5 声と肉
「マジムカツクなアイツ! どういう気分であれやってんだ! 家帰ってもアタシ生徒会長だわーって思いながら飯食ってアタシ生徒会長だわーって思いながら風呂入ってアタシ生徒会長だわーって思いながら寝るんか! やめたとたんに恥ずかしくなって死ぬだろあんなもん!」
おーおーキレまくってる。
部活云々だけじゃなく、根本的に反りが合わないみたいだな。部室に戻ってマスクを外すと一段と牙を剥いている。
「わかっただろ。この部に入っても意味ないって。どっかほかの部探せよ」
俺も素顔を左右させる。
「あ? なんでだよ。なんであたしがあんなやつに負けて考え変えなきゃいけねーんだ。暇そうだしちょっと動画に使えるネタでもパクれるかなーって決めた部活だけど、絶対ここに居座ってやるからな!」
「なんでそんな意地になるかね」
「あんたは悔しくないんか? あたしは嫌だね。誰かになんか言われてあっち行けこっち行けって、そんなの」
「そう言ったって、権力握ってるのは生徒会だし、三週間じゃどうにもならんだろ」
エコは呆れたような顔をする。
「なんでだよ。あたしとあんたがいるってことは、ぱふぇ子がいるってことだ」
笑顔で恐怖を覚えさせるのはやめてもらえませんかね。
そんなことで信じられるものをどんどん失くし汚れていくことで大人になっていきたくないんで。
「ぱふぇ子の見た目とぱふぇ子の声がここにいるんだ。なんだってできるだろ」
俺も抵抗に加わることになっているのはともかく、聞き逃せないことを言う。
「なんだそれ。俺に顔晒せって?」
「ぱふぇ子としてだよ。たとえば、あんたが喋ったり踊ったりした映像にあたしが声を当てて、それをちょっとダメなふうに加工して、一生懸命作りましたーって出すとか」
「んなん上手くいくわけねーし、どっちにしろ映像じゃダメだ。ここは電子工作部だから、電子部品を使いつつ実物の工作じゃないと。そんなの出してもプログラミング部に合流しろって言われるだけだろうな」
「じゃあわからんけど、なんかあるはずだ。三週間もあるなら絶対なにかできるはず。ビビるくらいのもんブッ作って、絶対あいつの鼻あかしてやるからな!」
ついていけない楽観を披露する。
俺はこの頭のおかしな女に最低でもあと三週間つき合わなくてはならないらしい。
しかも上手くいってもいかなくても、どちらにしろ一人でくつろげる部室は失うわけだ。
引きこもりにでもなろうかな、もういっそ。
挫けちゃうよ俺こいつと違ってまともな精神でネガティブシンキンだから。
火曜日。
また一日、マスクに隠れて授業を過ごしきった。
安堵とともに部室に向かう俺をエコが引っぱる。
「違う。こっちこい。もう二時だからこっちこい」
「なんだよ二時って」
「指定したんだよ二時に」
エコは俺を連れて校門まで行く。
ぞろぞろ帰っていく生徒に混じってどこかの店にでも行くのかと思ったが、校門のちょっと外側で立ちどまってスマホをかけだした。
「どうも、頼んでた中野ですけど、いまどこですか? 校門のとこ? あ、車? いた。じゃあお願いします」
こいつの舌も敬語の動きすることあるんだな。
視線のさきの道路に軽トラが停まっていた。荷台のよこにはホームセンターのロゴが描いてある。
降りてきた運転手が、荷台から身の丈を超える長さでやっと抱えられるくらいの太さのボール紙に包まれた円筒を運んでくる。
「はいどうもー。ありがとうございまーす。ハンコここですか。はーいありがとうございましたー」
そして荷物を俺によこしてくる。
「おっも。そういう役目だと思ったけどさ。一人じゃ持てねぇよ。手伝えよ。手伝えっていうか俺が手伝ってるんだけどな。メインおまえであるはずだけどな」
二人して茶色い円筒形を脇に抱え、なんとか昇降口まで運んでいく。
「なにやってんの二人で。城攻め?」
野球部のユニを着た近藤に声をかけられる。
黒いベルトで裾を引き絞ると、長身がさらにすらっとして見えた。
