二 子分
翌朝、教室に入るところでエコと出会う。
「数珠つなぎは繋がったか?」
「あ? ああ」
エコはどこか心ここにあらずで頷き、自分の席に向かう。珍しいな、こいつが一度定まった目標に関して気を抜くなんて。
自分の席まで進み、手にしていたコンビニの袋を机に置くと、なかから細長い缶を取り出した。
「近藤、これあげる」
「え? なに」
いつものように中田と喋っていた近藤は、差し出された缶とエコの顔を交互に眺める。
「エナジードリンク。コンビニでお昼かったらクジで当たったけど、こんなん飲まないから」
「あー、ごめん。わたしもカフェイン駄目なんだ。背中がイーってなっちゃうから」
エコは心底意外そうな顔をして、手にした缶を下げることもできずにいる。二人のあいだで浮いたエナドリの缶を中田が取り上げた。
「じゃあ俺が飲んでやるよ」
わずかに泡を吹き出させながら蓋を開け、一息にあおる。
「ぬるいな」
「勝手なこと言うな」
近藤と中田、二人のやりとりに、エコは首をひねってから席についた。
「まずは人脈の手堅いところから、源ルゥチからいく」
放課後、また二人で電車に揺られながら作戦を説明される。
学校ではどこか気もそぞろだったが、放課後、ダスリーを引っぱりこむ話題になると急にいつものエコに戻った。
「そいつ、知らないな」
「こいつ」
差し出される画面を見る。ぱふぇ子に似て、ややリアル寄りなモデル。ただクオリティは段違いで、ゲームのキャラメイクで頑張って作ったと言ったほうが近かった。
源ルゥチ。現役女子中学生ユーチューバーという体裁の個人系Vチューバー。登録者数は中堅のやや下。その設定も、上げる動画の傾向も……。
「ぱふぇ子の露骨な後追いって感じだな」
「だろ? だけどなんか初回配信からファンなんですーって恭順をあらわにしてきたから、一応妹分ってことにして何度か絡んでおいた。いやー正解だったなー」
人間として間違っている。
「で、そいつと会うのに俺いる? またこんな格好で」
今日も俺はエコの家に寄ってエコの服を着ている。その服にはロングヘアのが似合うとかなんとか言われてカツラつきだ。
「一人でどうすんだよ。ボイチェン使ったバ美肉オジサンだったりしたら」
「裏で話したりしないの? そこで女同士しか分からん会話とかしない?」
「コラボ相手といちいちよけいなこと話さねーよ」
「そりゃ本当に危ない相手もいるかもしれんし、軽々に人を信用しろとは言わないけどさー。相手を利用することばっか考えて、知ろうとしないからこういうとき困るんだろ」
「深い言葉だな。漫画にしてツイッターに上げたらいいね稼げそう」
どこまでも反省しない女だ。
待ち合わせに指定されたのは渋谷駅ちかくのファミレスだった。
「どんなやつだろうな」
隣に座ったエコがつぶやく。
エコはボイスチェンジャーかもと言っていたが、ルゥチはかなり自然で普通の女子っぽい喋りかたをしていた。アニメキャラ的なかわいさではなく、俺の周りにもいるような。
電車に乗っているあいだラジオ代わりに雑談配信を聞いたのだが、クラスの男子とどう話したとかあれをしたとかいった話題が多く、それも男受けを狙っていない印象を与えてくる。
総じてあまり警戒が必要な相手だとは思えなかった。女子高生Vチューバーぱふぇ子と女子高生エコのように本物の中学生ということはなくても、俺たちとおなじ高校生、あるいは大学生くらいには収まるのではないだろうかと感じられた。
逆にその垢抜けなさがすべて演技だとするなら、相当老獪な演者ということになるが。
「もう着くって。マスクをつけた女子二人組がわたしです、っと」
エコがスマホに指を滑らせ言う。女子二人ね。
混みあう時間でもないだろうに、店はそれなりに席が埋まっていた。客の年代は俺らと近い者が多い。マスク姿もちらほらと見える。ちゃんと見つけてくれるかな。
しばらくしてエコの奢りで頼んだコーラ二つが届いて、それに口をつけようかと二人して同時にマスクに手をかけたときだった。
テーブルの、さっきまで店員がいた場所にべつの人影が張りついた。
「あなたがぱふぇ子ちゃん?」
