二 復讐、それは冷めたほうが美味しい料理
「みなさんこんにちはー。珠稀ぱーふぇく子でーす。おじゃましまーす」
一枚のモニターでエコが手を振ると、隣のモニターでぱふぇ子が同じ動作をする。
自室以外の環境でやるのは初めてだろうに、物怖じしない精神力は見習いたいもんだ。
「ぱふぇ子さんって呼んでよろしいかしら?」
現実の鶴子が気だるげに尋ねる。
ライブ配信に乗っている側では、妙齢の肢体にまとわせたタイトなドレスが揺れる。
大人びた雰囲気ではあるがアニメに出てくるマダムといった見た目の鶴子と現実準拠のぱふぇ子、並んで映るとかなりのミスマッチだった。
「違和感あるな、か。ま、しょうがないね」
俺のとなりにいるもう一人の鶴子が呟く。
彼女が見ているモニターには配信に寄せられた視聴者のコメントだけがひたすらに流れていた。ぱふぇ子がついにやってきたという熱狂が大半だが、たしかに二人の見た目の食い違いを指摘するコメントも見受けられた。
「おおむね予想通り、好評だけどやっとかって感じだから、そこつっついて」
マイクに向かって口にする。モニターの向こうで二人が話しながらわずかに視線を揺らした。俺はエコが付けられたイヤホンを思い出す。話しながらまったくべつの指示を聞くって、なかなかマルチタスクが要求されるな。
「ぱふぇ子さんはデビューは一年、以上まえになるかしら。じつは以前にもお誘いしたんですけどね」
エコの顔に緊張感が走る。コメントに「断られたのか」などと若干ぱふぇ子を責める流れが起こる。
「へへ。すいませんでした。鶴子さんのこと嫌いってわけじゃなかったんだけど、あたしの立ち位置的にどうかなーってのがあって」
座った膝のまえで手のひらを広げて見せる。断言はしないが、いまも二人のあいだにある風味の差、自身が現実の女子高生と自称していることに触れる。
秘密を打ち明ける仲間意識と、開け広げた自分を見せる演出で、コメントはやや好感を取り戻す。
「それにライバーってなにより人脈が大事みたいになってて、あたしはそんなんに頼らずにやるぞって意地張ってた部分もあるんだけど。鶴子さんっていまのその人脈のコアみたいな部分あるじゃないですか」
「そんなことはございませんよ。お上手ですこと」
「いやいや、コア、ハブ、ターミナルでしょ。そこに頼るまえにやることがあるでしょと思って、自分で納得がいく位置に行くまでお断りしていたんですけど」
コメントの流れを見ると、ぱふぇ子の志に感心したといった書き込みが続いていた。エコは傾きかけた流れを完全に呼び戻していた。
「逃げずに受けてなんとなく良いセリフっぽいことでまとめて。上手いこと立ち回るね。あんたの友達」
「それだけが取り柄なんで」
あいつの好感度に俺がやきもきしてやる義理もないんだが。
「なるほど。たしかに動画の方向性も、ご自身でプロデュースした歌も大成功を収めて、自分の設定した目標を一つひとつクリアしていっていると言ったところでございますが、つぎの目標などは」
会話が軌道に乗ったところで、こちらの鶴子がモニタから目を離して俺を見た。
「訊いていい? あなたたちは高校生?」
「そうです」
誰が見ても高校生だろうし、このくらいの情報は教えていいだろう。
「ふうん。じゃあ高校生、もう一つの仕事の情報を見せてよ」
どこか皮肉を込めて言われて、俺はゲームの資料を手渡した。
「顔認証、ホームシステム、ゲームを跨いだコミュニティの持続」
手早く目を通していく。
「たしかに美味しい案件ではあるね。断る理由はないか」
「ありがとうございます」
ぶつぶつ言いながらページをめくる。その手があるページで止まり、ふっと口元に笑みを、嘲笑を浮かべた。
彼女の手元を覗きこむと、それは資料の最終ページで、ゲーマーを見る側からプレイする側に取り戻すと書かれているくだりだった。
「どうしたんですか?」
「いや、べつにいい。こっちには関係ないことだから」
マイクに向き直りボタンを押す。
「良さそうな話だ。受けよう。そっちでも話していいよ」
会話を続けていたモニターの二人、モデルに変換された姿も合わせれば四人が頷く。
「ぱふぇ子さんがやるゲーム配信も、ゲーマーにはない面白さがあって楽しいですよね。ありえない失敗とかしてて」
「あっ、そうだ! ゲームといえば今日絶対誘わなきゃと思ってたのがあるんですよ」
ちょっと強引に話しを切り替える。
「じつはあるゲーム会社が新作ゲームの発表とライバーを集めた大会を企画してて」
エコは大まかに案件の趣旨を、ビジネス臭さを消しながら話す。
「楽しそうねえ」
「でしょー?」
「でもまだあと三組み、ワタクシを入れても二組み足りないの?」
「だから鶴子さんを頼ってるんですよ!」
「あなたさっき人脈なんてクソだとか言ってなかった?」
「言ってないですよー、そこまで」
若干のやりあいを演出しつつ乗ってくれるって流れか。さすが鶴子も上手いな。
「嫌ね」
その言葉に、こちらの鶴子がマイクを引っ掴んだ。
「受けろって言ってるでしょ!」
「ワタクシも意地っ張りなところがあるから、人脈人脈と揶揄されたのに、今度はそれを使われるなんてねー。タダじゃ嫌ねー」
意地悪な笑顔を鶴子にさせながら、彼女は品定めするようにエコを眺める。
