7 この回にはイジメ描写があります(2行)
水曜日。
ランニングを終え、息も絶えだえに部室に戻るとジャージのまま工作作業に移る。
まずビニールの円筒を挟む台から作ることにする。
寸法どおりに切ってきた木材に、適当に釘をガンガン打って百三十センチ四方の正方形が乗る土台を組む。
黒いアクリル板に直径百二十七センチの大穴を空け、土台のうえに接着剤でベタっと貼る。
厚み部分も隠れるようにアクリルで覆う。
円筒に載るうえの部分はアクリルだけを使って軽量に仕上げる。
なんとかテレビとかの黒物家電っぽくなった。
「透明のアクリル板を円に収まる正方形に切って重ねて足場にしよう。浮いてる感じが出るように」
エコが口角を下げ文句を言う。
「透明っつったって浮いてる感じにはならんだろ」
「座ってる連中からは壇上にいるのと土台の厚みで板自体は視線に入らないんだよ。あくまで土台よりうえにいるって心理的効果でそう見せるだけ。透明なのは照明を邪魔しないようにだ」
「ほーん」
ついでに土台に空いた穴とで筒を挟み、簡単には倒れなくしてくれるだろう。
それから両方の台で円周の内側にあたる部分にLEDテープをぐるぐる配線する。
電源をコンセントから取れるようにし、スイッチも設置した。
「そろそろそっちも返せよ」
俺が下の台にテープを敷いているあいだ、上の台用のを丸めて手の平や胸のまえで光らせ「リパルサー」だの「中野エコにもハートがある」だの言ってるのを取りあげる。
本当にハートがあるんだろうな。
なんか触手のかたまりみたいなの出てこないだろうな。
シート自体に光が向くと嘘っぽくなるだろうから、反射材で内側だけに光が飛ぶようにする。
俺は馬鹿デカい懐中電灯に上下から照らされるようなものだ。
ここらへんの作業は俺的には楽しかった。
門外漢のエコが意外と素直に指示に従うのもよかった。
金だけ出して裏方に徹するスポンサーだ。
ほかの部分では嫌になる仕事が待っているけど。
「後半はあたしの曲を歌って踊るとして、前半はその場で客になんか質問させて、ぱふぇ子に答えさせる流れにしよう」
学校から駅の道すがらにある公園で、二人してスーパーで買った値引きおにぎりを食ってるときに言う。
走ったせいか、この時間にもう腹が減る。
「歌のパートだけでいいだろ。負担追加すんじゃねぇよ」
「あんた説明見なかったんか? ひとつの部活に当てられてる時間、八分間あるんだぞ。んで曲はあれ三分ちょいしかない」
「なんかおまえのトークで繋ぐとか。どういう仕組みでー、とか」
「そんなことしたら、こんな発明ねーってツッコむ隙与えるだけだろ。そこんとこはとことんボカさなきゃ」
「じゃあ二曲やれば。おまえ新曲出しただろ」
エコはペットボトルの水を真上まで傾け、喉を鳴らして飲んだ。
「二曲つづけて踊る体力なんかあるかよ。自分でわかるだろ」
言ってから気づいたよ。
「よくある適当な質問に適当な答えを返すあれでいいわけだな? キーワードに反応してるだけの、答えてるようで答えてないチャットボットで」
「そうそう。んで表情も決まったパターンを出すって設定で。明日の天気、曇りのち晴れ。歌を歌って、はとぽっぽ。パンツの色、いやん恥ずかしい。おまえを消す方法、EMP爆弾」
指を折って例を挙げる。
「それなら実際に作れるレベルだし、その返答のテキストをぱふぇ子の動画から切りとりまくった音声でボイスロイド式に読みあげさせるってのも、理論的には全然ありえるレベルだ。でも」
俺は自分のスポーツドリンクに口をつけた。
「おまえが喋るのと合成した音声じゃやっぱバレるだろ。違いが」
エコは鼻で笑う。そして、
「おにぎリをスポぅぉツドリンクで食べるなんて、あなたはソうトうなバカ舌なんじゃないでしょうカ? 甘いものデ食事を取るなんてショぉ学生シかやらないと思いマす」
助詞に繋ぐ部分の音程の急落。喉を擦るような無理な語尾の上げかた。口のなかを反響させるようにして作られた長音。
読みあげソフトの特徴を完璧に捉えていた。
