1 くたばれVチューバー
「ハイ、ドーモ! 詩妃ユウです! おはようございまーす!」
テレビから甲高い声がして、アニメ調のCGが身振り手振りをする。
絵畜生が。月曜の朝から嫌な気分になる。一日がさっそく呪わしいものになった気がする。
呪わしいって言葉あったか? まあいいや。
「今日、いちばんいい運勢はヤギ座のみんな! 新しいことにチャレンジすると面白い一日が待ってるかも!」
オープンキッチンからリビングに向けリモコンを伸ばし、チャンネルを変えていく。
「バーチャル女子アナ、陽野美光のバーチャル! スポーツリポートぉ! まずは野球の」
「今日は全国的に晴れ模様。ソラみたいにバーチャルじゃない人は花粉に引きつづきご注意くだ」
「コラボ実施中! いまなら詩妃ユウもらえ」
やつらが画面に現れるたびにボタンを押していき、結局もとのチャンネルに戻る。画面が断続して白く瞬いた。
『フラッシュによる光の点滅にご注意ください』
芸能コーナーか。なら、しばらくはあいつらも出てこないだろう。
シンクで注いだ水で貼りついた喉を剥がす。
俺がガキのころに生まれ、一過性の流行で終わると言われたあいつらも、いまではすっかりメインネットの朝を侵略している。
占いコーナーの読みあげ役やスポーツコーナーのリポーターもどき。
女子アナに衣装の一つとしてやらせるか外注で有名どころ使うかの違いはあるが、いまではどの局もなにかしらの「Vチューバー」を使っている。人間の動きを取りこんでCGに変換したキャラクターを。
「ライカ、パンは何枚食べますか?」
父がトースターのゼンマイを回しながら訊いてくる。朝は本当に食欲がない。ほっとけ、と言いたいが答える。
「一枚」
嫌々リビングに移動する。テーブルには目玉焼きと、昨日のシチューの残りと、青々としたサラダまで盛ってあった。
いくら自分は自営業の夜型人間で体内時計的には夕飯の時間だとしても、これにさらに炭水化物まで追加するか? 腕によりをかけるなよ。不満を口にするかわりに、目玉焼きを噛まずに飲みこむ。
「醤油は、かけなくてよかったですか?」
鼻息で返事をする。視線をテーブルに載った新聞に落としながら食べる。どこかの国では親が貧困のため子供を売っている、くわしくは国際面へ。
やっと最後のサラダの最後のレタスを歯で裁断してるとき、音楽配信ランキングのつぎの順位をアナウンサーが読みあげた。
「七位にはぱふぇ子の新曲がランクイン!」
パっと見、生身の人間に見える顔が画面に映った。
最悪だ。最悪すぎて完全に目が覚めた。音を立てて箸を皿に重ね、立ちあがる。
「あ、ぱふぇ子さん、じゃないですか。凄い、ですね」
父が声をあげ、画面からこちらに振りむいた。殴るぞ。
手早く食器をキッチンにさげる。目を逸らしていても、ぱふぇ子は十秒ほどたしかにそこにいた。
「Vチューバーに見えない! 本当に生きてる人間みたいですねー」
女子アナの何度聞いたかわからない形容。食器棚の皿という皿をぶちまけたい気分になる。マジでキレて当たり散らす寸前だと自分でわかったので、さっさと洗面所に向かう。
「ぱふぇ子さん、頑張ってるみたいですね」
俺の苛立ちにいっさい気づかず、父は箸を止めテレビを見ていた。
今日の俺は、まだ我慢できたことをどこかで安堵している。だがいつかキレて後悔する日がくるだろう。どちらを望んでいるのか、自分でもわからなくなる。
洗面所で鏡を見て、また憂鬱な気分になる。
俺もむかしは自分の顔が好きだった。
べつに死んだ母親にかっこいいかっこいいと褒められて育ったわけじゃないが人並みに愛着を持っていたし、中学時代、色気づきはじめたころには結構イケてるんじゃないかとさえ思っていた。
それがいまではもう、誰にもこの顔を見せたくない。
制服に着替えて玄関から出るまえに、下駄箱のうえのパッケージからマスクを一枚引きだす。
ドラッグストアで買った補正入りのマスクは残り少なくなっていた。
今日あたりまた買ってこなくては。安売りしてるといいな。
マンションを出て駅までの道、見上げる街路樹の裏はおだやかに陰り、おもては太陽を浴びて輝く。
幸いなことにまだヒノキ花粉の季節は過ぎておらず、一日中マスクをつけていてもおかしな目で見られることはない。
だがそれがおわったら?
マスクなしで学校に行くなんて考えられない。それだけは絶対に駄目だ。
マスクをつけていることを手で触って確認してから、駅の改札を通る。
マスク依存なんて言葉をどこかで聞いたが、俺も立派に正気を失いかけた人間ってわけだ。
それもこれもぜんぶ父親と、あのVチューバーのせいで。
Vチューバーなんてみんな、ポリゴンの頭割ってくたばっちまえ。