二 いつのまにか
「じゃあおやすみなさーい」
配信でも聞こえるよう大声で口にし、それぞれの寝床に入る。
るー子と吉瀬とダスリーが鶴子の部屋のなか、つー子とルゥチとエコと俺がマンション本来の寝室で。
元の部屋で寝る三人は横になりながらしばらく雑談をするが、子どもはさっさと寝るからそれに加わらないという設定で。
律儀に一室で雑魚寝することにならなくて、そして吉瀬と同じ部屋でなくてよかったと安堵する。
彼女の寝間着はかなり小さなシャツとかなり短いショートパンツで、あれが同じ空間にいると考えるだけで俺の睡眠に支障をきたしそうだった。
あいつは俺が男だと分かっているのに、なぜあんな格好を選ぶのか。
「ぱふぇ子ちゃん、一緒に寝よー」
ルゥチが枕を手に寄ってくる。
「あーあの。わたし寝相がすごく悪いから」
「そうなの?」
「そうそう。すぐ蹴っちゃうから、ちょっと離れておこうね」
ルゥチは「じゃあ隣でお話ししようね」と言っていたが、簡易マットレスに横になるとすぐに寝息を立てはじめた。
つー子はまだ制御室にいる。
俺はというと神経の昂ぶりが治まらないのか、エコが用意したパジャマが妙にちくちくする気がしてなかなか寝つけなかった。
何度か寝返りを打っていると、となりでエコが首を巡らせた。
「寝つけねーのか?」
「ああ」
「じゃあ、あたしが編集した快眠音声使うか?」
「どんなの?」
「川の音と森の音と雨の音と鳥の声と焚き火とクラシックとジャズと漫才を重ねたやつ」
「おまえそれ、自分で使ったことある?」
「ないよ。でもせっかく作ったから」
「なんで作ったんだよ」
「あたしだって眠れない夜くらいある」
むしろ居眠り防止に使うやつだろ。
「あとあんた、横向いて寝ろよ」
「なんで?」
「朝、男だってバレるだろ。膨らみで」
そんな豪快な。
「それよりカツラがずれないかのが心配なんだけど」
なんとか気持ちが落ちついてからも俺は、自分が浅い眠りにいるのか深い思案にいるのか分からないような状態だった。
何分、何十分経ったか定かではないころ、どこかでつー子が部屋に入ってきて自分の寝床に横になった気がする。
やっとうとうとし始めたころ、俺は尿意が貯まっているのに気づいてしまった。このままでは十数分後にはまた目が冴えてしまうだろう。しぶしぶ寝床から這いでて、忍び足で廊下に出る。
廊下は明かりが点いたままだった。まばゆい光に顔をしかめながら進むと、なにかにつまづきかけた。目をこすってよく見る。
「あの」
おれは廊下の壁に背をあずけ、体育座りをしている久住先輩に声をかける。
「なにやってるんですか、こんなところで」
「落ちこんでる」
「廊下で?」
「トイレを占領して泣いたら、誰かが困るでしょ。ほら、行きなよ」
先輩は顎をしゃくってバスルームを示す。
「行けませんよ」
俺は先輩の隣に同じように座って、膝を抱えこむ仕草まで真似した。
「なんだよ」
「俺にも責任は、あるんで。ほら、俺もぱふぇ子だし」
鼻をすする音をさせて、髪のかたまりが膝へと沈んだ。
「落ちこんでるところを優しくして籠絡するつもりですか」
「いや、そんなことないですけど」
「そうか、口説くならべつのにするか。わたしなんかは狙わないか」
「そんなことも、ないですけど」
久住先輩は不美人ではない。とにかく暗くて野暮ったいだけで。その先輩が、いまその暗さをさらに掘り下げて、廊下に落ちた影のように床に溜まっている。
「はしゃぎすぎた」
そう漏らす。
「心を許しすぎた。中野さんと、仲間だと思って、こんなとこまでのこのこやってきて。おだてられて、いい気になって」
「エコはともかく、みんなは認めてますよ。あなたのこと」
「君は? 君はどういうつもりで参加してるんだよ。こんな女だらけの集まりに」
「自制心で。正直に言うと、俺はゲームがしたいだけなんですよ。ライバーの出世とか、どうでもいいんです」
膝の山から眼が覗く。
「エコのやつはそれに賭けてんですけど。あいつも学校との二重生活だったのが、このチームを集めるために動き回って三重、とまではいかないまでも二重半くらいの生活にはなってて」
暗がりにある瞳がまばたきにしぱしぱ消えたりする。
「普段ならあんなミスはしないんですよ。会う人間の予習を怠るんて。俺が言うのもなんだけど、手抜かりのないヤツなんで」
