13 下策
水曜。
昼休みに部室に入ると、エコはスマホのアプリを起動し、インカメに微笑みかける。
そこには俺の、ぱふぇ子の笑顔が映っていた。
「まえから試作してたライブ用お手軽バージョンだけど、悪くないな」
「どうやってんだこれ。スマホのパワーで」
「家のパソのリモート。さ、あんたは教室に戻って近藤がメシを食いおわるタイミングを教えろ。食いおわってから寝るまえを捕まえないと」
というわけで俺は空腹のまま人が飯を食ってるのを監視する。
近藤はまえの席に座った中田と弁当を食べていた。
中田が自分の席に戻って机に突っ伏したのに遅れること数分で食べおえ、弁当を片づけだす。
タイミングを見計らって、俺はスマホに書きこんでおいた合図をエコに送る。
通知音がしたスマホを掲げながら近藤は机に肘を滑らせ、二の腕に乗った頭から眠たげに画面を眺めた。
目を見開いて飛びおきる。
「ぱふぇ子からフォローきた! ぱふぇ子からメッセージきた!」
何人かが振りむいた。
が、彼らの反応が芳しくないのを見て、近藤は目の合った俺に画面を差しだす。
「ほら! 間違いない本物から! 限定公開の配信だって!」
知ってる。
近藤はアドレスを押し、くるくる回るロード表示を見つめる。
「あ、こんにちは。聞こえますか?」
ちょっと離れた場所でエコのやつが操っているモデルがそう口にする。
「き、き、き、聞こえます!」
「あなたは高校生、だよね? 私の……ファンの」
照れくさそうに言う。んなこと微塵も思ってないだろどうせ。
「もちろん! わた、ワタクシはぱふぇ子さんの大ファンです! いつも動画も見てるし、インスタも」
「あのね、それならあなたに頼みたいことがあるんだけど。内緒の」
「内緒の、頼み?」
近藤はいままで見せつけていたスマホを自分の机に戻して抱えこんだ。
「あなたの学校ではお昼にどんな曲がかかってる? 私の曲は流れてるかな?」
ぱふぇ子がいかにも純粋に期待してますって演技で問いかけた瞬間に、教室のスピーカーから何度か聞いたことのある曲が聞こえだす。
これタイミング計算してんのか? それともあいつ天に愛されてんの? 天はちょっと特殊な趣味をしてるの?
「これって……」
「あの、うちの学校の放送部は、柳瀬元帥のファンばかりらしくて……。最近はこの曲ばっかり流れてます」
「そんな」
「あの、放送部がかける曲がなにか……?」
ぱふぇ子は一転して沈んだ口調で語りだす。
「じつは今度、高校の放送部がかけてるVチューバーの曲を調べてランキングにするって企画があるチャンネルであるんだけど、そのサンプルにあなたの通う学校が選ばれるってわかったの。だから私、本当はいけないことだけど……」
どんなニッチな企画だ。どんなガバガバな機密保持だ。そもそもどうやって近藤を見つけたって設定なんだ。
「そんな……だったら絶対ぱふぇ子さんの曲をかけさせなくちゃ!」
ファンってやつはよ。
「お願い! あなたにしか頼めないの! あなたが頑張ってくれたらきっとランキングに入るから! なんとかして放送部に私の曲をかけさせて!」
「ま、まかせて!」
エコのやつが手を振って消えたあとも、近藤は暗転した画面を見つめていた。
それから、まだ聴きなれた音楽を流しつづけているスピーカーを睨むと、毅然とした足取りで教室の外に歩きだした。
「どう? 乗りこんだ?」
「まだ。放送おわるの待ってるみたい」
あとをつけた俺にエコが合流する。
廊下の影から見た近藤は、放送室のまえを行ったり来たりしながら通りがかる人間の目を避けていた。
「なんだよバット持ってねぇじゃん。さっさとバット持って乗りこめよ」
「んなことするわけねぇだろ。そんなこと期待してたのかよ」
しばらくして放送がおわり、扉が開いた。
連れだって出てきた放送部員たちが目のまえに来るなり、近藤は深々と頭を下げた。
「あのっ、すいません!」
「はい?」
放送部の先輩たちは立ち止まって近藤の頭を見つめ、それから互いに顔を見合わせる。
「駄目だ。上級生に腰が低い、運動部だから」
エコがぼやく。
「お願いです! お昼の放送でぱふぇ子の、珠稀ぱーふぇく子っていうVチューバーの曲を流してもらえないでしょうか!」
「え、なにそれ。どうしたの、突然」
「じつは……」
近藤は自分のスマホを操作し指差しながらさっき起こったことを力説する。
「本人から動画で言われた? なにそれ、なんか、騙されてるんじゃないの?」
「お金ちょうだいとか言われても振り込んじゃ駄目だよ」
これが普通の反応だわな。
「でもあいつら柳瀬元帥からメッセきて命令されたらなんでもするだろ」
それはやりそう。
「お願いします。ぱふぇ子が、ぱふぇ子がお願いって頼ってきたんです! 絶対期待に応えないと……。このとおりです!」
近藤は廊下に膝、手と突くと身体を折って額を床にぶつけた。
うーわ、そこまでしなくても。罪悪感。
「ちょ、っと。やめてよ」
「行こ! なんか怖いよ」
放送部の先輩たちは互いの袖を引っぱるようにしながら逃げていく。
近藤はというと、床にこぶしを叩きつけながら「なんて、なんて無力なんだ……なんて……!」と漏らしてすすり泣いていた。
通行人が遠巻きに通りながら視線を投げかけていく。
エコは身を隠すのをやめると土下座をしたクラスメートに近づく。
「ま、ファンのちからなんてこんなもんだよね」
誰かにかわって俺がこいつを殴るべきなのか?