「破城槌じゃねぇよ」
冗談の通じた俺にケタケタ笑う近藤を無視し、エコは進もうとする。
「中野さんもその部入ったんだ。電気工作部だっけ」
「あぁ」
エコは「電子だ」と訂正もせずに答える。
近藤は明るいしエコは暗いしで二重に愉快だ。
「手伝いたいけど、ごめんね。遅れると先輩怖いから」
手を振って行ってしまう。エコは一瞥もくれずどんどん進んでいく。
「人当たりを恵んでくださるタイプの運動部か」
「そういう言いかたするなよ。知ってるだろ、あいつぱふぇ子の大ファンだぞ」
「あーありがてーてーな。おかげで金が入ってこういうモンも買えるってわけだ」
こいついつか録音してネットにリークしてやるからな。
部室に運びこむと、エコはさっそく包装を破きはじめた。
クリスマスプレゼント貰った外国の子供もかくやってビリビリぐあいだ。
日本人ならセロテープから綺麗に剥がしてなんかに使えるように畳んでおかんかい。そんで結局使わずに資源ゴミに出さんかい。
「立って立って。目ぇつぶって。いいからいいから」
俺を扉のまえのちょっと開けた場所に立たせ目を瞑らせる。
「なにサプライズの空気出してんだよ。嫌な予感しかしねぇぞ」
抗議しながら素直にまぶたを閉じる俺もどうかと思うが。エコはなにやら俺の周囲をぐるぐる回り、がさごそやっている。
「じゃーん。もういいよ」
はしゃぐ声がくぐもって聞こえた。
「なんだこれ」
部室が歪んで見える。透明のなにかに俺は丸く囲まれていた。
「これはホムセンで売ってる切り売りの厚手のビニールシートだ。テーブルクロスとかに使う。高さは百八十。かける長さ四メーター買った。直径かける円周率だから、四メーターを丸めると幅が百二十なんぼくらいになるだろ? 手を広げた幅が身長と同じだとすると、なんとか動けるサイズになる。四万くらいした」
結構な額ポンと出してんじゃねぇよ。どんだけ儲けてんだ。
「丸める? 動く? いったいこれを、どうすんだ?」
「これを円筒形に固定してだな、照明とか配置してだな、立体ディスプレイですっつって出すんだよ。ホログラムとかなんとかいって。ほら最近どっかのメーカーがホログラムのすっごいの発売したってニュースになってたじゃん」
「はあ?」
「そんであんたがなかで、ぱふぇ子のふりして口パクしたり踊ったりして、それにあわせてあたしが喋ったり歌ったりすんの。そんでプログラムも自分で作りましたーって、音声も合成でなんでも喋らせられまーすって」
「そんなん上手くいくわけねーだろ。高校生にそんな先端技術あるわけねーし、どう見たって本物の人間と映像なんて違いわかるし、しかもそれを三週間で作るって」
「よく聞け。あんたは天才だ」
「だったらいいな」
「誰だってそういう願望はあるし、そういう願望を体現してくれるやつが現れるのを待ってる。じつはあんたはアメリカ帰りで飛び級で大学卒業しててーとか設定盛ればいいんだよ。そんで時々英語で独り言言って、ゴメン英語出てたわーとか謝ったりしろ」
それ本物でもただのイタいやつじゃん。
「このシートもそのままじゃなくて紙ヤスリかなんかで擦って全体的にちょっと曇らせる。わざと画質を落とすわけよ。ぱふぇ子はクソ時間かけてレンダリングしてありえないくらい現実味を追求してる。んで現実のほうはわざとチープにする。そうすると、中間でバッチシぶつかるだろ?」
のんきな理論だ。
「発表会は体育館の壇上で、照明は頼めば落としてもらえて、客は全員ちょっと離れた場所に座ってんだろ? ほかの映像ならともかく、ぱふぇ子って存在が先入観としてある以上、絶対バレっこないって」
屈折した膜のむこうで、エコの言葉は真っ直ぐだった。
「そんなもんを見せられたらあの生徒会長も認めざるをえねーし、なにより周りが盛りあげちゃって潰すわけにはいかなくなるだろ。誰か動画撮るだろうしさー、それをアップしちゃってさー、たちまちバズるって。ぱふぇ子ファンの天才高校生、凄いものを発明する、みたいな。天才がいる部を潰そうとする杓子定規生徒会って炎上もするかも」