深い息が吐かれて、また首が回転して膝に埋まる。
「私も、ダスリーの出世なんか、どうでもいいんです」
それはさすがにもったいないと、俺は思う。
「あの子に言われたように、本当は演劇部に演者として参加するべきなんでしょうね、正直に。でもわたしは、子供のころから、自分の気持ちが言えない子だったから、いつも一人でお人形遊びをしていて」
先輩の声は不思議だった。たしかに低く暗いのに、決して聞き逃さない。気持ちを口にするのが苦手と言いながらその声が自分の秘密を打ち明けてくれる理由は、俺には心当たりがあった。
深く落ち込んで、気持ちがバラバラになると、ちょっと外に出しやすくなるのだ。
「それの延長なんだね、ダスリーは。ところが逃避で始めたあれが妙にウケてしまって、それでもいいかと思い始めて。もうそっちに専念しようか、私が演劇部を辞めてもべつに部はなんとかなるとか思ってて」
顔を上げて、虚空を見る。
「なまじネットで評価されてしまったばっかりに、生身の自分が好かれなかったときが、怖いんです。いまわたしが一番怖いことは、演劇部のみんなに自分がダスリーだとバレること。ダスリーがビッグになればなるほど、取り返しがつかなくなる。できるのにできないふりをしていた嫌味なやつであると同時に、どうしようもなく臆病なこころも見透かされた、最低の人間になってしまう。真実を知られて、人間関係が維持できる気がしない」
なんだかこんな話を国語でやったな。自尊心と羞恥心。ちょっと違うか。昔は人に交わらなければおおよそ大成しなかったが、現代では交わらないまま成功してしまう人間が結構いる。虎にならず∨として成功しても、満たされない部分があるらしい。
「ダスリーは、つまんないですか?」
「好きだけど。楽しいけど」
「このまえの発表会で、俺がぱふぇ子のふりをやりとげられたのは、楽しかったからです。みんな俺だと思って見てたわけじゃないし、ぱふぇ子の衣装を着て踊るのだって本当の俺じゃないけど。でも」
俺は久住先輩を見た。きっと先輩も俺を見てくれると信じて。
そして本当に、先輩は頭を傾け俺を見てくれていた。
「自分が使えるものはなんでも、自分の領分だと思ったんです。嘘でも真実でも。それって、エコのやつから教えられたんですよ。あいつはどうしようもない嘘つきだけど、自分のやりたいことには嘘をつかないから。先輩も、卑怯でも嘘つきでもいいと思います。やりたいこと両方やれば。べつに部員さんに迷惑かけてるわけじゃないんだし」
エコの場合はちょっと事情が違うが。最近、教室でエコが取った奇妙な行動を思い出す。エナドリ、牛乳、五百円玉。
友人……候補を食べるわけには、いかないよな。
「でもバレたら?」
「そのときは、なにもかもぶっちゃけましょう」
「だからそれが嫌なの」
「でも、聞いてください。顔晒しの先輩として言いますけど、意外と、こっちが堂々として正直に話すと、相手も同じことしかできなくなるんですよ。そしたらあとには、更地ですよ。更地だったらべつに、悪くないでしょ?」
先輩は再び膝に顔をうずめ、膝のうえで肘を曲げて、三角形を四つ作りながらあえいだ。
「それってアドバイスなの?」
「楼閣が倒れた砂漠がちゃんとした地面になるなら、またなんか建てられるんじゃないですか?」
まだ近藤とチャットもできてない俺が言ってしまうが。
「人間関係の維持じゃなくて、更地か」
先輩は顎を手に乗せ悩みはじめた。俺は立ち上がり、バスルームへ入る。出ると、そこには先輩はいなかった。寝室に戻り、ゆっくりと寝床に入る。
となりでエコの気配がした。寝返りをうったわけでもない。ただ止めていた息を戻したような、そんな深い落ち着きが聞こえた気がした。
浅い眠りに朝の気配を感じ、俺は目を開けた。カツラを押さえ、身だしなみを確認して横を向く。
空の寝床がそこにあった。
起き出して部屋を出ると、制御室の戸口から光が漏れていた。
「なにやってんだ?」
なかを覗くと、エコは鶴子の椅子に座ってうえで胡座をかき、ヘッドホンを頭に一枚のモニターを見ていた。
俺に気づいていないらしい。
ぼろぼろの服を着た少年の3Dモデルが、窓ガラスに石を投げて割る。
画面が暗転し制作者が、一名だけ表示される。
