二 友達
二回戦のもう一試合が終わると、決勝のまえに昼休憩が挟まれることになった。
イベント会場の外枠の軽食スペースに向かう。イートインっぽい店やキオスクに似た店が壁に沿い、そのまえにテーブルが並んでいる。そのうち二つに吉瀬と土塁、そして怪人の幾人かが固まっていた。堂々と、和気あいあいと。会釈だけして脇を通る。
近所のスーパーのイートインとほぼ同じ内容のメニューを見上げて、それからあたりを検める。持ち運べるものにして、物陰ででも食べようかと考えていると、窓際の長椅子にうなだれる姿を見つけた。
「食わねえの?」
エコが上半身ごとひねるようにして俺を見上げる。
「寝不足でそんな元気ねーよ」
「そう」
俺はとなりに腰掛け、ガラスに背をあずけた。自分もすこし目をつぶってみる。一面のガラスを通る陽光が身体全体を包み、宙に浮くような感覚に落ちかける。
脳を震わす声がして、眠気から覚まされる。
「なーいいじゃん、かわってよ!」
「駄目だって!」
ルゥチと、同じくらいの背丈の男の子が言葉をぶっつけあいながら通っていく。
「おまえはもう、二回もリーダーやったじゃん!」
「イベントなんだから、勝手にかえられないの! 発売したらいくらでもできるじゃん!」
「じゃあおまえ、発売したら俺の手下になれよ! それであいこだからな!」
「うー、分かったよ!」
エコが丸めていた背を裏返すように反らせ、ガラスに後頭部をぶつけた。
「うるせー」
「小豆畑ー、なに食べる? あれ、あれ? 中野さん?」
近藤が店先を眺めながら近づいてきて、俺のとなりにそろって座るマスクの顔を見下ろす。
「え? なんで? 中野さんも誰かのファンで隊員とか?」
「いや、ただこういうゲームが好きだから、見にきた」
「そうなんだ」
近藤は椅子の俺側に座ってから、前傾してエコを見る。
「こういうゲームけっこうするの?」
「まあねー。ゲームが趣味みたいなとこあるからー」
「そうなんだー」
こいつ疲れて適当答えてるな。近藤は背を戻し、俺を向く。
「で、なに食べる?」
「いや、マスク外せねえから。さすがにここで外したら、大騒動になるから」
「あ、そっか」
「あとでなんかこっそり食べるよ」
「大変だ。あ、そうだ」
近藤は機敏に立ちあがると駆けていき、しばらくしてなにかを手に戻ってきた。赤と黒、二本の油性ペンだった。
「顔貸して」
言われるままに座りなおし、近藤を向く。近藤は歯を並べて笑顔になりながら、俺のマスクにペンをなぞらせていく。
「できた」
俺は近くの鏡張りの柱を見る。白いマスクに、スイカのように開けた口が描かれていた。
「ゲームの小豆畑、ずっと無表情だからさ。笑ってたほうがチームプレイにはいいかなって。それでちゃんと認識するかなあ」
「さあ。ま、ありがとよ」
「鼻毛も描こうぜ。ヒゲも」
エコが俺の頬を突っつく。
「なんでだよ。マスクのそとに描いたら落ちねぇだろ」
手を跳ねのける俺を見て近藤はけらけら笑い、受付に返してくるねとペンを持って立つ。数秒に感じるほどの間で舞い戻って、また三人で横に並ぶ。
「決勝戦、勝てるかなあ」
「どうだろうな」
「決勝の相手ってあれでしょ? すっごい有名な」
「詩碑ユウ」
「それ」
反対の山から勝ち上がってきたのは、詩碑ユウ擁するバーチャルユーチューバー事務所、ぱっちのーとだった。あちらもかなりの接戦で、最後はかなりゲームに慣れていたようだった。
「あのさ、中野さん」
「あー?」
「よかったらわたしのかわりに出る? 試合」
エコは近藤に向け片目を開いた。
「なんで?」
「いや、こんなとこまで来るくらいだし、やりたいかなって」
「せっかくぱふぇ子と遊べるんだろ? どした? 実際話して幻滅したか?」
エコの声は軽く薄かった。