また見るものに恐怖を与えるあの笑顔を浮かべる。
「まさか、最初からそれが目的じゃねぇだろうな。ぱふぇ子をもう一段ハネさせるために俺を使おうってんじゃ」
「そーんなわけ、ねぇ?」
口調か内容かどっちかくらい嘘貫けよ。
「なんで俺がそんなことに協力しなきゃならねぇんだ。顔バレのリスク負ってまで」
「やらなきゃその顔のこと、明日にでもバラすぞ」
片手で継ぎ目を押さえ、俺を円筒に閉じこめながら言う。
「てめ、じゃあおまえがぱふぇ子だってことも言いふらしてやるからな」
「一目瞭然のあんたと違って、こっちにはなんの証拠もないしー。声なんて、自由に、変えられますし」
かすれ声、少年声、お嬢様声と区切って演じわける。こんな真似までできるのか。
「てかさー、なに協力するしないって。そもそもあんたの部だろ。悪いほうにばっか考えんなよ。上手くいきゃあんたとぱふぇ子の関係もバレないし、部は存続できるし、会長には一泡吹かせられるじゃん」
俺は蛍光灯の光を波立たせる膜を眺める。
エコはサンドペーパーで削ると言ったが、それよりも普通のガラスを曇りガラスにするスプレーを使ったほうがいいだろう。距離を取ってスプレーし均一に薄く曇らせればVチューバーやボーカロイドのライブっぽく見えるかもしれない。照明は円く上下に配置して、徹底的に影を消して白飛びさせるようにして……。
「上手くいきっこない」
エコは両手でシートの切れ目を広げる。
「これを作る以外にもCG風の表情や踊りの練習もして、バレないように運びこんでなんて、三週間じゃ到底無理だ」
「じゃあなんであんたはここにいるんだ」
視界のなか、彼女だけが歪みのない空間にいた。
真上から降った蛍光灯の白い光が、彼女の両手で柔らかく折られた膜に沿って広がる。
その姿に、俺はエコと正反対のものを見てしまった。
悪魔のようなこいつの本性と真逆のものを。
「あたしはいなかったけど、入学当初でもう、この部が潰れかけだって言われてたんだろ。なのにあんたはこの部に入った。なんかできると思ったんだろ。一ヶ月で、自分ひとりで」
エコの背後にはPCに繋がった金属の腕があった。
「思ったよ。なんか、なんとかできるって。電子工作は好きだし。でも入ってみたら、備品は古いしプログラムはわけわかんねぇし、それ以外の素材もあらかた壊れてるし、買いなおそうにも部費が貰えるのは発表会で生きのこったあとだって言われるし。そもそも俺の知識も凝ったものを一から作るには全然足りなくて」
なんで俺はこいつにつぎからつぎへと弱みを見せているんだろう。
「だからって、こんなことしてどうなるんだよ。そんな嘘っぱちで部を存続させて、技術もないのにあるふりして」
「ふりでもいいだろあとから身につければ。一人で一ヶ月でやるつもりだったなら、二人で三週間はお釣りがくる。やればいいじゃん。金も使っちゃったし。嘘吐いてでも続けさせて、予算もらって勉強して、それからやりたいことやればいいじゃん」
丸めこまれてやるのに十分な、いいセリフだった。
前向きで、青春的で、破滅的でもある。
だから、丸めこまれてやろうじゃないか。
決して俺の内心が傾いたわけじゃない。俺は脅されてやるだけで、途中で諦めて投げだす権利は保持しておくし、いつもどこか不満顔でやってやるからな。
「わかったよ。協力すれば秘密は守るんだな?」
「それはもう、成田家の墓まで持っていこう」
誰だよ。知らんやつの墓に埋めるなよ。
「じゃあさっそくいまから走りにいくぞ。運動部に混じってそこらへん」
「あ? なんで」
「曲一曲踊るのにどれだけ体力いると思ってんだよ。あたしもダンス撮るのにかなり走りこんだんだからな。どうせ運動なんかしてないんだろ。ほらいくぞ。さっさと着替え取ってくるぞ。最低でもあたしについてこれるくらいに体力つけないと壇上でぶっ倒れるからな」