4-14 赤は凪ぎ、心に色を宿す
──昔から、自分の名前が嫌いだった。
”麗白”という名前。自分がもっと明るい性格だったなら、積極的な性格だったなら、好きになっていたかもしれない。
けれど、願うばかりで実際にはそうはならなかった。
勉強は得意というほどでもなかった。運動は嫌い……もとい、体育の授業が嫌いだった。出来ることを当たり前として要求してくるから。
そんな自分は平凡かそれ以下の存在であり、クラスでも特に目立つ存在ではなかった。
小学生までは。
変化があったのは中学に入ってから。
自分に何か変わったことがあったわけではない。変化があったのは周囲──環境の方だった。
自分の名前は言ってしまえば珍しい部類に入る方で、極端なものではないにしても他と違うと思わせるには充分だったのだろう。
中学2年生になるくらいの頃から、この名前をからかう者が出始めた。
無視するようにしていると、それは段々とエスカレートしていった。名前だけでなく、容姿や普段の態度、それらについてキツイ言い方をしてくる者が増えてきた。
特に体育での様子を言う者が多かった。
──私はそれがたまらなく嫌だった。
体育が出来ないことがそんなに駄目なのか。他の人と違うことがそんなに駄目なのか。他人である以上、違うことは当たり前ではないのか。
──そんなことを考えられるようになったのは、本当につい最近のことだ。
そんな日々が続くようになって、独りで不満と、それ以上の恐怖や悲しさを抱えながら過ごした。優秀でもなんでもなかったために、親も教師も叱りつけてくるイメージが定着しており、頼るという選択肢は頭になかった。
転機が訪れたのは、それから1年以上経った頃……高校受験だ。
都会ではなかったけれど、進学先の選択肢はいくつもある……それくらいの環境だったため、自分のことを攻撃してくる者から離れられる環境を選ぶことにした。
それは叶った。
そういう者たちのいない高校へと進学し、新たな人生を歩むことが出来る。
そう思っていた。
けれど、結局は変わらなかった。
なんの個性も、特技も持たない者は、差別し攻撃するのにいい的だったのだろう。
──私はこの名前が嫌いだ。
平凡で目立たない自分を、悪目立ちさせる。思いやりも人情も持たない者たちから狙われる理由を作るためだけのものだから。
そんな自分を支えていたものは、アニメやゲームといったものだった。特にカードゲームが好きで、隠れて集めるのが趣味の1つだった。対戦相手がいなかったから、遊ぶことは出来なかったけど……。
そんな心の支えを持って毎日を過ごしていたけど、いつだかポッキリと折れてしまった。
ある日、何もかもがどうでもよくなった。
3月の春休みに入って、平穏と娯楽に浸り、心に余裕が出来た。
けれど、休みが終わる間際、またあの日々が戻ってくるのかと考えた時……もう駄目だと思った。全てから逃れたい……そう思い、行動に移した。
「──だから、私は、学校という場所が嫌いだ。」
小さな声で、しかし力強くロートはそう言った。
強い風が吹いて、彼女の髪が靡く。
「嫌な思い出ばっかりで、良いことを思い出すことも出来ない。だから私はこの場所が嫌いで、嫌な奴しかいないイメージがある。この世界は……多分、そんな私のイメージから出来ている部分が多いと思う。」
彼女は空を見上げ、物悲しげな表情を浮かべる。
「今だったら、私を虐めてきた連中を殴ってやるのだがな……フッ……ともかく、私は転生を果たした時……過去の自分と……決別すると決めたのだ……。」
空を見る瞳が潤み、大粒の涙が1つ、2つ。
「…………だから私はッ、何にもなかった、真っ白な自分が、嫌いッだった…………だから。異世界に来た時、白から赤に変わり、人生を謳歌、すると決めたんだッ……!」
大粒の涙はどんどん溢れ出し、やがて大声で泣き出した彼女を俺は優しく抱きしめる。
色々あった過去を、安い言葉で慰めることなんて出来ない。だからただ一言、「辛かったな。」と言って抱きしめた。
「……私がもしッ、他の名前だったら、違う人生……だったかなぁ……ッ?」
「……それは分からない。変わらなかったのかも……しれない。」
イジメってのは自分より下の存在を決めつけて、作る行為だと思ってる。だから理由なんてきっと、どうでもいいんだと思う。その行為に正当性なんてないのだから。
「あっ、いや、えっと!」
でも、とても悲しそうな顔になったロートを見て、今は俺の持論を言うべき場面ではなかったとすぐに気付いた。
ここは気休めでもとんでも理論でも、とにかく気の利いた言葉で励ます場面だった。
「でも、その!俺は”麗白”って名前、凄くカワイイと思うから、気にすること全然ないと思うぞ!」
「えっ?」
ロートが驚いた顔を見せ、次いで赤くなっていく。
「あ、その、えっと……カワイイ!ホント可愛い!」
そう言って慌てて離れる。
勢いで抱きしめて慰めることが出来たのは良いとして、俺は何を言っているんだ!?テンパってカワイイを連呼してしまった!
