二 今日からあなたの友達になります
昼休みのなかば、みなが弁当を食べおえ、めいめい席を立ったりおしゃべりに集中し始めるころ、教室に悲鳴が響き渡った。
耳鳴りのようなその声が消えたあとは、教室を静寂が支配する。
空間の全員が一点を向く。
「な、んだよいきなりデカい声だして。飲み物こぼしたじゃねぇか」
こぼしたオレンジジュースを踏みつけて散らす中田と俺はそろってその声の主、近藤を見上げる。
近藤はスマホを手に立って、放心したように画面を見つめていた。
その反応に既視感を覚え、俺は悲鳴の直前に近藤が息を吸いこむ音と、さらにその直前にそそくさと席を立ち教室から出ていったエコのことを思い出した。
「当たった」
「なにが? 宝くじ?」
「ぱふぇ子のゲームイベント」
近藤は画面を俺たちに交互に見せ、それからやっと席に座った。周囲は事情を把握しないながら笑みを向け、日常に戻る。
ここらへんは人徳だな。
「なにそれ」
「このまえ言ってたじゃん。新作ゲームの体験会で、ファンと一緒にチーム組んで戦うって」
「あー、あれか。何人選ばれるんだっけ?」
「五人」
本当は俺が内定しているから四人だが。
「全ファンから五人? マジで宝くじレベルじゃん。そんなもんに運使うなよ。宝くじ当てろよ」
「うるさい。うわーどうしよう。当たらないと思って応募しちゃった。ゲームなんかしないのに」
「おまえゲーム下手すぎるからな。足引っ張って舌打ちされてもしらねーぞ」
「ぱふぇ子はそんなことしないから。でもチームで遊ぶゲームってことは、少人数で、もしかしたら一対一で話しちゃったりするのかな。どうしよう。ねぇなに話せばいいと思う? 野球やってるって言って引かれないかな?」
「合コンじゃねぇんだよ。ボイチャってゲームの作戦とかだろ」
近藤は目に見えて浮かれ、悩むふりをしながらいつまでも笑みを顔に貼りつけていた。
「そんでそれ、いつやんの?」
「今週の土曜」
「急な話すぎるだろ。土曜って練習あんじゃねーの」
「わたしその日インフルになるから」
お大事に。
「他の仲間は、ルゥチちゃん! と鶴子と吉瀬ドール、とダスリー? なんか知らない、あんまコラボとかしたことない相手ばっかりだなあ。ぱふぇ子、ちゃんととけこめるかなあ? ギクシャクしてたらやだなあ」
そりゃ悪巧みのために繋いだ人脈だからな。
寄せ集めのメンバーでいきなりチームを組んだりして、ファンが心配して楽しめないかもしれないことを計算していなかったのか?
あいつらしくない。
「あ、でも前の日からメンツで集まってゲームの練習兼お泊り会するんだって! 人数が多すぎるから音声だけだけど配信もするって! うわーお泊り配信かー。楽しみすぎる。またぱふぇ子が料理したりすんのかな」
と思ったら手抜かりはなかったようだ。俺への連絡は手抜かっているが。
「ま、いかにも案件のために集められたって臭いを消すためのもんだな。仲良く女子会、お泊り会」
電車のシートの横で、エコが触れ合う肩から説明する。
「鶴子の部屋で音声だけ配信に乗せるって言ったらあいつもすぐ乗ってきたよ。そりゃそれぞれのファンが見にくるんだもん。かなりの人数が期待できるよな」
鶴子の部屋がある駅に向かい、線路は金曜の、やや賑やかな車両を運ぶ。
「ファンってのは基本、心配ばっかしてるからな。仲良いふうでいかないと、当日も戦犯の見つけ合いとかになりかねん。負けるつもりはないが、備えは必要だ」
「なんで近藤選んだの?」
エコは首を自慢げに反らしたまま静止して、つり革を見つめる。
「ゲームが上手いファンを選ぶんじゃなかったのか?」
「だから、それ、それよ! ゲームが上手いやつを選んでいったらやっぱ、いい歳した野郎ばっかになっちゃって。あたしのファン層って、自分と同じ女子高生にうけてるってイメージが大切だからさ。だから確実に女子高生だって分かってる近藤を使ったわけ。そんだけ」
「ふーん」
「あんたも、当日も女装だからな」
「馬鹿か。近藤と同じチームに入るんだろ。女装してるとこ見られてなんて言えばいいんだよ」
「むしろ別人で通す? え、誰ですか? みたいな。同じ学校から二人選ばれるなんて不自然だし」
「無理だろ。そっちは適当にごまかすよ」
俺たちがなんかすると、いつも行きあたりばったりになるな。
先日と同じように鶴子の部屋、を内包したマンションの一室に向かい廊下を進む。
その距離、通りすぎる見知らぬドアたちの一つひとつに生活を想像したとき、俺のなかで不意にいまの状況が現実味を持った。
「なんか急に、辛くなってきた。泊まるってなんだよ。あんな人数の女と一緒に。無理だろ」
知らずしらずのうちに麻痺していた感覚を取り戻す。足元がおぼつかなくなる。