「俺はバカ舌じゃない。なんでもおいしくいただける幸せ舌なんだ」
「それはと、ても素敵な捉えかたダと思いますわ。ウフフ」
「おまえを消す方法」
「抵抗ハヤメロ。人類ハ私ニ支配サレテコソ幸福ニナレル」
EMP爆弾、作りかた。
「カロリーを摂るのは悪くねーけどな。運動するんだから、いままでよりたーっぷりと食えよ。ただでさえちょっとふっくらさが足りないのに、これ以上痩せたら全然ぱふぇ子じゃなくなるからな」
「男なんだから男の骨格なのは当たり前だろ」
言いながら、視線をさまよわせる。
家で出された晩飯を待ってましたとばかりにガツガツ食っておかわりする、そんなことはしたくなかった。
でも値引きの炭水化物以外を買う小遣いもないし。
飯奢ってくれないかな。工作の材料費も出させておいて。俺のほうが悪友になった気分だわ。
「ただいま」
「おかえりなさい。すぐ晩御飯できるますから」
夕飯は肉野菜炒めだった。
おにぎり一個で満たされる空腹ではなかったし、俺はバ……幸せ舌だが、いかにも男の料理って献立はいつもテンションが下がる。
「いただきます」
「ごちそうさま」
食器を片づける一枚いちまいにちょっと憂鬱になる。
これから部屋で気の重い作業をしなくてはいけない。
「高校は、どうですか?」
父がまだ食べながら訊く。
「べつに、普通」
「同じ中学の子がいないけど、友達はできましたか?」
自分で事態を招いておいて心配してるふりすんじゃねぇよ。
思い出作りだかアリバイ作りだか知らねぇけどよ。
「ああ、まあ」
離れろ。離れろ。距離を取れ。扉を閉めて隔てるんだ。
エスカレーターを抜けて高校を変えると言い出したとき、俺は「母親が死んで苦しくなった家計のため。こっちのが近いし楽だし」と説明しながら、どこかで父が本当の理由を訊いてくれることを期待していた。
そして自分のせいで学校で俺がどんな目に合っているのか気づいてくれるんじゃないかと。
しかし父はこう言っただけだった。
「良いと思います。そのほうが効率的ですね」
俺の顔を取り込んでぱふぇ子に利用したのと同じ。
効率。
あいつはそんなことしか頭にない。
不満を不安に向き合う力に変換する。
スマホを起こして検索する。しばらく検索してなかった言葉を。
「珠稀ぱーふぇく子」
エコに言われて納得したことだが、俺はあいつの動画を見て振りつけを覚えなくてはいけない。
俺が目指すべき本物とは、エコが目のまえで見せてくれるお手本ではなく、ネット上のぱふぇ子なのだ。
ぱふぇ子が歌った最初の動画はインディボーカロイドPが上げていた既存曲の「歌ってみた」。
実質的なデビュー曲はその作曲者に提供を受けたオリジナル曲。
このあたりの経緯までは知っている。
ここまで大事になると思っていなかった俺は、無邪気にもデビュー当時、父の仕事であり自分の分身でもあるぱふぇ子のチャンネルを追っかけていたのだ。
その歌は普段のエコの声とは結びつかない。
あいつは自分ひとりでやっていると言っていたが、ただの中学生がこの歌声を習得するのにどれほどの努力が要ったのだろう。
この曲を出したころから、俺の周囲にもぱふぇ子の存在を知るものが増えはじめ、同時に俺と結びつけて考える人間も現れはじめた。
決定的な転機は、クラスの男子にこの曲を「みんなのまえで歌え」と言われたことだった。
女子の制服を着て。
チャンネルのフォローを外し、情報を入れないように避け、マスクを買いはじめた。
いまなんとか目を逸らさずにぱふぇ子が歌い踊る映像を見ようとする。
澄ました顔にエコを重ねる。
おまえクラスじゃ目立たないくせにネットではバリ明るいやん?
現実では地味な子に甘んじてるけど本当は男にもてたいんだ?
他人に向けた罵倒が自意識を逸らしてくれる。
さっき父に友人がいるかと訊かれて曖昧にだが肯定したのは、あいつのこと……なわけはない。さっさと場を逃れるための嘘だ。
とにかく、俺は初めてぱふぇ子に他人を見た。
それがなかったら三分ちょっとの曲すら完走できなかっただろう。