虚世代
『私立高校で起こった暴行事件の続報です。その場にいた同級生の発言によりますと、部活動のOBと後輩の関係である被害者と容疑者の二人は、当日部の活動方針について長時間に渡る口論をしており、そのまま殴り合いの喧嘩に発展したとのことです』
『学生とOB……やはりあの問題ですか……』
『はい、確かに専門家の間ではここ数年多発している、とある世代間での考え方の違いから起こる事件――俗に"虚世代"と呼ばれる問題と見る先生方が多いそうです』
『虚世代、または穴世代……年齢差による口論なんてものは昔からありますが、特にここの世代の溝は我々が思う以上に深いものなんですかね……』
――虚世代。
俺はその言葉に気を引かれつつも、出勤のための準備を進めた。
年齢を重ねるにつれて、疲れは取れないのに目覚めだけは良くなっていく。
昔は家を出る10分前まで寝ているなども当たり前だった。
今ではニュースを見ながらの余裕ある身支度。
それを老いたと揶揄する者もいるが、俺はそう思ったことなどなかった。
人は生涯成長し続けるものなのだ。
だからこそ何歳になっても世代間での争いは絶えることがない。
近頃多発する"虚世代"問題が正にそれを証明していた。
身支度を整え名残惜しくもテレビを消す。
中身もなく欠片も頭に入らないニュースばかりの中で、この話題はいつも俺の興味を強く惹きつけた。
それは自分が会社で――正にその渦中にあるからに他ならない。
あぁ……今日も奴らの相手をするのか。
俺の足が毎朝少しだけ重くなるのは、何も先日の疲れのせいだけではなさそうだ。
「おはようございます! 末浦さん!」
「……あぁ」
「おはようございます」
「……おう」
会社に着くなり、若手たちが俺の名前を呼んだ。
録音したかのように毎日同じような言葉。
それは「挨拶したからもういいでしょう?」という断絶さえ思わせる。
実際彼らは俺に何の興味もないだろう。
若手たちの瞳は空洞のように何も映らない。
ただただ表層を取り繕って、出勤から定時まで存在するだけの抜け殻だ。
何が楽しくて生きているのか。
何に喜びを見出すのか俺には到底想像もつかなかった。
しかし諦めるほかない。
それが彼ら――虚ろな世代の特徴なのだから。
初めに誰が言ったのかは分からない。
由来を詳しく調べた事もないが、いつからか「虚世代」という呼び名は世間に浸透していた。
俺に分かっているのは、それが今の若者の事を指していると言う事だ。
人には目があり、耳があり、他人と意見を交わし合うものである。
だが彼らのそこに空いているのは、ただの空虚な穴だけだ。
耳に入った言葉はただの風のように通り抜け。
見たものは光なく暗闇に吸い込まれていく。
一見すると彼らの反応は元気がある若者らしい素直な返事だ。
だが実際はただの体を抜ける際に、口から漏れ出す反響に過ぎない。
彼ら自身から発せられたものではない。
だからまるで録音された自分の声を聴くように――不気味だった。
「末浦さん、今日の退勤後って空いてますか?」
「……何か用事か?」
昼食の時間に話しかけてきたのは松野――いや、松里だったか?
とにかく若手連中の中でも、中心的ポジションにいる男だった。
彼はいつも通りに造りの粗い作り笑いで俺の顔を見る。
――要件より先に都合を聞く。
その時点で既に俺は聞く気を半ば失いかけていた。
心なき彼はそんなことには気付かないのだろう。
そのまま自分のペースで話を進め続ける。
「いや、実は先日河西さんが結婚されたでしょう? だから今日そのお祝いを兼ねて皆で飲み会でもやろうと――」
「いや、今日は少し都合が悪いから止めとくよ」
やや食い気味に断ると一瞬松野は固まってしまったが、すぐに得意のガラスのような笑みを取り戻す。
「……そうですか! すみません、ちょっと河西さんの都合もあって先には延ばせそうもないんで、僕たちだけで楽しんできます!」
その時、俺は見逃さなかった。
彼の表情にほんの少しだけ嘘のない感情が混じったことに。
それは――安堵。
俺が来ないことを初めから期待していたのだ。
そんなもの俺だって願い下げだった。
まず若者だらけの飲み会に混じる事自体楽しくも何ともない。
俺が飲み屋代を多く出す流れまでが目に浮かぶようだ。
毎日こんなことばかりだ。
あまりにも息苦しい社内。
別にそれこそ彼らのようにプライベートを大事にしたいわけではない。
だがこんな会社に長く関わるくらいなら、やることがなくとも家にいたほうが幾分かマシだろう。
そして、誰とも言葉を交わすことなく就業時間は過ぎ去っていく。
「末浦さん、お疲れ様でーす!」
弾むような声。
大して熱心に仕事に打ち込んでもいない癖に、定時がそこまで嬉しいか?