「そんなことないけど。たしかにいつもより必死になっちゃってたけど、それも人間らしくてよかったけど。でもぱふぇ子、それだけ必死に、勝ちたいんだなって思って」
近藤は行き交う人々に視線を泳がせる。
「野球ってさ、ルールブックの最初のほうに、勝つことを目的とするって書いてあるんだ」
「へえ?」
「スポーツなんだから当たり前だろって思うかもしれないけど、結構珍しいんだって、そんなことわざわざ書いてあるって。勝利至上主義とか叩かれるけどさ、勝つことに全力を尽くすから面白いってのも、あると思う」
この会場に集まったどれだけの人間が楽しむためで、どれだけの人間が勝つために来ているのだろう。
「だからぱふぇ子が勝ちたいなら、足引っ張りたくないんだ。わたしルールもよくまだ分かってないし、みんなについていくのがいっぱいいっぱいだからさ。ゲーム上手いなら中野さんに入ってもらってさ。どうせ隊員なんて、誰がどれだかチェックなんかされてないし」
顔を笑顔にする。三人のなかで唯一マスクをしていない人間が、素顔を隠していた。
「やめとく。揉めたくないんで」
「そっか」
返答を聞き、笑顔のまま立ちあがる。
「じゃあお昼食べちゃうね。またね、小豆畑」
「おう」
店の列に加わる後ろ姿を眺めながら、俺はゆっくりとまばたきをする。
「いいのか?」
俺の声に、となりの気配は動かなかった。
「なにがだよ。かわれるわけねーだろ。だれがぱふぇ子をやるんだよ」
「そうじゃなくて。分かってるだろ」
いつのまにか、怪人たちはテーブルから消えていた。エコは膝のあいだで拳を手のひらに叩きつける。
「あと一つ勝てば優勝なんだ。詩碑ユウに勝って優勝だぞ。そしたら、あたしが主役だ。今日一日でも、あの詩碑ユウを、上回れるんだ」
視線は遠くのなにかに狙いを定める。眉間のしわが深くなる。
「ぱふぇ子のファンなら、あたしが勝ったほうが嬉しいに決まってるだろ」
反動をつけて身を起こすと、どこかに歩いていってしまう。本当に戦いと戦いの合間のような、重く頼りない足取りだった。
そんなエコとすれ違いに、スーツの男が二人歩いてくる。その片方は、先日俺たちに案件の説明をしたあのゲーム会社の社員だった。
「ネットの同時接続、すごいことになってますよ! ほんとのeスポーツの大会並、いや、もうそれ超えるくらい視聴者来てます!」
「だから言っただろ。これは当たるって」
背中のガラスが急に頼りなくなった。俺のなかで、会ったこともない教育ママさんが叫んでいた。
「ゲームなんかくだらない! ゲームなんかくだらない! ゲームなんかくだらない!」
決勝のために三度、隊員部屋に誘導され、もはや見慣れた島に座る。
ヘッドホンをつけると、すでに誰かの会話がそこに流れていた。
「ダスリーもっと声真似で騙そうよ。あれいけるって。騙すまでいかなくても、一瞬迷うって」
「あなたもやってみてくださいよ。こっそり詩碑ユウの真似とか練習してんじゃないですか?」
「はあ? なんの根拠が、風評被害やめてよ」
会話の途中でマイク越しの気配に気づいたのか、エコと久住先輩は明るさを消し、明るい雰囲気を作る。
「いよいよ決勝ですね! 最後までよろしく!」
「よろしく。ダスリーさんと仲良くなったんだね」
「あ、うん。あれから結構話してねー。はは」
近藤の言葉にぱふぇ子はすこしだけ他意を込めた。昨日から今日まで、配信に乗らないあいだにいろいろあったことを匂わせる。裏側を見せて特別感を与える、あいつなりのサービス精神かもしれない。
「すごいな、ぱふぇ子ちゃんは。いろんな人とちゃんと話せて」
「コンさんだって明るくて誰とでも仲良くできそうなタイプでしょ。話してて思うよ」
「そう、なのかな。さっきも仲良くなりたい子に、ふられちゃったけど」
俺は選べもしないリーダーの説明を意味もなくめくっていく。