距離感と間近で見た赤い顔、自分の発言に自分の顔が熱くなっていくのが分かる。
「ナ、凪人……今のって……?」
「いや、今のは…………。」
ここで誤魔化すようなことを言ってはダメだ!
また彼女を傷つけることになってしまう。
「……俺の本心だ!麗白はカワイイ!だから自信持って良いし、昔のことは忘れていい!」
若干ヤケクソになりながら喋る。
「もし昔のように何かしてくる輩が現れたら俺がぶん殴ってやる!だから自信を持て!カワイイんだから!」
「凪人………!」
ロートの顔が真っ赤になっていく。
「ホントに可愛い!絶世の美少女!1万年に1度の美少女!ミス異世界代表!えっと、あっ!デートしたいランキングダントツ1位当社調べ!」
「凪人…………?」
ロートの顔が怪訝なものになっていく。
「……俺は何を言ってるんだ?」
自分でもよく分からなくなってきた。
「プッ……あはははっ!」
突然、ロートが大笑いした。
「いや、そんな笑わんでも……。」
そう言いながら、俺もつられて笑ってしまう。
まぁ、元気になったのなら良いか。
「さてと!それじゃ麗白!そろそろ動くか!」
「フッ……承知!……ドコに向かうの?」
「フフフ……リベンジだ。」
今の俺なら、誰にも負ける気がしねぇ!
という心持ちをもとに再び部室棟へやって来た。来る途中にチャイムがなったから今は休み時間だけど、その方がかえって都合が良いかもしれない。
何せ、休み時間に生徒が部室棟にいることはおかしなことではないからな。誰も怪しむことすらしないだろう。
…………放課後でもないのにいるのは、ちょっとだけ怪しいかもしれない。
「なんで凪人は、部室棟が怪しいと思ったんだっけ?」
「そりゃあ……アレだ。俺とか部活に無関係だったからな。来ることがまずないだろうし、隠すには向いてると思ったんだ。」
「なるほど……。」とロートは顎を摘まむ。
その仕草はさながら探偵のようだ。余談だけど、ミステリーものの作品を創れる人って頭が良いんだなって思う。俺は中学生の時にラノベを書こうとして、まったく形に出来なかったという過去を持っている。
騎士団を辞める時が来たら、ラノベ作家を目指してもいいかもしれない。そんな甘い道のはずがないけど。
そんなことを考えているうちに部室棟前に到着した。
「…………。」
周囲を見て、人影がないことを確認。今なら侵入しても平気そうだ。
先ほどの失敗を生かし、扉を小さく動かして入れるかの確認。そして入れる場合には、中の様子を慎重に窺って問題を起こさないようにする。さっきまでの強気はドコにいったのか。
サッカー部にはもう、誰もいないみたいだ。よかったよかった。
「こういうトコ、どういうところなんだろうって思ってたけど……結構汚いんだな、中。」
そこらへんに道具とか体操着とかが放り投げてある。整頓しようとか、キレイに使おうって考えが誰にもないんだな。これだから体育会系は(偏見)。
「……ココにはなさそうな感じだな。麗白、次の部室に行こう。」
「分かった…………ねぇ凪人?」
「ん?どうした?」
隣の陸上部の部室に侵入。ここにも鍵はかかっていなかった。不用心だけど侵入しやすいからナイス。ごそごそと漁っていると、ロートが話しかけてきた。
「媒体がどんなものか、分かってないんだよね?」
「まぁな。でも、普通の見た目ではないだろ。なんかこう……異世界らしさのあるデザインだと思ってる。」
校内放送の件で、魔女が意外と抜けてるってことが知れたからな。この世界を創る媒体もきっと、擬態せずにむき出しで置いてあるはず。
「だとしたら、もっと……私たちが入れないようなところに置いてあるんじゃないの?」
「そりゃあ……そうだろ。だから部室棟もそうだし、ココになかったら家庭科室とか、化学準備室とか、そういうトコに行ってみようと思ってる。」
普通に学生生活を送っていたら、あんまし訪れないところだからな。部活に入ってたり先生に気に入られたりしてたら話は違ってくるけど、この偽物の世界でそういった設定的な部分は出てこないんじゃないか?
「いや、そういうところって……入ろうとすれば入れるじゃん。だから凪人よ、もっと広い目で世界を視ようとしてみよ……!」
後半、急に中二的な発言になったな……。
「もっと広い目……?」
何か思いついたなら、普通に教えてくれればいいじゃん……と思いつつも考えてみる。
確かに俺の挙げた場所はどれも、立ち入り辛くはあるけど無理のない場所ではある。つまり、魔女にしてみれば見つかるリスクが高くはないということだ。
どうせなら、もっと見つかるリスクの低い場所……生徒が来る可能性が限りなくゼロに近い場所……そういったところを選ぶべきだ。
「それって……。」
「フッ……気付いてしまったようだな。凪人よ。」
そうか。
気が付いてしまったよ。
自分でも無意識のうちに、捜すスポットから外している場所がある。無縁だったからこそ、候補から除外してしまっていた。
「けどなぁ……どうやって入るか、だよな……。」
普通に学生生活を送っていたら、まず関わることのない部屋。
即ち、校長室だ。