになっていた。先の方は薄汚い茶色で根元にいくほど生白くなるもやしみたいなそれが背中から突き出ている。

 体がだるくて仕事も休み続けていた。日に日にその枝は伸びていく。私を栄養分にして。

 部屋から一歩も出ず、何も食べず、布団に丸くなってもぐりこみ続けた。




 あの日見た白いサンゴは「冬虫夏草」というキノコの一種だったらしい。

 どうせ生えるなら、あんなキレイなのが生えればよかったのに。

 あの醜い幼虫からはあれほどキレイな白いサンゴだったのに。

 せっかく整形までしてキレイになったのに、生えてくるのはこんなもの。

 もし彼がその白いサンゴを見たら、あの日を思い出してくれるかしら。

 こんな醜いキノコじゃ無理だわね。

 結局私は暗がりから自力で出ようともしてなかった。そんな私にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。


 ただ、段々と力が入らなくなっていくのはわかるけど、怖いわけじゃない。

 まっすぐに天井にむかってのびる枝は私の命を吸い込んでいっている。

 醜くても、そのまっすぐに伸びる姿がいとおしくも思えてきて、くすっと笑ってそのまま目を閉じた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 蛹と化した女は、その果てで羽化するのでしょうか。 恐らくですが、新しく生まれてくるものは決して女の生まれ変わりではなく、女とは全く別の何かなのでしょう。 諦めと幾ばくかの悦びをもってそれを…
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