定刻過ぎとは言え、まだ社内なのに彼らは既に飲み会モードだった。
煩わしい。
奴らはきっと酒が好きなわけじゃない。
会話だって特別楽しんじゃいない。
ただ団結している雰囲気を味わっているのだ。
中身が空洞だからこそ、皮膚を撫でるような表面上の付き合いを尊ぶ。
煩わしい。下らない。
そんなもの翌日には何も残らない虚無への供物だ。
朝のニュースで見たせいだろうか。
今日の俺はいつにも増して苛々が募っていた。
だから。
だからこの後の自分の行動も仕方なかった。
少しでも怒りを鎮める為にじっとしてられなかった。
俺は飲み会に向かう彼らの――後を付けたのだ。
場所は見慣れた駅前の飲み屋街。
前を歩く彼らは既にどこか楽しげだった。
人通りは多く――当たり前だが、尾行を警戒する様子もない。
俺は彼らの話が聴こえるところまで近付いた。
今話しているのは主役である河西で、どうやら松野を労っているようだ。
「松里さん、今日はありがとうございます」
「あぁ、別にいいよあのくらい」
「いえ……本来なら私が末浦さんに聞きに行くべきなのに……嫌な役やってもらっちゃって」
「嫌な役って……怒られたわけでもないしどうってことないさ。それにもう慣れてるしね」
「今日は朝から緊張してたじゃないですか。これならいっそ初めから声をかけないほうが……」
「だめだめ、それやった奴は次の日呼び出されてすげー怒られたんだから。勿論それを怒ったわけじゃなくて本来怒る程でもない別件だけどな。未だに目を付けられてる。結構根に持つんだあの人」
「じゃあ結局……」
「そうそう、面倒でもこうやってちゃんと話すのが一番後腐れがないんだよ。こう言っちゃなんだけど、別に取り入る程力のある上司でも、何かあった時に助けてくれる人でもないしな」
そうして彼らの話題は俺の全く分からない話へと移っていく。
やはり人が多いせいだろうか。
所々しか彼らの会話は聞き取ることが出来なかった。
ただ一つ分かったのは、やはり俺の参加が望まれてなかったこと。
あくまでも仕方なく誘われただけだったということだ。
「…………はっ」
そこまで聞くと逆に気は楽になる。
どうせ奴らは何も感じない虚世代の若者だ。
心無き誘い。
だから断る俺の心も痛まない。
会話の後半があまり聞こえなかったが、今ではどうでも良かった。
どうせゲームの課金とか下らないマッチングアプリの話とか。
彼らに相応しい中身のない話をしていただけだ。
俺はそう思うと、今朝からのモヤモヤが晴れていくのを感じた。
さぁ、何もなくとも暖かな我が家に帰ろう。
夜もテレビではニュースが流れている。
『先日の高校生とOBが喧嘩した事件について、また新たな情報が入りました。OBに殴られて怪我を負った高校生の男の子ですが、どうやら命には別状もなく今日はお見舞いに来た友人たちに囲まれて嬉しそうな表情を浮かべるなど、事件後の経過は良好とのことです』
『いやー良かったですね。加害者のOBには確か椅子で殴りつけられたんですっけ?』
『はい、いわゆる虚世代による暴行事件ですね。虚世代とは元々"自分の穴に籠って自分以外の言葉に耳を貸さない"穴世代という言葉から変化したものですが、最近事件が増えたことにより"一人で結論付けて思い込む"何を考えているのか分からない人々という認識も広まってきました』
『世代ごと非難するのは嫌だけどねぇ。せめて自覚を持ってくれればねぇ』
『そうですね。今後もこの問題は続くことになりそうです』
俺はご飯を食べながらニュースを聞き流す。
今朝の続報のはずなのに、どうしてだろう。
まるで空洞を通り抜けるように――その内容は頭に入ってこなかった。
読んでいただきありがとうございました。
身内での小説企画にてテーマ「穴」で書いた作品です。
(この話はフィクションであり、実際の◯◯世代などとは関係ありません)