Prologue 魔導国家・クロム皇国
世界の中央にある最大の大陸、グラム大陸。その大陸の大半の領土を持つ国家、クロム皇国は魔法によって栄え、魔法によって統治されている。
その中枢都市、皇都・アルムヘイト。切り立った険しい山々のグラナドラ山脈を背後に配し、前方には石造りの高い壁を構える堅牢堅固な都市で中心には一際目立つように聳え立つ水晶の柱を軸とする城郭、クロニクルが鎮座している。
「物見遊山で来てはみたけれど、そら栄えるわけだよ。万龍を礎にした魔層石を中核に据え置いているのだから」
空に溶け込むような色合いの外套を来た人物が地上で聳える大きな水晶を見下ろしながら言う。
(でも、それがいつまでも続くわけじゃない。どんな力を用いても…)
水晶に小さな亀裂が入る。
「そうかもしれないけどまだ終わらせるわけにはいかない」
(感覚干渉!?一体何処から)
突然、心の声に返答する声が聞こえ、周囲を見回すがそれらしき人物を見つけることが出来ない。
「いない、それどころか干渉前後の魔力の痕跡すらない…」
少し笑みを見せる。
「僕に知覚させないほどの使い手…面白い」
空色の外套の人物の姿は今までは曖昧にだが輪郭は分かる程度だったが完全に空へと溶け込み、姿が消えた。
☆★☆★☆★☆
少し質素だが精緻な装飾の内装の部屋の中に天蓋付きのベッドで上半身を起こし虚空を見上げる端整な顔立ちの麗容な女性がいた。
部屋の扉がノックされ、部屋の扉の傍にいた侍女が扉を開ける。
そこにはクロム皇国皇王とその後ろには第一皇子がおり、侍女は深く頭を下げる。
皇王は真っ直ぐベッドにいる女性に近付いていくと第一皇子は部屋を見渡し、一人の少年見つける。
第一皇子は奥歯を強く噛み、眉をひそめる。
「おい、あれをつまみ出せ」
頭を下げている侍女に向けて高圧的な態度で声量を抑えて言う。すると侍女は部屋の隅の椅子に座って一人で遊んでいた少年を連れて部屋から出ていく。
ベッドの女性はそれに気付き、連れ出される少年を見送った後、近付いてくる皇王に視線を向ける。
「御母様、御加減はいかがですか?」
第一皇子はベッドに歩み寄り、先程とは違い穏やかな声色で話し掛ける。
女性は第一皇子に視線を移し、皇子に対して微笑みを見せる。
「えぇ、大丈夫よ。それよりシャルロットは何処へ?」
「分かりませんどうしたのでしょうね…ちょっと見てきますね」
第一皇子は女性の私室から出て行った。
「アルフレド」
第一皇子が部屋から出るのを見送るとクロム皇王の名を呼んだ。
「どうした?アリア」
「あの子にシャルロットにもう少し気に掛けて下さい」
「あぁ分かっているが何故いま、それを言う」
「私の体はもう数日と持たないでしょう…」
「医師は…」
「私の体は私がよくわかっています」
クロム皇王はそれ以上何も言えずに沈黙した後、アリアは窓の外へと顔を向ける。
「分かった。後のことは心配するな」
アリアはゆっくりと目蓋を閉じた。
(…そろそろ潮時か)
クロム皇王は扉の前でそう思い、部屋から出て行った。
☆★☆★☆★☆
廊下に出た第一皇子は頭を低くしている侍女といるシャルロットの頬を手の甲で引っ叩いた。
侍女は第一皇子の行為に目を伏せる。
「お前なんかが…」
頬を叩かれたシャルロットは泣くことなくただ床を見つめる。
そして、第一皇子は部屋前にいる二人いる近衛兵の一人にいつもの如く命じる。
「これを例の場所へ連れていけ」
近衛兵はぞんざいにシャルロットの腕を掴みと強引に連れていく。
侍女はそれを横目で見送っていると部屋からクロム皇王が出てきた。
「あれはどうした?」
「いつもの場所へ」
「そうか…」
「父上、あれをいつまでも宮廷に置いておくつもりですか」
「案ずるな、直に片が付く」
クロム皇王は第一皇子に告げる。
「父上も気付いているはず、例え血の繋がりがあるとしてもあれは人ではない。それなのに御母様を…」
☆★☆★☆★☆