「おーい近藤。近藤?」
顔を寄せると、顔を床に向けた後頭部からくーくーと穏やかな寝息が聞こえた。
エコはかたわらに落ちていた画面の明るいままのスマホを拾う。
「泣いて寝るとか子供みたいなやつだな。しゃーない。教室まで運んでやろう。そのまえにフォロー切ってこいつのスマホからメッセージも履歴も消しとこう」
エコはうつむいた頭をかすかに撫でてから、両脇に手を差しいれる。
俺が足を持ち、眠った近藤を教室まで運ぶ。
もといた椅子に座らせ机に身体をあずけさせた。
「あーあ。ここまで放送部が強情なんじゃ、最後の手段を使うしかないか。あんまりやりたくねーんだけど」
どうせ俺にはなにをするか直前まで教えないんだろ。
でも、こいつがあんまりやりたくないってことは、意外とまともな作戦かもしれない。
そういう星からきたのかも。ショートショートの。
「う……」
昼休みのおわりを告げる予鈴に近藤が目を覚ます。
「あれ……えっと。そうだ! ぱふぇ子からメッセージがきて、放送部に行って!」
近藤はスマホを持ちあげ必死に画面を手繰る。
「ない。ない」
手をだらりと下げ、助けを求めるように教室に視線をさまよわせる。
盗み見る俺のほかに誰も注目するものはいないようだ。
「そっか、そうだよね。ぱふぇ子から連絡がくるなんて、夢に決まってるよね」
誰も見てないと思ってか、独りさびしく笑う。
ほんと、夢ならどれほどよかったことか。
木曜。
登校すると近藤が隣の机にへばりついていた。
昨日のことをまだ引きずってるのか?
「あ~も~くそ~」
「まだ言ってんの?」
まえの席に座る中田が自分のスマホに視線を向けたまま言う。
「いい曲じゃん。俺好きになったよ初めて」
「そうだけど、くそ~。なんで柳瀬元帥なんかと」
その名前最近よく聞くな。それだけ流行ってるってことなんだろうな。
うしろでエコが吐息を漏らして笑った気がする。
不気味だが、いつものことだ。
巻きこまれるまで放っておこう。
部室で昼を食べおえいつものようにぱふぇ子の曲を流そうとする。
机に置いてスマホで再生させたとたん、部屋の外からも同じイントロが流れてきた。
なんだおい。俺のスマホと放送が混線しちまったのか?
「へっへっへ」
エコが気色の悪い笑い声をさせる。
スマホの再生を止めて残ったほうをよく聞くと、いつもの曲に男の声が混じっていた。
「なんだこれ」
「あんたいい加減あたしのチャンネルくらいフォローしろよ。これは柳瀬元帥によるあたしの曲のデュエットバージョンだ」
「ああ、コラボとかいうやつ」
歌は二人の声に分割されたり重ねられたりしている。
近藤が言ってたのはこれか。あいつは気に入らなかったみたいだけど。
たしかにネット出身とはいえ男のアーティストと絡むとか嫌うやつもいるかも。
「これが最終手段? 意外とまともじゃん。Vチューバーのおまえでも、ああいう業界とも知りあいなんだな」
「べつに知りあいじゃねーけど?」
「あ? じゃあどうして」
「知らない相手同士を結びつけるものといったら一つしかないでしょ」
「アーティスト同士の魂の共……」
「金だよ」
どん引き。
「おまえ金払ったの?」
「結構えげつない額な。急ぎでやらせたからって、いまある曲にハモるだけでよぉ。カラオケ歌うくらいの手間でよぉ。個人だから、事務所経由で全然話進まんよりは全然マシだけど」
「そこまでするなよ。こんなことのために」
「あんたが気にすることじゃないだろ」
「んだけどさ。もっと高校生らしい活動の仕方っていうかさ」
俺が愚痴ぐち言ってるのは、経済的余裕ってものに過敏になってるからか、それとも金でなんでもできるって事実に嫉妬してるだけなのか?
あとはすこしだけ、こいつの作戦がつぎはどんな突飛でデタラメなものか、期待していたのかもしれない。
「べつに、この部のためだけじゃねぇよ。まったく違うファン層にぱふぇ子の存在を宣伝できるんだから。投資だよ。現に中田だって初めてぱふぇ子を認めただろ?」
たしかにこのコラボによって、ぱふぇ子の認知はまた一段上がるだろう。
放送部が柳瀬元帥の新曲だからとヘビロテするこの学校ではとくに。
しかしいま、こいつは俺の罪悪感を軽くしようとしたのか?
「それに発表会の動画がバズれば二度おいしいしな」
気のせいだった。
「マジでやめろよ。俺はおまえに脅されて顔指されないためにやってんだからな。そんな動画が上がって同じ中学の連中とかに気づかれたら本末転倒だろが」
連中が自分から俺の存在を広めることはないだろう。
あいつらが俺にしたことも広めることになるから。
だからこそ、やつらが答えあわせに参加する口実は与えたくない。
「あたしが撮るわけじゃないけどー。でも誰かが撮ってアップするのまでは止められないからなー」
「おまえなら誰かにカメラと小遣い渡して撮影依頼するとかやりそうだから言ってんだよ」
「安心しろ。金使いすぎてしばらく無いから」
それにしたって油断はできない。
もし上がったら肖像権とかで消せるだろうか。
確認がエコのほうに行ったりして。本物のほうに。あークソ。