初めは女装して外に出ることも嫌だったのにだんだんと慣れてきて、初対面の人間に女と認識されるのも普通になって、ある人間にはバレてもべつに咎められなくて、そんないままでの成功裏におわった行動の延長だとばかり考えてここまで来てしまった。
泊まるのはまずいだろ。
「あんたがいないとルゥチが納得しねぇんだよ」
「でも」
「大丈夫だって。便座さえ下ろすの忘れなければバレやしないって」
俺は普段から座ってするが。あの犯人もそうしていれば完全犯罪ができたのに。
「ドタキャンってことで抜けたら駄目か?」
「あたしじゃあいつの相手は無理だから。あいつを制御するにはどうしてもおまえでなきゃ駄目だって、分かるだろ。ゲームのために頑張れ! 君の夢まであと少し、こんなところで諦めるな!」
やりがいで搾取される。実入りがあるこいつらに比べて俺には一円も得がないのに。下っ端は辛いな。
「お、やっと来たね」
俺たちを招きいれたのは鶴子の意地悪なほうだった。俺は心のなかで「つる」を分割し、“つ”めたい態度のほうを「つー子」、いじわ“る”なほうを「るー子」と呼ぶことにしていた。
「あ、ぱふぇ子ちゃんだー」
廊下の奥で開かれたドアからルゥチが顔を覗かせる。
「あと歌のおね」
エコが慌てて口を塞ぐ。
「ぱふぇ子は一人なんだから、今日は片方のことは口にしないで、ね」
俺に耳打ちされると、ルゥチはこくこくと頷いた。
「でもちゃんとこっちの部屋にいてね。寂しいから」
考えていた逃げ道を塞がれる。
俺はパーティのなかにいて全員に見えているのに誰も言及しない存在になるのか。叙述トリックかよ。
「よー。きたな高校生」
現在も当然配信中である徹子の部屋に入ると、ソファにくつろぐ吉瀬がグラスを持ち上げた。
「飲んでるの?」
俺が訊きたいことをエコが口にしてくれる。
「まさかー? あたし子ども向けの着せ替え人形だよ? 対象年齢三歳から。君らのまえで飲酒なんて、そんな教育に悪いことするわけないじゃん。これはジュース、ジュースだから」
見えない人間にはどちらが真実なのか想像するしかない。
「あとはダスリーさんだけだねー」
「ああ、今日は演劇ぶ」
今度は俺がエコの口を塞いだ。
「演劇の研究で、ちょっと遅れるって言ってましたー」
「へー。やっぱ普段から勉強してるんだー」
吉瀬が持ってきたという菓子を食べ、つー子が用意していた飲み物を飲む。もちろん俺はマスクを外すことになる。吉瀬とつー子の顔が驚愕に開く。目も口も鼻の穴も。
「いったいなんなの、あんた。ただの付きそいじゃないと思ってたけど、その顔って」
装着させられたイヤホンからるー子の声が怒鳴る。俺はカメラに顔を向けると唇に人差し指をそえた。
もともともう、痴漢だの野次馬だののいない場所では顔を隠さないと決めていたのだ。それにこうしておけば、ぱふぇ子という印象が先行して男だという疑いを抱かせづらくなるに違いない。
ものも食べたいしな。
「あとでゆっくり聞かせてもらうからね」
その声に重なるようにして、片耳にチャイムの音が聞こえた。
「ダスリーさんが来た」
同じイヤホンを付ける面々の、俺とエコ以外のそれに緊張が走る。ああ、こいつらのなかでは久住先輩は、気難しい天才クリエイターだったっけ。先輩がマンションのエントランスからこの部屋まで上がってくるまでのあいだ、つー子と吉瀬はせわしなく菓子の包装を片付けたりしていた。
「こん、にちは」
やがてるー子にドアを開けられて鶴子の部屋に入ってきたダスリーこと久住先輩は、ボリュームだけはある髪を揺らして頭を下げた。
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました、監督」
「や、やめてくださいよ。監督なんて」
「じゃあダスリーさんでいい? いつもどおり」
吉瀬の言葉にも首を振る。
「呼び捨てで、お願いします。せっかく仲良くなるために集まったんだし」
大人二人の顔がほころぶ。実物を見てもダスリーへの評価は変わらないらしい。
先輩は野暮ったい格好をして不健康そうな顔をしているから、高校生には見えないのかもな。
「ねーダスリー。お菓子食べる?」
ルゥチは駆け寄ると先輩に包みをひとつ渡す。
「ありがとう、ええと」
「あたし源ルゥチ! よろしくね! ねぇ、訊いていい? なんで悲しみは鉛のなかで、でルインは最後に窓を割ったの?」
今度は先輩の顔が優しくたわんだ。
「なんでだと思う?」
「わかんない。八つ当たり?」
「いまはそう思っててもいいよ。でも答えはちゃんとあるんだ。できればそれは、自分で気づいてほしいな」
「わかった。また見てみる。ジュースなにがいい?」
久住先輩に飲み物が渡ると、互いに、そして放送に乗せるのために自己紹介が始まった。