「勝手なことするなっていつも言ってるでしょ! 余計な設定とか増やして、こっちが擦りあわせに苦労すんのが分かんないの!」
画面の向こうの鶴子は髪を掻きあげるふりをしながらイヤホンを外す。こちらの鶴子が息を吐きながら椅子を沈めた。
「そんなー。じゃあなんでも言ってくださいよ! あたしにできることならなんでも聞きますから!」
エコが笑顔でそう応える。
下手に出たように見えるが、間違っても相手に負けて素直に従ってるんじゃないな。あえて相手に全権を委ねることで、あまりに無茶を言ったら悪者になる雰囲気を作ったのだろう。
さすが、底意地の悪さじゃ負けないぜ。
「そうねー。あなたのプロフィールには、料理が得意って書いてあるけど、そのわりには料理配信とかしているの見たことないし。なにか料理でも作ってごちそうしてもらえるかしら?」
エコの笑顔の引きつりは、さいわいモデルには反映されなかった。
「料理ですかー? でも材料とか」
「ありあわせでいいのよ。それが一番腕が分かるし」
鶴子は立ち上がりキッチンに向かう。3Dモデルのほうはかなり簡易に表現されているが、現実のほうはまともな設備が整っていた。
「冷蔵庫にあるものはなんでも使っていいから」
そう言われて場所を空けられて、エコは立ち尽くすばかりだった。同じ片親だけど、あいつは毎日コンビニ飯ばっか食ってるもんな。
立ち上がる俺に、こちらの鶴子が目を向ける
「ちょっと行ってきます」
彼女は相変わらず冷たい視線をしていたが、べつに止めもせず、イヤホンを手渡してからモニターに向き直る。
渡されたイヤホンを耳に装着しながら廊下を進み、静かにドアを開ける。二人の視線が一瞬だけ俺を捉える。ゆっくりと足音を殺してキッチンまで辿りつく。
いくら現実の人間が侵入しようと配信には映らない。ここでの俺は透明人間だ。
「みぶりを真似しろ」
マイクに乗らないよう口の動きで伝えると、冷蔵庫を開け中身を確認する。となりでエコが同じように屈んで手を引く動作をする。
部屋のモデルと位置がずれているだろうが、もともとそこまでの精度はないし、誤差として見過ごされるだろう。
食材は、野菜も肉もそれなりに。二人暮らしだと使い切れる量に限りがあるから、なかなか色んな材料を買い揃えられないんだよな。ただその分、スパイスとかソースとかは豊富に貯まってる。ナンプラーもあるのか。じゃああれにするか。
「じゃあちゃちゃっと作っちゃいますねー」
「楽しみだわー」
茶番を聞きつつ下ごしらえに入る。鶏ひき肉を電子レンジで解凍しながら、玉ねぎやパプリカを手早くみじん切りに。
隣でエコが必死に俺を真似している。以前の逆だな。まったく、しっかりついてきてくれないと困るぜ?
「手際いいのねー。音からして違うわ。コメントでもみんな驚嘆してるわー。これは意外、嫁にしたい、だって」
なんで俺がエコの株上げなきゃなんねーんだか。材料を炒めつつエコを睨む。が、エコはエア料理をするのに精一杯で気づいていなかった。包丁で切る真似をするのはいいけど、おまえの手を包丁みたいに伸ばす必要はねーんだよ。おままごとか。
「なんだか包丁よりノコギリを持たせたくなる動きだね」
イヤホンから笑わせてくるのはやめてくれ。配信に声が乗ったらおまえも困るだろ。
「そろそろなにを作っているか教えてもらえるかしら?」
こちらの鶴子もにやにや笑いながら訊いてくる。
「ガパオライス」
俺の口元を見ながらエコは首を傾げる。
知らないか? タイの料理なんだけど。
「ガ、パ、オ、ラ、イ、ス」
「カレーライスです!」
「あら美味しそう。ルーはそっちね」
なんでそうなるんだよ。もうナンプラー混ぜちまったぞ。仕方ないのでルーを取りだしてほぐし、材料に混ぜる。
もう知らん。
「できましたー!」
なにも知らないエコが誇らしげに皿を運び、テーブルについた鶴子の前に置く。
「あら、カレーってドライカレーのことだったの。でも美味しそう」
そうするしかなかったからな。
「じゃあさっそくいただくわ。どんなお味がするのかしら」
俺も知らない。
「あら、これは、ですね」
スプーンを口から抜いて、鶴子は戸惑ったような声をあげた。
俺の背中がうっすらと寒くなる。
「おいしい。とってもおいしいですね」
「でしょー?」
食ったこともないものによくそんな自信が持てるな。鶴子のほころぶ口元を見れば、嘘はなさそうだが。
「ぱふぇ子さんもおあがりになって」
「じゃあいただきまーす。なにこれ、おいしー!」
なにこれは言ったら駄目だろ。
「隠し味にナンプラーを入れるのはご家庭の味?」
「そうですねー。うちのお母さんって創作料理が得意なんでー、その影響でわたしも自然と料理をするようになってー」
適当なことを言いだすのを聞き流し、静かにドアを出る。
廊下では双子の片割れが待っていた。イヤホンを外し手渡す。
「勝手なことしてすいませんでした」
「いいよ。こっちがふっかけたことだし」
俺が扉を閉めようとするのを押さえ、部屋に首を突っこむ。
「まだあるの?」
「は?」
「ドライカレー」
「半人前くらいは」
それを聞くと彼女は放送している部屋に忍びこみ、しばらくしてから皿を抱えて戻ってきた。