二 汗もふけない
「おわったー。さ、部活いこーぜ」
ホームルームがおわり、中田が近藤を促す。
それに遅れてエコも立ち上がる。
「おわったー。さあ、部活いこうぜ」
マスクの奥でそう真似する。
どういう気まぐれか、エコは発表会がおわっても部室に顔を出していた。
お忙しいだろうに。
「待てよ。久住先輩のとこ行かねぇと」
「誰?」
「おまえ、朝言っただろ。演劇部の大道具のひと」
「ああ」
使い切ってしまったスモークマシンの薬液は通販サイトでは軒並みお取り寄せ対応になっていて、昨日ようやく俺の家に届いた。
やっと借りが返せると俺なんかやきもきしていたのに、盗み出した本人がこれだ。
校舎を上って突き当り、演劇部の部室まえに行きつき、ドアをノックする。
扉を滑らせて現れたのは、例のカラスを飼ってそうな女子だった。
「ああ、あなたたち」
「あの、これ」
俺はプラスチックのボトルを差しだす。
「本当にすいませんでした!」
「本当にね。我が演劇部の大事な備品を持ちだして勝手に使って、本当なら許さないところですが」
久住先輩はぼさっとした黒髪の奥の目を俺に向けた。
「いいものを見せてもらったので、特別に許すとしましょう」
「許してくれるって。よかったじゃん」
そろそろ俺がおまえを許せなくなる。
俺が素顔を晒した結果、当然わが電子工作部の発表もそのインチキが露見してしまった。
スーパーホログラフィック・スリーシックスティなどないし、小豆畑ライカは天才ではないし、ぱふぇ子の音声は人工知能ではなくエコが装置の裏で入力していた、と。最後だけ事実とは異なる。エコの正体はまだ明らかにされていない。残念ながら。
あれだけ盛り上げてしまったぱふぇ子の疑似ライブについては、騙されたと怒る連中がいる一方で、単純に芸として認め、教室まで俺を見物にきたりする上級生も多かった。嬉しくはないが。写真は丁重にお断りさせてもらうが。
あとは全校のぱふぇ子のファンが、複雑な感情で俺の存在を語っているらしいと、噂には聞こえている。
夢を壊して申し訳ないとも、俺の立場自体が複雑なんだから仕方がないとも思う。
「いやー凄いパフォーマンスだったね! そのルックス、客を惹きつける雰囲気! ねぇキミ! 演劇に興味あったりしませんか?」
「は?」
「じつはちょっと怪我人が出ちゃって、新しい劇をやるのに一人人数が足りなくてね」
体をずらして部室を見せる。ジャージ姿の部員たちが並んでこちらを見ている。
そのなかに一人、腕に包帯を巻いた女子がいた。彼女はなんだか楽しげに、俺に向かって無事なほうの手を振った。
「あのひとの代役、それって」
「もちろんキミにぴったりの、女の子の役」
「お断りします」
できれば一生、あれはやりたくない。
「あんたがやればいいじゃん」
口を挟んだエコを見て、久住先輩は顔をうつむかせた。
「いやー、私は、サポート役のがあってるっていうか」
「俺もそうです」
「えー嘘だー。あんなに楽しそうだったのに」
エコが手を差しいれて俺たちの会話を阻んだ。
「借りたもんは返したんだから、新たな出演依頼はギャラが発生しますよ。オフィスナカノを通してね」
そんな事務所に所属した覚えはないが、劇にも出たくないので大人しくエコに引っ張られる。
久住先輩は名残惜しげに手を振って俺たちを見送る。
「おまえがやるってのはどう? 代役」
「なんでだよ」
「分かってるよ、おまえの忙しさは。でもそういうのもライバーやるのの勉強になるんじゃないかって」
「子どもの進路狭めたいときの親の理論かよ。やるわけねーって分かってるだろ。なんで言うのかな、親もあんたも」
それは、久住先輩にエコのことも見つけて欲しいと思ったからだろう。
そうしたらほら、現実の充実から、ぱふぇ子としての活動をひかえてくれるかもしれないし。
「あんたさあ、プレスチ5持ってる?」
部室で落ち着いてしばらくして、不意にエコが口にする。
「持ってるよ。貸さねーからな」
発売してまだ日の浅い最新ゲーム機だ。こいつの魔の手からはなんとしても守らなければ。
「あたしも持ってるっての。いくつも動画上げてんだろ」
「しらねーよ。なんだよ、フレンドでも交換するか? 対戦するか?」
「いいけど、あたしのアカウント、切り替えなきゃぱふぇ子のアカだぞ」
それは嫌だな。
「違くてさ、なんかさ、ぱふぇ子に案件がきてさ、まだどこにも発表されてない新しいゲームの体験版みたいなのできるって言ったらやりたい?」
「マジで? やりたい」
未発表のゲームを、特別に。なんて心躍る響きだろう。
「じゃあいまからゲーム会社行こう。プレスチ作ってるとこ」
「ソフト会社じゃなくて?」
「ふぁーすとぱーちー製のゲームなんだよ。本体のコミュニティ機能と連動した」
ますます興奮してしまう。が、ふと気になった。
そんないい話に俺を誘うのに、こいつが恩のひとつも着せずにいるだろうか。
「おまえなんか企んでないか?」
そして俺は、エコの笑顔の恐怖を久しぶりに味わうのだった。