大きくあくびをしてヘッドホンを外し、伸びの最中にこちらに気づいて椅子を軋ませる。
「うわっ。なんだよ」
「もう朝」
「あ? あー、そか。じゃあ着替えて準備しないとな。映画四本はさすがになげーわ」
エコが立ち上がるのを見て戸口からずれようとし、今度は俺が飛び上がった。
「うわっ」
ぼさっとした髪をさらに爆発させた久住先輩が、俺の背後に立ってエコを見ていた。
「おはようございます」
はれぼったい目をしたエコが当たり前のような挨拶をする。
ダスリーのこれまで公開された映画は短編が二本に長編が二本。合わせると再生時間は三時間以上にはなるはずだ。
「義理は果たしたってところですか?」
先輩は静かに告げる。
「訊かれたことに答えられないのは癪なもんでね。あいつが窓を割ったのは、懐古心みたいなもんだろ。平和になった社会にも居場所がなかったから」
さらりと分析する。俺も同じ答えだが、導きだせたのは観てしばらくして寝ようとしたベッドのなかだったのに。
エコの言葉に膨らんだ髪のしたの目は揺れなかった。
「で、全体の感想は?」
エコは数秒思案した。思案の最後に吐きだされた息は、夜中に寝床に帰ったときに聞いたものと同じな気がした。
「二番目の短編はまあまあだけど、ほかは駄目。最初の短編はあきらかな練習だから除外。二番目は自分がやりたいことと他人の目線がちゃんとバランス取れてる。長編はどっちもストーリーがガバガバすぎ」
久住先輩の顔に血の色が刺す。
「とくに一番あたらしいあれは途中でひっくり返しすぎでしょ」
「あれは逆転がテーマなんだからあれで合ってるんです!」
「そこが無駄にながくない? モンタージュみたいにパッと済ませればいいじゃん」
「それじゃ主人公がどう間違ったか示せないでしょ!」
「そうかなー」
「だいたいあなたが作詞したって歌詞だってふわっふわしたもんでしょ」
「それは関係ないだろ!」
「最近の動画は手抜きが目立つし、ちょっとキャラ崩すのが急すぎるんじゃないですか? 軟着陸ってもんを考えなさいよ」
「アバターなしアカウントに言われたくないんだよ!」
声を張ったやりとりに、ほかの人間もわらわらと起き出してくる。観客が周りに集まっても、二人は構わずやりあっていた。
「なにやってんの? これ」
るー子が俺に顔を寄せる。
「整地です」
「ふーん?」
「なんかガキっぽくて、男子の喧嘩みたい」
ルゥチがバスルームに通り抜けながら呟く。
もうここにはぱふぇ子もダスリーもいなかった。久住先輩は部について語るときに見せた熱っぽさをまとい、エコの遠慮のない批判は俺に相対するときのようだった。
「そのへんにしとけ、高校生。仕事の時間だぞ」
つー子が手を叩いて促す。
それでも二人は着替えたり歯を磨いたりしているあいだ、絡み合って離れなかった。
七人で電車を乗りつぎ移動して、着いた駅で朝食を摂る。
終始眠そうなエコを久住先輩が手を引いて誘導し、シャトルバスに乗りこむ。会場は海近くのイベントホールだった。
「じゃあ俺はこっちで」
関係者入り口に向かう六人に手を振り、一般入り口から入って参加者の受付へ。
お忙しい関係者様に合わせて来たせいか、会場はまだそれほど人で埋まっていなかった。
「あれっ?」
聞き慣れた声がして顔を指される。
「いや、すいません。人違いです」
「人違いじゃねーよ、近藤」
やっぱり普段から顔を合わせていると見破られるか。
長身に、女子のいうところの清潔感をまとわせた私服の近藤は、俺の頭と服装とで顔を上下させ、目をしばたかせた。
「え? マジで小豆畑? なにやってんの? てかなに、触れていいの? その趣味、格好」
息を発して言葉を制し、耳打ちする。
六人と別れてから男の服に戻す暇などなかったが、言い訳を考える隙間はあった。
「親父のコネ。新作ゲームやりたいからぱふぇ子さんに混ぜてもらったの」
「あー。でもなんでそんな」
「抽選で選んだ四人がたまたま男三人で女がおまえだけだったんだと。単純に確率の問題なんだけど、ぱふぇ子のイメージ的に悪いだろ? あんまり男のファンばっかだと」
「それで女装?」
「こっちも無理を言った手前、断れなくてな」
近藤は一応納得したのか、顔を離して片手を腰にやる。
「でも、コネとかなんかずるいなあ」
自分も同じ立場なことも知らず、俺にちょっと責めるような目を向けた。