俺は慌ててマスクを戻す。逆にエコは慌ててマスクを取り、グラスをテーブルに押しつけそのまま立ち上がった。
「はじめまして〜。源さんで……すか」
俺も首をめぐらし声の主を見上げた。
実際の高さとしては、それほど見上げなくてもよかったが。
「源、ルゥチさん?」
キメキメのギャル風ファッションに着飾った、ちいさな女の子に対して訊く。
不信感を上書いて、その子はエコを指さし叫んだ。
「違う! こんなのぱふぇ子ちゃんじゃない!」
エコが慌てて口を塞いで、女の子を席に押しこんだ。
「声がでけーよクソガキ! あたしがぱふぇ子だ間違いなく!」
「違うもん! こんなのぱふぇ子ちゃんじゃないもん!」
俺の向かいの席でもつれながら二人はにらみ合う。
エコも背は大きいほうではないが、それと比べても明らかに小さい。顔立ちも、幼い。その幼い顔にはわずかに化粧が乗っている。服装といい化粧といい、頑張っているのだろうが、まだまだ年齢的に無駄なことしてるなってのが正直な感想だ。
「おまえだってルゥチと同じ顔じゃないだろが!」
エコが顔を寄せながら指を突きつける。
「あたしはこれから成長するんだもん! 中学生になったらどんどん大人っぽくなってルゥチになるんだもん!」
「都合のいいこと抜かすな! 中学生になった自分、はカードゲームででも叶えとけ!」
楽観を大声で上書く。二人が騒いでいるのを聞きながら周りを見渡す。べつに誰もこちらを注目していないようだった。場所柄、ガキが騒ぐくらいよくあることなのだろう。
「えっと。てことはきみは、小学生?」
挟まれた俺の言葉にこちらを向き、ルゥチはさらに訝しげな顔をする。
「そう。あなたは?」
「お……わたしは付きそい。びっくりした。中学生がくるとは思ってなかったけど、まさかもっと若いなんて」
ルゥチはエコと取っ組みあうのをやめ、居住まいを正して俺を向いた。
「あたしだって、ほんとうにぱふぇ子ちゃんみたいな子が来るとは思ってなかったもん。でももしかしたら凄い怖い男の人とかいるかもと思って、でもぱふぇ子ちゃんが呼んでくれたから行かなきゃと思って、ちゃんと女の子だって思ってほっとして。そう思ったら、今度はちゃんとぱふぇ子ちゃんじゃないと嫌になったの!」
分かるような分からないような理屈を述べて、ルゥチは隣に座るエコを見る。その目に涙が溜まっていく。
「なんでそんな地味な格好なの〜! あたしはちゃんとおしゃれしてきたのに〜」
「初対面の相手に失礼のない格好で来たんだろ。フォーマルな」
泣きだす小学生に、さしものエコも押され気味だった。
「まだ付きそいの子のほうがかわいい格好してる〜。あっちの服だったらよかったのに〜」
そう言って泣きじゃくる。今度こそ周囲の目が俺たちのテーブルに向き始めた。
子供の泣き声って脳に響くよな。本能なのかな、これ。
「おい」
エコがテーブルを伝い、俺の座っている側にやってきて耳打ちする。
「いやだ」
「まだなにも言ってねーだろ」
「どうせぱふぇ子になりきってあの子をなだめろとか言うんだろ」
「正解」
「いやだ。それにちっさい子を騙すなんて」
「子供だからいいんだろ。夢を壊さないようにだよ。ヒーローショーとかサンタクロースとかと同じだ。あんな小さな子がぱふぇ子はいるって、ぱふぇ子に会えるって夢見て来たんだぞ? その夢を壊さないようにするのが大人の務めじゃあないのか?」
相変わらずの口車の回りっぷりだな。頷きたくもなるが、ここは渋谷で周りにはぱふぇ子が直撃してそうな年代が溢れている。マスクを外すリスクはとてつもなく大きい。
「いーやーだ。周囲にバレたら騒ぎになりそうだし、またなんか勘違いが進んでおかしなことになる気がする」
「最新ゲーム」
ふと距離をとって告げられた言葉に俺はぎくりとさせられる。
「クローズドベータ。誰よりも早くプレイ。先行して得た経験値は、ネット対戦において限りなく有利なスタートを約束する……」
俺はため息をついて、辺りを確認してからゆっくりとマスクに手をかけた。
子どもの夢より自分の欲求だ。
いや、俺だって子どもだし。誰だって誰かの子どもだし?