薄暗い牢、鉄格子の前には茶褐色の外套でその身を隠した一人の人物がいた。
「シャルロット、今出してあげます」
声の主は牢の鍵を開ける。
「惨い…」
シャルロットは薄暗い牢の中、鎖に手足を繋がれており、服はボロボロ破れ、破れた箇所の肌には血が滲むような擦過傷が複数あった。
「こんなことをしたらアーサー兄上が…僕は大丈夫ですから」
「お前は心配するな」
アーサーと同じような装いの人物が鉄格子の前に現れた。
「その声は?フリード兄上?」
現れた人物、フリードはシャルロットの言葉には触れず周囲を警戒している。
アーサーはシャルロットを拘束している鎖を外していく。
「貴様、そこで何をやっている!?」
衛兵が水晶のような形をした光を放つ魔具を手に駆けてくる。
「どうして衛兵が…」
すぐさまアーサーとフリードはシャルロットを連れて衛兵とは反対方向へ駆け出す。
衛兵はそれを追い掛けるがすぐに見失った。
何故なら地下牢の奥は例え長年勤めた衛兵すら迷うほどに複雑に入り組んでいる。故に衛兵は諦めてシャルロットの入れられていた牢の前まで戻る。
「どうした?何があった…」
先程の声を聞いて駆け付けた衛兵が声を掛け、牢の中を見る。
「…これは不味いな」
「どうする、これがバレれば極刑だぞ」
「他には誰もいないよな」
「此処は今は使用されていない地下牢だからな、ってお前まさか」
「だったら?」
「しかしな」
「お前は死にたいのか?」
問われた衛兵は無言で否と示す。
「だったらこのまま報告せずにおこう。どうせ不要な皇子がいなくなったところで…」
衛兵は開いた牢の扉を閉める。
「…そうだな」
二人の衛兵は地下牢の入り口に戻る。
☆★☆★☆★☆
「どうやら追っては来ないようですね」
地下牢の奥は更に暗く、アーサーは後方に魔具の光が見えないことを確認すると衛兵が持っていた同種の魔具を取り出して光を灯す。
「しかし、此処は何処だ?」
「咄嗟に奥へと逃げて来たので分からないですね」
「シャルロットは?」
「シャルロットは気を失ってます」
「くそっ!」
フリードはアーサーの腕の中で眠る痛々しい傷をつけられたシャルロットを見て悪態をつく。
「…どうしてシャルロットにここまで」
「皇王や第一皇子が直系親族に対してこのような所業に及ぶ考えは…いえ、考えたくもありませんね」
「…同感だ」
フリードは外套下に左手を入れて何かを掴んで身構えた。
「アーサー、シャルロットを」
何か生物を腐ったような臭いが鼻をつく。
「厭な気配ですね」
「いくら今は使われていない牢獄とて此処はクロム皇国の首都、更に言えば皇族の住む宮殿の地下だぞ、なんで魔獣が」
目の前には半固形流動状の生物が蠢いていた。
「虐げられし者達の怨念、この国の闇さ」
真っ黒な外套、真っ黒な表情の人物が魔獣の背後に立っていた。
「魔人までも…どうする、あのタイプの魔獣には物理的な攻撃は効かない」
フリードはそう思いながら半固形流動状の生物に視線を向け、外套の下、左手で握っている剣を意識する。
「それと得体の知れない魔人」
フリードは視線を魔人に戻すと突然、視界が霞む。
「何が…」
背後からドサッという音が聞こえ、フリードは霞目でそちらを振り返るとアーサーとシャルロットが倒れている。
「アーサー、シャルロット!」
フリードは直ぐに魔人の方へと視線を戻しながら左手に握られた剣を引き抜く。
「お前、何をした…」
引き抜いた瞬間、意識が遠退いてフリードも倒れると地面に剣が落ちて高い音を立てる。
「暫しの眠りを…」
シャルロットが突如、ムクッと立ち上がる。
「やはりな…」
魔人はシャルロットの姿を見失い、気付いた時には頭と身体が別たれていた。
魔人の背後に立つシャルロットの手にはフリードの剣が握られており、胴と別たれた魔人の頭はゆっくりと滑り落ち、いつの間にかバラバラにされていた地面に散らばる魔獣の上に落ちる。
シャルロットの頬を魔人の返り血が伝い落ちるとシャルロットはその場で倒れた。