「えーどういうこと? ここで?」
「うん、クラスの子と会って。ほんとたまたまなんだけど」
「男子?」
「ううん。女の子」
「へえ。でもすっごい偶然」
「だよね」
「で、えーすごーいみたいに言ったのに、むこうは、あぁうんみたいなかんじだったとか?」
「うん、まあ」
ぱふぇ子の弾ませた言葉に、近藤は手を握っていたコントローラーから離し、指を組んだ。
「普段あんまり話さない、というか、そもそもおしゃべりじゃない子?」
「そんなこともないと、思うんだけど。わたしとはまだ用があるときにしか喋らないかな」
「へえ。その子と仲良くなりたいんだ?」
ぱふぇ子は用意されたセリフのようにすらすらと話す。なにげない口調で。だがなにげないにしては、淀みがなさすぎる早さで。
「うん。わたしの友達とは友達なんだけど、その友達がその子と話すようになってから、すっごく明るくなって」
俺を友達と呼んでくれてありがとう。そいつを俺の友達と呼ぶことには抵抗があるが。
「物静かなタイプなんだけど、ときどきボソっと言うことが、面白いんだ。馬鹿なことやって、はしゃぎすぎたなってときも、その子がなんか言うと、なんかそれで許される気がする」
それは近藤というより中田が感謝すべきことかな。
「あっちはわたしのことなんとも思ってないかもしれないけど」
盗み見た近藤の顔は、はにかんで笑っていた。
「友達になりたいんだ」
その笑顔はきっと、回線で隔たっていても届くだろう。
遠くで実況が叫ぶ声がする。ゲーム開始に向け、三十秒まえからカウントが進み始める。
ぱふぇ子と近藤のキャラクターの衣装が、突如として入れ替わった。
「え? なにこれ、え?」
「じゃじゃーん! 最後だし、コンさん、リーダーやっちゃおうよ!」
「そんな、無理だよ! わたし下手で……」
「ついていくのが大変でも、リーダーなら大丈夫。だってみんな、リーダーについていくんだからさ!」
「そう、かな」
「そうだよ!」
アバターの表情を見なくても、俺はエコがどんな顔をしているのか見えた。
「せっかく一緒に遊ぶんだもん。勝ち負けなんかいいから、楽しもうよ!」
「うん……うん!」
ヘッドホンのそとで実況と解説が困惑の声をあげている。その混乱をあざ笑うかのように、また一組、格好を交換する。
「ぱふぇ子ちゃんがそうするなら、ほら、やりたいんでしょ?」
「おおお! やったあ!」
ルゥチと彼女のクラスメートもリーダーを交代する。どこかで幼い声が狂喜する。
「じゃあ、わたしも。どうぞ」
「いいんですか?」
「正直、肩の荷がおりますよ」
ダスリーもリーダーから退く。
「しょうがないなー。土塁くんでいっか」
「オッケーまかせろ」
吉瀬はいつものように土塁に絡む。
「じゃ、ワタクシも楽をさせてもらいますか」
「あ、はい」
鶴子も抜けて、リーダーが全員入れ替わる。実況と解説の叫びはいよいよ悲痛なものになる。
「いいんですか? これは!」
「ははあ、まあ、三戦目になって、隊員側のプレイもしたくなったのかな? 隊員側も楽しいゲームですから、ちょうどいい、紹介してもらいましょう! と、いうことで……」
イベントの趣旨もゲーム会社の狙いもぶち破って、様相を変えたチームで試合が開始される。
戦力は下がったとも上がったとも言えなかった。プロがリーダーに据えられた元ダスリーの隊はもちろんとてつもない働きをするようになったが、近藤を囲いながらガヤガヤと遊ぶ俺たち元ぱふぇ子隊は、貢献しているとは言い難かった。もっともほかの隊も、それまでの実直に勝利を目指すプレイングをやめ、思いついたことをなんでも試しているようだったが。
戦況はかんばしくなかった。ただ聞こえてくる会話の量は、前の二試合に比べて格段に多かった。
そして俺たちは五十分にわたる大激闘のすえ、見事に敗れたのだった。